(2)

 夕食後に三人を召集し、私の計画を伝えた。いろいろ考えてはみたが、各人の真意をつまびらかにした上で関係者の総意で解を探るしかあるまい、と。


「それでな。済まんが、謁見に立ち会ってもらいたい」


 ぎょっとしたように、三人が立ち上がった。


「う……わ」

「海竜のお城なんですよね」

「あ、あたしたちが、かい」


 ペテルは、腰が引けている。

 びびりのソノーは、今からもう泣きそうな顔をしている。

 アラウスカも、あまりいい顔はしていない。火術使いが水妖の本拠地に出向くことは、本来禁忌なのじゃろう。


「のう。お主らにとって、レギオンの居城は敵地に近い。違うか?」


 三人が顔を見合わせた。


「それは、チルプにしても同じことよ。言いたいことが何も言えぬようになる」

「あ……そうだ。そうですよね」


 ソノーが唇を噛んだ。


「もし我々が真にチルプを案ずるつもりならば、同じ立場にならぬ限りあやつの気持ちがわからぬ」


 三人が。揃って大きな溜息をついた。


「そうだね」


◇ ◇ ◇


 チルプを伴ってレギオンの居城を訪ねた我々は、小さな謁見室で相見えた。


「王、オルデンどの。私のわがままを容れていただき、かたじけない」

「いや、お主のことじゃ。何かゆえがあるのであろう?」


 レギオンが配慮してくれたことで、いくらか気が楽になった。


「まず。王とオルデンどのに一つ申し上げたいことがございます」

「ふむ。なんであろう」


 私は呪文を唱え、レギオンとオルデンをうんと小さくした。


「な!」

「こ、これは……」


 そのまま、顔を寄せて話しかける。


「王。オルデンどの。この状態で、私の話を冷静に聞けますでしょうかの?」

「……」


 王とオルデン卿が顔を見合わせた。


「身分の差、立場の差。そうしたものが目の前に立ち塞がっておると、本心が言えなくなりまする」


 顔を伏せていたチルプが小さく頷いた。


「うん」


 呪を解くと、二人が元の大きさに戻った。その途端、再び緊張が部屋を満たした。レギオンはその落差が体感できたことであろう。


「なるほど……」

「次に」


 左手を掲げ、呪文を唱える。


「レテ」

「え?」

「ちょ、ちょっと」

「うわわ」


 いきなり、全員の右手がなくなる。もちろん、私もじゃ。


「ははは。隠しただけでありまする。取り去ったわけではありませぬ。それでも」


 左手だけで何かをしようとすると、不便極まりない。


「のう、王。オルデンどの。我々は普段両腕が揃った状態で生活しておりまする。それが突然このように失われると、茫然自失になりましょう」

「う……ぬ」

「されど、チルプには最初から右腕がありませぬ。右腕を欠いておることに何の不自由も感じないのです」


 王とオルデン卿が再び顔を見合わせる。チルプは柔らかく微笑んでおるのみ。


「のう、チルプ。それであっておるか?」

「川で言った通りだよ」

「うむ」


 もう一度左手を上げて呪文を唱え、隠していた右腕を戻す。


「ライテス」


 全員、ほっとしたように右腕を動かした。身を乗り出し、オルデン卿に確かめる。


「のう、オルデンどの。貴君あなたは、優しい風のようなチルプに惹かれたのでありましょう?」

「はい。お察しの通りでございます」


 少しく頬を赤らめたオルデンがチルプを見つめる。


「されど要らぬ右腕を足せば、風は風でなくなりまする。先ほど右腕を隠された時の不安感。チルプは常時それを抱えて生きねばならぬのです」


 ずっと絶えなかったチルプの優しい微笑みがすんと消えて、目が伏せられた。そよ風が絶え、代わりに蒼茫が流れ込み始める。


「あ……」


 空気の変化を感じ取り、オルデンの顔色が変わった。


「オルデンどのがとても真摯にチルプを想っていることはよくわかりまする。チルプも、貴君の想いを好意的に受け止めておるでしょう」


 チルプが小さく頷く。


「されど、たった右腕一本のことで、全てが壊れてしまいまする」


