第三十六話 月花

(1)

 三日間降り続いた雪が止んで。一面の新雪の上に月光がきらきらと跳ね散らかっている。ここしばらく別れや騒乱が真冬に心を騒がしたが、今年の冬は穏やかに過ごせそうじゃな。


 私は、夜空から降り注ぐ冴えた月光を差し返すように、こうべを上げてふっと細く息を吹きかけた。それはほんのひと時だけ月光を纏い、すぐさまほどけて闇の藍に融けた。


「ふむ。テオもジョシュアも、元気でやっておるかの」


 時折届いていたテオからの文が絶えて久しい。それは、二人が危機に陥っているからではなく、ひどく遠い土地を巡っておるからじゃろう。ジョシュアにはなむけとして持たせた山羊の角笛は一度も吹き鳴らされておらぬし、テオの額の竜鱗が発動した気配もないからな。


 あのやんちゃ坊主も、少しは落ち着いたんじゃろうか。マルタのように好戦的でないとは言え、ジョシュアの無鉄砲も筋金入りじゃからな。されど。もし悪党やあやかしと戦って打ち負かしても、つまらぬ余興にしかならぬ。それより諸国の民草と交わって、その暮らしぶりや物の考え方をしっかり会得して欲しい。それこそが修行じゃからな。まあ、テオが付いておる限り道から逸れることはないと思うが。


 満月を仰ぎ見ながら思案を巡らしておったら、背後にマルタの気配が。


「おお、マルタ。どうした?」

「いや、おっさんが珍しくぼーっとしてたからさ」

「ぼーっとはしとらんよ。テオとジョシュアが修行のために屋敷を出て久しい。元気でやっておるか、ちと考えておっただけじゃ」

「ふうん。そんなやつがここにいたんかあ」

「お主とは入れ替わりになったからな」

「そいつら、強いの?」

「ジョシュアはメイと同じくらいの子供じゃ。じゃがテオは、お主が百万回挑んでも勝てんな。あやつは、ガタレの竜と単騎で仕合いが出来る唯一の騎士じゃからな」

「げ……」

「ただ、そういうつよさが自ずと分かる姿態ではない。普段は無口で、控えめな男じゃ」

「ふうん。変わってんだね」

「まあな」


 おお、そうじゃ。


「のう、マルタよ」

「うん?」

「お主は、いつここを出る?」


 急かすつもりも引き止めるつもりもないが、マルタが発った後の算段をしておかねばならぬからの。


「うーん……」


 即座に返答が返ってくると思ったが、マルタは腕組みしたきり黙り込んでしまった。おや?


「どうした?」

「いや……婆さんにさんざん脅かされててさ。あんたみたいな世間知らずは、いきなり大海原に出たらすぐ沈没だよって」

「はっはっは! アラウスカも心配性じゃからな」

「いや、婆さんの言うのも一理あると思ってさ」

「ほう?」

「ボルム遠征の時も、蜂退治の時も、僧院の火竜退治も、結局おっさんが段取り付けてくれて、あたしはそれをこなしただけなんだよね」


 ふむ……ちゃんと分かっておったか。


「一人になればなんでも自分で決められるけど、その結果も全部あたしが引き受けないとなんない。最初は浮かれてたけど、よーく考えたらそれってすごくヤバいんじゃないかなって」

「ああ、それは至極まともな考え方じゃな」

「そうなん?」

「そうじゃ。今ソノーやメイ、レクトをスカラに通わせている意味。いろいろなことを学ばせている意味。それは、今お主が言ったようなことをきちんと自力でこなせるようにするためじゃ」

「ふうん」

「お主にはそのステージがない。それは使い魔であったお主にとって仕方のないことじゃ。あとは実践の中から学んで、ひたすら積んでいくしかない。それをどうするか、じゃな」

「そうかあ」


 そうじゃな……。


「のう、マルタ」

「うん?」

「ソノーやメイを初めてスカラに行かせた時にも、嫌がる二人に無理やりという形にはせんかった」

「お試しにしたんだっけ」

「そうじゃ。お主も同じで、まずはお試しにしてみてはどうじゃ」

「お試し……かあ」


 ぴんと来ないのか、マルタがひょいと首を傾げた。


「実は、一つ厄介なことが起こりつつあってな」

「へ?」

「お主と一緒に、ミスレの僧院に火竜退治に行ったじゃろう?」

「うん」

「あの辺りは北辺じゃが、そのまま山伝いにずっと西へ行くと、キルヘとの国境に広がる砂漠に出る」

「ふうん、キルヘ……か」

「そうじゃ。キルヘは、国土は広いが水の乏しい国でな。王都トルランの周辺以外はほとんど砂漠じゃ」

「うん」

「そのキルヘの王、バスコムどのから私宛に請願が届いておる」

「なんだって?」


 私は新雪を一握りすくい取ると、それを宙に投げかけて呪を唱えた。


「わっ!」


 異様に首の長い竜形の怪物が突然出現して、驚いたマルタがとっさに防御姿勢を取った。雪が化身した怪物は、すぐにマルタに襲いかかった。マルタは苦内を振るって化物の首を正確に切り裂いたが、その傷口はすぐに塞がった。


