第11話 円環するイノセンス
第3部マダー?
みんな佐野元春のツアー始まったよ! You Tube にも、「レイン・ガール」のライブ演奏の映像がアップされてたしねー、「レイン・ガール」。
たしか、アルバム「ザ・サークル」に入ってたやつだよなーとか思って、チャンネル内にアップされているアルバム同タイトルのMVに飛んじゃったり、『Film No Damage』予告編をチェックしてしまったりと、他に公開されている動画もついつい見に行っちゃったりして思わぬ時間を取られちゃったりすることなんてよくありますよね、あ、ありませんか。
『Film No Damage』というのは、1983年に行われた中野サンプラザでのライヴ、当時フィルムで撮影されてた映像が、発売となるのだ!2018年10月24日を待て!にゃあ。
何でこんな話が唐突に出てくるというのかというと、ある意味しょうもないながらもそこはけっこう複雑に入り組んでいるのです。
1993年11月に佐野元春はアルバム『ザ・サークル』をリリースし、そのニュー・アルバムを手に、早速ツアーに出ました。
そしてその武道館ライブ最終公演の終了後、自身のバンド「ハートランド」の解散を告知したのです。
ねこのきはライブ行ってなかったし、その頃は、ネットはおろか、ウィンドウズPCすら存在していない時代でした。バンド解散をねこのきが知ったのは、それなりに時間が経ってからのことだったように思います。
よく覚えていないな。
解散の理由は、「現メンバーでやりたいことは、やりつくしてしまったから」みたいなことらしかった。佐野元春のホームページ( https://www.moto.co.jp )に Now And Then というコーナーがあって、そのへんの事情はその前後の記載で確認できるようになっています。
実際、1996年にアルバム『フルーツ』を発表し、メンバーを一新した新バンド、インターナショナル・ホーボーキング・バンドと共に佐野元春は再出発を遂げ、いつの間にかホーボーキング・バンドとバンド名がみじかくなったりしながらも現在も活動を続けているのです。
そんなこんなで、まあ、ねこのきはアルバムタイトル曲の「ザ・サークル」のビデオクリップもついついクリックして、久しぶりに見ることになったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=sxKkeZDJqQk
当時は、深夜の音楽番組かなんかで見ていたんじゃないかなあ。
アルバム・ヴァージョンではなく、リミックス・ヴァージョンを使った映像をながめながら、さて、はじめてこのMVを見た時は、何というか、ぽかーんだったよなあ、この人は何をやっているのだろう。あるいは、何がやりたいのだろう。そんなかんじだったよなあ、と思い出しました。
最初から、最後まで、そこで佐野元春が何をしているのか、その頃のねこのきには理解できなかったのです。手に入る情報も、当時は限られていましたしね。
今は少しだけ、何をやっているのか、は解るようになってきたように思います。
たとえば、舞台設定としては、佐野元春が影響を受けたというアメリカの文学運動、「ビートニク」に習った朗読、朗読会みたいなのを意識しているようであろうこととか、佐野元春が描いたと思われる、ジャクソン・ポロック風のアクション・ペインティングの絵画がその背景に置かれていることですとか。
そう、今まで、ねこのきなりに、この映像の意味を理解してみようと、それなりに調べてみたりしてはきたんだぜ。
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ジャクソン・ポロック
生誕 1912年1月28日
死没 1956年8月11日
国籍 アメリカ合衆国
ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock, 1912年1月28日 - 1956年8月11日)は、20世紀のアメリカの画家。抽象表現主義(ニューヨーク派)の代表的な画家であり、彼の画法はアクション・ペインティングとも呼ばれた。抽象表現主義の画家たちの活躍により、1950年ごろから美術の中心地はパリではなくニューヨークであると考えられるようになった。
Wikipedia より
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ジャクソン・ポロックとか、Jackson Pollock を Youtube で検索すれば、この人の、キャンパスを地面に置いて、直接缶から絵の具を垂らしたり、刷毛で弾いたりする、独特な絵画の制作風景などが確認出来るでしょう。
ウィキペディアにあるように、「美術の中心地はパリではなくニューヨークである」と、第二次大戦後の世界に認識させるほどの活躍をした人物らしいです。
にもかかわらず、ねこのきが佐野元春のビデオクリップを見た時には、絵の具をぱしゃぱしゃ撒き散らすことの、いったいそれが何を意味しているのか、どんなつながりになっているのか、さっぱり理解できないほど、その影響力も知名度も薄れていた。単に、ねこのきが田舎者だっただけ、という疑惑もなきにしもあらずなのですが。
何でそんなことになっていたのでしょう。
すこし時間をおいて、岩波新書の「抽象絵画への招待」(大岡信)なんてのをブックオフで百円で買ってきて、読んでみたりしていると、何となくそのあたりの事情はわかってきました。
そう、前に、ねこのきなりに、理解してみようと言ってたように、ねこのきもそれなりに考えてみたり、調べてみたりしてきたのですよ。それなりにね。
背景としては、戦時中、画家に限らず、パリの文化人、芸術家たちが、大挙してアメリカに避難してきていたという事実があるようです。