 魔術は道理を曲げる力。曲げられることを受け入れぬ者には本来行使できぬ。いかなる報酬を積まれても、じゃ。

 私の拒絶だけでは足らぬと思うたんじゃろう。意を決したように、アラウスカが口を開いた。


「あたしゃ、こんなに誰からも受け入れられる娘さんを見たことがないんだ。それはチルプがチルプだから叶うことさ」

「わたしもそう思います」


 震え声だったが、ソノーもしっかり答えた。ペテルも後押しする。


「王」

「なんじゃ」

「提案がございます」

「申してみよ」

「オルデンさまを三日間、ゾディアスさまのお屋敷に客人として派遣されてはいかがでしょう?」


 相好を崩したレギオンは、ペテルの提言を手放しで褒めた。


「はっはっは。お主、本当に知恵者じゃな。どうじゃ、オルデン。見初めた娘の真の姿を見ることは、とても大事なことであろう?」


 あとに引けなくなったオルデンが、苦笑とともに提案を受け入れた。


「かたじけない。それでは、お世話になりまする」

「ははは。それは魔術の行使ではありませぬゆえ、報酬一切不要。どうか三日間、心安く過ごされますよう」

「ありがとうございます」


◇ ◇ ◇


 その三日間、私は魔術でオルデンとチルプに人型を与え、地上で暮らさせた。勝手の違う地上暮らしを通し、オルデンに立場の違いによる不自由さを体感してもらいたかったからじゃ。前回家政婦を依頼した時と違って右腕を補わなかったが、チルプは隻腕を全く意に介さなかった。己の出来る範囲でせねばならぬことを淡々とこなす。どこに在っても、それがチルプじゃからの。

 チルプという風は三日間屋敷をふわりと満たし、オルデンをも苦もなく抱きかかえた。海竜王居城での激務を離れて気楽な客人として過ごしたオルデンはすっかりかみしもを脱ぎ、恋人であるチルプとの語らいの時を心から楽しんだようじゃ。チルプもまた、穏やかで誠実なオルデンの姿を見て安心したんじゃろう。


 至福の三日間が過ぎたのち、オルデンは改めてチルプに求婚した。


「どうしてもそなたの右腕が必要な時は、私がそなたの右腕を務めましょう」


 それが求婚の言葉じゃった。屈託無く微笑んだチルプは、今度は快くオルデンの求婚に応じた。


「あたしなんかで良ければ」


◇ ◇ ◇


 高位の海竜が下等水妖と所帯を持つことは異例中の異例じゃ。しかもオルデンはレギオンの側近。オルデンの親兄弟を含め、チルプを好ましく思わぬ者は大勢おったじゃろう。されどチルプと共にあれば、その優しい風の意味と真価はすぐにわかる。オルデンが最初に危惧した不協和音の三角波はすぐに収まり、二人の周囲は穏やかに凪いだ。レギオンから二人が仲睦まじく暮らし始めたことを聞かされ、本当にほっとする。じゃが、王側近の妻となればそうそうここには来られまい。それだけが残念じゃな。


 川岸に立ち、顛末を思い返しながらせせらぎを眺めておったら、小さな水音がしてチルプがひょいと顔を出した。なんと!


「ぬぅ。お主、もう婚家から暇を出されたわけではあるまいな」

「あはは。違うよ」


 チルプの横からオルデンまで顔を出したのを見て、思わずずっこける。


「おいおい」


 オルデンが照れながら言い訳する。


「王には許可をいただいておりまする。風を閉じ込めれば、風ではなくなる。私はそれを恐れますれば」

「はははっ! 確かにそうじゃな。まあ、ここに来た時にはのんびり過ごしてくだされ。私は一切咎め立ていたしませぬ」

「ご配慮いただき、ありがとうございます」


 そろって無邪気な笑顔を見せた二人は、競うようにして水中で戯れ始めた。


 夏が遠ざかり、秋が近づく。空も川水も徐々に熱を失い、青を鋭く硬くしてゆく。されど……頑なな蒼茫の中にあっても常に変わらぬものを目のあたりにし、私は今一度心を温める。


「一つ一つの幸福をひたすら連ねることでしか、世の安寧は得られぬ。そういうことじゃな」



【第五十七話 蒼茫 了】

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