「げっ! これって……」

「ボルムの王宮でお主が戦った亡者と似ておるな。原理は違うが」


 再度マルタを襲おうとしていた怪物に向かって呪を唱え、それを雪に戻す。小さな咆哮を残し、怪物はさらりと崩れて雪に戻った。


「ふう……なあ、おっさん。今のは?」

「雪で作ったが、実物は砂で出来ておる」

「砂……か」

「そう。武力で国土を広げていたグルクが西域には手を出さなかった理由。それが、そいつじゃ」

「うわ」

砂竜サンドワーム。竜とついてはいるが、でかい虫じゃな」

「……」


 マルタは、かすかに不快感を顔に出した。そうじゃな。お主もかつては虫であったからの。


「そいつは、潜んでいる砂地に生あるものが通り掛かれば、それが何であっても襲って食らってしまう」

「ふうん」

「キルヘのような乾燥地は、灌漑で土地を潤さねばすぐに砂漠に戻る。砂竜が跋扈するようになれば、農民が食われて農地が保てなくなり、遠からず国が滅んでしまう」

「あっ! そうか。それを魔術で何とかして欲しいってことね」

「そうじゃ」

「請けるの?」

「請けぬ」

「えっ?」


 マルタが、大きなまなこをぽんと見開いた。


「なんでー?」

「魔術で砂竜を根絶やしにするのは容易い。じゃが砂竜がおらぬようになれば、ボルムとキルヘの間の往来を遮るものがなくなる。グルク亡きあと、ボルムはまだ乱れたままじゃ。その乱れに乗じてキルヘが攻め込むと、世の中がひどく騒がしくなる」

「うーん……そういうことかあ」

「キルヘを守り、されど砂竜も退治せずに済む方法。お主はそれを考え、向こうで実行してくれ」

「げげーっ!!」


 仰け反ったマルタが、雪の中にどすんとひっくり返った。


「はっはっは! 今すぐというわけではない。雪があるうちは、ここケッペリアの中ですら自由に動けぬゆえな」

「うん」


 ほっとしたんじゃろう。起き上がったマルタが、雪を払いながら月を見上げる。


「まあ、それが今生の別れではない。先に言うたように、あくまでもお試しじゃ」

「お試しにしては厳しいよう」


 珍しく、マルタが泣き言を漏らした。


「まあ、今宵は雪も収まり、月がきれいじゃ。面倒なことは考えず、それを楽しむがよい」

「へえい」


 マルタが月に向かってふうっと漏らした吐息は、美しいが鋭い月光に押し返されるようにして、あっという間に闇に消えた。


◇ ◇ ◇


 翌朝。昨日の好天が嘘のように分厚い雪雲が空を覆い、辺り一面が白い悪魔の手に落ちた。


「昨日だけかあ……」


 執務室で吹きすさぶ吹雪の咆哮を物憂げに聞き流して居たマルタが、掃除の手を休めて窓辺に寄った。


「まあな。今年は本格的な冬が来るのが遅かった。その反動が今出ているんじゃろ」

「ふうん」

「あのー」


 こそっと部屋に顔を出したソノーが、私の顔を見て視線を泳がせた。マルタがいるところで話をしてもいいものかどうか迷ったんじゃろう。厄介な依頼が来たかの。


「なんじゃ」

「お客様が……」

「はあっ?」


 素っ頓狂な声を出したのは、私ではなくマルタだった。


「こんな猛吹雪の日にー?」

「そうですー」

「うそー、あたしは何も感じなかったけどな」

「ふむ」


 まあ、会ってみればゆえが分かるじゃろう。


「ここに呼んでくれ。マルタは席を外すように」

「へーい」


 いささか不服な様子で、マルタが部屋を出て行った。昨日私が課した課題。マルタは解決のヒントが欲しかったんじゃろう。じゃが、此度ばかりは口出しをせぬ。お主自身の力で解いて欲しい。なに、難しいことではない。あくまでもお試しじゃからな。


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