特にアメリカの若い画家たちは、シュルレアリストの一群に強い刺激を受けたようです。
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しかし、ここで注目すべきことは、彼らがシュルレアリスムから会得したものが、決してフロイト理論による意識下の世界の探求や夢の内的風景の転写ではなかったという事実である。シュルレアリスムのこうした「文学的」傾向は、合理主義の長い伝統に意識をがんじがらめにされ、むしろ悪夢の中に非合理の衝動の開放をみるようなヨーロッパの危機意識から出たもののだが、こうした危機意識を持たないアメリカの画家にとっては、そういう傾向はほとんど無縁のものだったようにみえる。彼らがシュルレアリスムならびに生身のシュルレアリストたちとの接触から学んだものは、オートマティスム(自動記述)の主張に端的にあらわれているような、一切の理論に先だって存在すべき自由で自発的な創造的エネルギーの開放ということであり、「描く」という行為の中に、いわば
それはいわば、ヨーロッパを追いかけつづけてきたアメリカ絵画の、突然の自己発見だった。シュルレアリスムは、絵を描く方法ではなく、生きる方法をこれらのアメリカの後輩に啓示したのである。
岩波新書「抽象絵画への招待」(大岡信) P147-148
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しかしポロックは、まもなく自動車事故により44歳の若さで亡くなってしまいました。1956年のことです。
そして時代が動きます。
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こうして、アクション・ペインティングの世代に続いて現れたアメリカ絵画の戦後第二世代は、先行世代に見られた創造行為そのもののロマン主義的な純粋化と聖化、生の一回性への激しい思い入れ、自発性への多分に無邪気な信仰に対するに、クールな相対化、知的な懐疑主義、物質文明の日常生活の場からする軽快な揶揄といった態度を強調する新しいタイプの思想と作品をもって登場することになった。
−中略−
ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルその他のいわゆるポップ・アーティストたちの仕事は、それぞれのやり方で、偉大なアクション・ペインティングの時代に対する明確な反動と、「アメリカ美術」の一層の個性的発展の一時代をきずきあげた。
−中略−
彼らの作品は、それぞれの仕方において、前世代に対する批判を濃厚に含んでいる上、アクション・ペインティングにはほとんど全く見出しえなかった要素、すなわちアイロニー、笑い、諷刺といった批評的要素を内在させている点で、明らかに新しい世代の誕生をつげていた。
−中略−
アメリカでアクション・ペインティングのあと、ポップ・アートが出現して明確な対立者となったことには、こういうわけで必然的な理由があったわけだが、それはまた、アクション・ペインティングがそれに対抗して現れる次の芸術世代に対して、明確な芸術的メッセージを発信したからこそ生じえた世代交代劇だったといえるのである。このことは、一九七〇年代以降の世界の美術界に、五〇−六〇年代に生じたこのような芸術思想上の鮮明な対決というものがほとんど見られなくなり、それにともなって、強力な運動の出現もあまり見られなくなってしまったという事態を考えれば、一層深い意味を帯びてくることのように思われる。
そしてそのような事態を招来した一因は、ほかならぬポップ・アートそのものの中にも潜んでいただろう。というのも、このきわめて「アメリカ的」な絵画思想は、その成立と発展自体のうちに、商業主義という恐るべき陥し穴にみちた現代的条件と密接にむすびついた諸要素を持っていたからである。
岩波新書「抽象絵画への招待」(大岡信) P156-161 より抜粋
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このようにして、ポップ・アートは、その前の世代のアクション・ペインティングと交代し、塗り替え、発展していきました。
ねこのきのようなその後に続く世代からしてみれば、アクション・ペインティングなど、存在すら知らなかったかのように、その存在感は、歴史的結果として、ポップ・アートの影に隠れてしまっているように思えます。
上記の記述を読めばわかるように、ポップ・アートの発生の段階において、アクション・ペインティングが発していたメッセージが、強力に作用しているように見える。にもかかわらず、なのです。
いずれにしても、アクション・ペインティングに対して、ポップ・アートがおよぼした影響力は、現在にいたるまで地続きに続いているように思えてなりません。
それは、絶え間なく最新技術を取り入れ、より洗練され、解像度を上げつつある方向に進んでいると思えるのです。
例えば、スーパーリアリズム、という美術運動があるようです。
写真を使って、写真以上に精密に描写するかのような画面が特徴の美術運動です。
ウィキペディアなんかだと、こんなふうに説明していました。
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スーパーリアリズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スーパーリアリズム(英:Super-Realism)は、写真を用いて対象を克明に描写する美術の潮流である。ハイパーリアリズム、フォトリアリズム、ニューリアリズム、シャープ・フォーカスなどともいう。1960年代後半から70年代はじめにかけて主としてアメリカ合衆国で起こった。主要な作家にロバート・ベクトル(英語版)、チャック・クロース(英語版)、リチャード・エステス(英語版)、マルコム・モーリー(英語版)などがいる。彼らは互いに独立して制作をはじめ、画家としての出発点もそれぞれ異なるが、市民生活や都会風景、一般人の肖像画など、ごくありきたりな主題を写真を用いた機械的な手法(多くは写真をプロジェクターでキャンバスに投射し、エアブラシなどを用いながら転写する手法が用いられる)で克明に写し取る作風において共通している。この手法の結果として、彼らの絵画は写真の平面性を再現した、また感情を廃したものとなる。
