(2)

 マルタが厨房で夕飯の支度を始めたのを確かめてから、来訪者を部屋に通した。私を訪ねてきたのはマルタくらいの年の小柄な女性。顔も手足も薄汚れた旅姿じゃが、立ち居振る舞いにとても気品がある。粗末ななりは偽装なんじゃろう。浅黒い肌、髪は黒く短い縮毛ちぢれげ目力めぢからが強く、引き締まった身体からだからは覇気が溢れていた。女は、私の前に片膝をついて屈んだ。それは宮廷の女たちの仕草ではない。兵士の振る舞いだ。


「ゾディアスさま。お初にお目にかかります。わたくし、ウェグリの守将を務めておりますイルミン・クルキスと申します」


 やはりか。


「それはそれは。厳冬期、ここまで辿り着くのは難儀なことじゃったでしょう」

「覚悟の上でございます。どうしても奏上いたしたい請願を携えて参りました」

「ふむ。どのような内容ですかな?」

「ゾディアスさまのもとに、キルヘの王バスコムから砂竜退治の請願が寄せられているかと」

「うむ」

「それを、請けないでいただきたいのです」

「砂竜を滅する魔術を使わないで欲しいという請願ですな」

「はい」

よしは?」

「キルヘは、かつてウェグリの属国でした。されど、バスコムらの謀反で我らが王が誅殺され、主客が逆になってしまいました」

「ふむ」

「わたくしはウェグリの旧臣として、ウェグリに受け継がれてきた血族、財宝、国璽を守る義務があります。砂竜は我が国の守護を担う兵。それをゾディアスさまに退けられてしまうと、わたくしどもは兵を失って滅んでしまいます。何卒、バスコムの請願を却下していただきたく」

「そういうことでしたか……」

「はい」


 私は、イルミンの着席を促した。


「まあ、まずはお掛けになってくだされ」

「ご配慮、恐れ入ります」

「いや、厳しい長旅でお疲れでしょうからの」


 疲労の色が濃かったイルミンは、ほっとしたように立ち上がると椅子の上にゆっくり腰を落とした。


「そうじゃな。私は、どちらの請願も容れるつもりはありませぬ」

「なぜでございましょう?」

「私は、片田舎に住まう一介の世捨て人でありますれば、国同士の諍いには興味がありませぬ。いずれがいずれを滅ぼすにしても、それは人同士のくだらぬ争いごとに過ぎぬ。それが私の理念でありまする」

「……さようですか」

「されど、行きがかり上否応無しに関わってしまうことはありまする。ボルムとサクソニアとの諍い、ここルグレスと隣国クレスカの諍い。いくさに加担する形ではありませぬが、筋を通すため一方に手を貸しました。されど、最小限の力の行使であっても結局ボルムとクレスカの王家が滅び、世の乱れを生んでおりまする」

「ええ」

「それは私の望むところではありませぬゆえ、貴国の依頼だけではなく、いかなる国の加担要請も請けるつもりはありませぬ」


 あからさまに落胆の表情を浮かべたイルミンであったが、キルヘの請願も請けぬということであれば、それが次善であると割り切ったのであろう。深々と頭を下げた。


「承知いたしました」

「ただのう」

「ええ」

「私には、キルヘとウェグリのどちらの言い分に理があるかは分かりませぬ。されど、砂竜がどのように動くのかは分かりまする」

「……」

「そやつらが何の罪科つみとがもない民草を無差別に殺めるのであれば、私は愚行を看過出来ませぬ。それだけはご承知おきいただきたい」


 ぐっと詰まったイルミンは、そのまま言を失ってしまった。


「正義というのは、勝者しか口にせぬことでありまする。敗者に落ちぶれれば、いかなる正義も絵空事。さりとて、はかりごとを巡らせ不正に勝者の地位を奪還すれば、その正義はまやかし。私は」


 吹きすさぶ吹雪の哄笑に、苦言を足す。


「そんなくだらぬことには、決して関わりたくありませぬ」


◇ ◇ ◇


 イルミンは、砂竜を操りキルヘの糧道を断つことでバスコムの降伏を促すつもりだったんじゃろう。だが、その作戦の被害に遭うのは最後の最後まで下々の民草じゃ。


 私がどちらの請願も請けぬと言った真の理由。イルミンは、それを理解したはずじゃ。すなわち、私はバスコムの請願は請けぬが、それとは別個に砂竜の掃討は行うかもしれぬということを。その時には、ウェグリの請願は決して容れぬということを。ウェグリの再興策が潰えたことで、イルミンの落胆ぶりは目を覆わんばかりであった。


「どれ、雪見でもいたしましょう」


 私はイルミンを、吹雪がやっと静まった戸外に連れ出した。雪雲が切れた隙間から月光が再び降臨し、雪面を青い花園のように浮き立たせている。


月花げっか、か」

「月花……でございますか?」

「西方では雪は降らぬ。さようでございましょう?」

「ええ」

「それならば、月に照らされた雪景色を花に見立てることも出来ませぬ」

「……」

「イルミンどのの知りうることが広がれば。必ずや違う世界が。ウェグリでもキルヘでもないものが見えてくるかと」

「さようでしょうか?」

「ははは。イルミンどのは、そのお年ですでに国に身を奉じておる。まだお若いのに、何もかもがそこで凝り固まっておる。それでは、見えるはずの月花も見えませぬ」


 月に向かって手を伸ばし、差し掛かる光に呪を唱えて一輪の花に変えた。


「あ……」

「手を」

「はい」


 光を掬い取るようにして両手を差し出したイルミンの手のひらの上に、花をぽとりと落とした。それは……瞬く間に姿を消した。何の痕跡も残さずに。


「そうなる前に。見るべきものを見、知るべきことを知ってのちに思索を編むことをお勧めいたしまする。一度国という重荷を解いて、イルミンどの御自身が如何すべきかをしっかり考えられた方がよろしいでしょう」

「ええ……」

「イルミンどのが介助を欲するのであれば、それを請願として承けましょう。ウェグリに戻られるまでの間に、幾許かでも見識を広められますよう」


 少しの間思案していたイルミンであったが、私の申し出を受けた。


「そうですね。御助力をお願いできますでしょうか?」

「はっはっは! それは喜んでお承けいたしまする。イルミンどのは、道中の難を避けるために、砂竜に掘らせた地下道を辿ってこちらまで来られたのでしょう?」

「ええ」

「日のない世界では、何一つ見えませぬ。国に帰られるのを雪解の後にし、陸路をお取りくだされ。その際、護衛を一人付けますゆえ」

「とてもありがたいお申し出なのですが、わたくしの支払うべき報酬は?」

「イルミンどのより、もっと世情に疎い者が一人おりましてな。そやつに常識というのを教えてやって欲しいのじゃ」

「は?」

「マルタ!」


 ひゅっ。小さい風音とともに、大きな黒い瞳を月の光で濡らしたマルタが足下に控えた。


「なに?」

「来春のお主のミッション。こちらにおわすイルミンどのと二人で果たしてくれ」

「えー? 砂竜退治を、この人とー?」


 ぎょっとしたように、イルミンが飛びすさった。


「マルタ! 私が言ったことをきちんと覚えてくれ。こう言ったはずじゃ」

「うん?」

「キルヘを守り、されど砂竜も退治せずに済む方法を、お主が考えろ、とな」

「あ、そうだった」


 全く。困ったやつじゃ。


「女二人ならば、道中山のように苦難が降りかかる。お主の暴れ癖は、そっちで消費してくれ」

「へーい」


 じろじろとイルミンを見回していたマルタは、何も言わずにさっと姿を消した。


「あの……」


 イルミンがひどく困惑している。


「あの方は?」

「ああ、うちの家政婦なんじゃが、放浪願望がありましてな」

「放浪願望……ですか」

「さよう。イルミンどのとは正反対で、あやつは何物にも縛られぬ風。ただ、風ゆえにふらふらと方角が定まらず、どうにも危なかしくてしょうがないのじゃ」

「はあ」

「少しは地に足を付けて思案出来るようにならぬと、すぐに往んでしまいまする」


 マルタとイルミンは性格が正反対ゆえ、互いに馴染むということは決してなかろう。じゃがこれから新たな道を切り拓く要があるのならば、二人とも己と異なる思考や感情を持つ者とどう折り合うかを考えねばならぬ。その慣らしは必要じゃろうて。


 ゆっくり顔を上げ、月を見上げる。雪解とともにたくさんの旅立ちが始まる。それを押し留めることは私にも出来ぬ。それならば……。


 ちらちらと舞い降り始めた雪に呪をかけて、小さな花に変えた。それはほんの一瞬だけ月の光を浴びて形をなし、すぐに闇の底に消えてゆく。


「イルミンどの」

「はい」

「これからしばらく、屋敷でゆっくり疲れを取ってくだされ。どのみち今は雪で動けませぬゆえ」

「よろしいのですか?」

「世を見るのならば、まず危険のないところから始めるのがよろしいでしょう」


 ふうっと大きな吐息を闇に溶かしたイルミンが、煌々と冴えた月を見上げた。


「それでは、お言葉に甘えてしばしお世話になります」



【第三十六話 月花 了】

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