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こういった運動も、例えば、アメリカン・コミックのページをそのまんまキャンパスに描き出したリキテンスタインの作品や、アンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス」という作品?−−ブリロという商品名で売られていた洗剤の、ダンボールパッケージのデザインを、ベニヤ板か何かを使って、そのまんま完全コピーして、「アートです」と積み上げて見せた作品、そういったメッセージの持つ視点の延長線上にあるように思えるのです。
ひょっとしたら、いずれ日本でも、スーパーリアリズムじみた背景に、コミックから抜け出てきたような登場人物が出てきて「君の名は」とか言ったり言わなかったりするアニメ映画が、高解像度上映でヒットしたりしなかったりする事が現実に起きてしまわないとも限らない、そう言ってもさほど不自然でないくらい、地続きだということです。
おっといけない、脱線しすぎた。
何が言いたいかというと、結果として、ジャクソン・ポロックとアクションペインティングは、「時間を味方に出来なかった」アートであり、アーティストだったということではないか、そうねこのきには感じられるということです。まるで、リヒャルト・シュトラウスとクラシック音楽のように。
そのジャンルを発展させて、新作を作り出す後継者は、戦後の世相において、ついにあらわれませんでした。
たぶん。
アクションペインティングは、アメリカ初の絵画運動ではあったけれど、そこには、大きく戦前のヨーロッパからの影響がありました。それが原因かどうかは証明できないのですけれど、後の世代のポップ・アートの輝かしい成功の前には、歴史的結果として、「時間を味方に出来なかった」としか言いようがない形となっているように思うのです。
何でこんなことをつらつらと書いているかというと、ポップ・アートとアクション・ペインティング。理屈の上では、あるいは歴史的流れを確認すると、意外に近い距離であり、とくにポップ・アート側にはアクションペインティングにその影響を受けているのは分かる気がするのだが、対抗、あるいは反発の傾向が強いように思うのです。
このふたつのムーブメントには、感性の上では、どうにも超えられない、深い断絶があるように思えてなりません。
創造行為そのもののロマン主義的な純粋化と聖化
生の一回性への激しい思い入れ
自発性への多分に無邪気な信仰
クールな相対化
知的な懐疑主義
物質文明の日常生活の場からする軽快な揶揄
今一度、大岡信氏の文章から抜き出してみると、このふたつの運動の特徴は、おおよそこのような対比になるのですけれど、ねこのきにとって、直感的に近しい感性というのは、後者のポップ・アート側、と感じられます。それはまあそうだよね。
そして、村上春樹もまたデビュー当初から、どちらかといえば後者の感性に立って、あるいは表現上の特徴として積極的に活用して小説を書き続けているように思えます。
やっと出てきたな、村上春樹。
してみると、ねこのきが最初書いてた、伊藤整の「近代日本の発想の諸形式」理解でいんじゃね?はいったい何なだったのだという疑問がでてきてしまいます。伊藤整の文章は、明らかに、戦前の感性の色濃い文章なのだ。どこか間違っていたのだろうか。
うん、よく考えたら、あれはあくまで、「近代」までの物差しであって、村上春樹の表現の中にある、近代的発想の形式を図る物差しと割りきって考えれば、あくまでその物差しの目盛りの範囲内に置いて、さして間違ってはいと言えなくもナインジャナイカナーというわけでひとまず解決。てへぺろ。
だから、また再びこのなんだかよくわからない文章を書き継ぐというのは、自分でもまさか続き書くとは思っていなかったけど、いわば、断絶のこちら側、の視点を全く考慮に入れていなかったんだな。と気づいてしまったからです。現代的要素というものが、まったく目に入らない状態になっていたのだろうとおもいます。
でも、ネットだろうと書評だろうと、ほとんどのものが、「断絶前」の観点のものしか見当たらないと思うんだけどにゃあ。
だから、ねこのきは、ポップアートがすべてを塗り替えてきた時代に生まれた、なんか猫っぽい名前の何かとして、今一度「騎士団長殺し」を読み直したらどうなるか、を書かなければならない、と思ってしまったのです。
でもどうやったらいいんだろうね?
ひとまず、あの長い小説をまた読み返すのは大変なので、ぼちぼちナナメ読みしつつ、新たな読み方を探る、そのためのメモ書き程度のものになると思いますが、またちょっとだけ続けてみることにしたのです。
そういえば、佐野元春はあの時代、なぜ『ザ・サークル』のビデオクリップで、アクション・ペインティングを取り上げたんだろう。そのあたりの事情はさっぱりわからない。
ただ少なくとも佐野元春があのビデオクリップを作らなければ、今こんな断絶に気づくこともなかったのだよなあ。
そういえば『ザ・サークル』で佐野元春はこう歌っていた。
「少しだけやり方を変えてみるのさ」と。
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