第三十一話 土塊

(1)

「大丈夫ですかねえ」


 気温がぐんぐん上がり、ソノーがもっとも苦手にしている夏が到来した。じゃが、ソノーの元気がないのは暑さのせいではない。


 竜に身体を捧げて男に転じたクレオであったが、結局中身はずっと女のままじゃった。アメリアの生き様に触れて気持ちを奮い立たせ、見切り発車で両親探しの旅に出たものの、あのへっぴり腰ではソノーでなくとも心配するじゃろう。もちろん、私も心配なんじゃが……。


「遠くへの旅になるんですか?」

「いや、クレオの話だと、生き別れになったのはオコテアの辺りだそうじゃ」

「オコテア、かあ」


 さっと書庫に行ったソノーが地図を持って戻ってきた。先のクレスカとの騒動で地理を勉強したソノーは、すっかり地図好きになったようじゃ。怖がりで遠出を嫌うソノーは、居ながらにして世界を旅することが出来る地図が気に入ったんじゃろう。


「へえー。違う国かと思ったら、ここと同じで、うちの地方の名前なんですね」

「そうじゃ。ここケッペリアは北東の辺境じゃが、オコテアは南西の海沿いじゃな」


 細い指で地図をなぞっていたソノーが、ひょいと顔を上げて尋ねた。


「クレオさんは、アラウスカさんが連れてきたって言ってましたけど、遠くからですか?」

「いや、クレオはケッペリアの商家の下女じゃったのよ。ここにも来たことがあったらしい」

「ううー、覚えてないなー」

「ははは。お主が、アラウスカに仕事を取られて暇だった頃じゃな」

「そっかあ。あの時はいっぱい来てたから」

「アラウスカは、来た女たちをよく覚えておる。さすがじゃな」

「はい!」

「クレオがまだ女だった頃に、その身の上を聞き出したんじゃろう」


 ソノーが、地図を見下ろしたまま疑問を口にした。


「オコテアとケッペリアは、同じ国なのにすごく離れているんですね。オコテアで親からはぐれたあと、どうしてケッペリアに来たのかなあ」

「まだクレオが幼い頃じゃろう。クレオはそれを覚えておらぬはずじゃ」

「……捨てられた……とかですか?」

「その可能性もある。じゃが、私は違うと思う。難を避けてオコテアを離れる者に託されたんじゃろう」

「どうして分かるんですか?」


 顔を上げるなり首を傾げたソノーに、種明かしをする。


「名を残しておるからじゃ」

「ああっ! そうかあ!」

「じゃろう? 親から捨てられたのなら、拾うたやつが新たに名付けをする。少なくとも姓は養親のものになる。お主、メイ、レクト、エルス。みな私の姓を持っておる。それは帰属を明らかにする上でとても大事なことよ」

「ふうん」

「姓がなく、名しか持たぬ者は寄る辺がない。誰からも一人前に扱ってもらえぬからの」


 ひっそりと顔を伏せたソノーが、わずかに頷いた。スカラの同じクラスには、名しか持たぬ友がおるのじゃろう。


「じゃが、クレオはミノス姓を持っておる。預けられた時に姓を剥奪されなかったこと。それは、ミノスという家が決して低くない地位にあることを示している」

「そういうことなんですか」

「ああ。おそらく、難があっても離任出来ぬ執政官や兵士長が親だったんじゃろう」

「結構、いいとこのお嬢さんてことですか?」

「そこそこのな。郡司の域になれば、子息を手放すことはないはず」

「あ……」


 私は、地図のオコテアの位置にとんと指を置いた。


「つまり。オコテアにさえ辿り着ければ、クレオが親を探し当てるのはそれほど難しくないのじゃ。両親が生きておればな」

「あのう。クレオさんが避難しなければならないくらい、大きな災難があったんですか?」

「あった。国同士の争いではなく、竜難じゃな」

「えええっ! ガタレの竜ですか?」

「違う。竜にもいろいろあるからのう」

「うわっ! 知らなかった」


 目をまん丸にしたソノーが、私の指差した先をじっと見つめている。


「この前マルタと一緒に討伐に行ったミスレの僧院には、火竜サラマンダーが潜んでおった。砂漠には砂竜がおるし、海には海竜がおる」

「ひいいっ」


 ソノーは、目を固くつぶってぶるぶるっと身を震わせた。


「ははは! ガタレの竜の直下におったお主には、恐れるものなぞあるまい」

「いやああああっ!」


 ははは、あの頃のことは思い出したくないんじゃろう。じゃが、ガタレの竜は他の竜と違ってほとんど居所を出ぬ。巣に出向かぬ限り、竜難に遭うことはない。


 こわごわオコテアの位置に目をやったソノーは、地図の海岸線を指でなぞった。


「そうかー。海竜が暴れたってことですね」

「その通り。力を使えなくなるゆえ、海竜は陸に上がらぬ。じゃが高位の竜は水を自在に操るゆえ、高波や豪雨がオコテアを襲ったんじゃろう」

「誰かが竜を怒らせたんですか?」

「さあ。それは私には分からぬ。オコテアは壊滅せず、今でも大勢の人が住まっておるゆえ、竜の怒りが治ったということじゃろう。誰かを生贄に捧げたのかもしれぬな」


 はあっと大きな溜息をついて。ソノーがゆっくり顔を上げる。


「やっぱり。わたしは、どうしても竜が好きになれないです」

「それは仕方あるまい。お主にはお主の、竜には竜の生き方しか出来ぬゆえな」

「は……い」


 地図をたたんだソノーが、一礼して執務室を出た。


「水浴びしてまいります」

「そうじゃな。暑くなってきた」

「はい」


 ぱたぱたと駆け出していくソノーの足音を聴きながら、私はようやく緑の戻ったメルカド山を見やった。


「ソノーは……どのような選択をするか、じゃのう」


◇ ◇ ◇


 午後。真夏の強靭な日差しが容赦なく照りつけて、ケッペリアはこの夏一番の暑さとなった。草木が色を失って萎れ、立ち上る陽炎にかき乱された地面が揺れ惑って、己の足元すらおぼつかぬ。もともと暑がりのソノーだけでなく、我慢強いメイまであまりの暑さに悲鳴を上げることになった。


「ううむ。これはたまらぬ」


 屋敷の中は、蒸し風呂を通り越してまるで鋳掛け屋の炉の中じゃ。いかな私でも、依頼の有無がどうのこうのと言っておられぬ。屋敷裏の川水を魔術で高々と持ち上げ、滝のように落とした。


「わあいっ! レクト見参! おりゃあああっ!」


 素っ裸になったレクトが、歓声を上げながら水のすだれの中に突っ込んでいく。昨年までは同じように裸になっておったソノーじゃが、レクトが屋敷に来てからは、肌の過度な露出を嫌がるようになった。いかな子供でも、男女の差は意識しておるということじゃな。もちろん、胸の膨らみが目立ってきたメイもそれは同じじゃ。ソノーもメイも薄衣うすぎぬを着て、水を浴びておる。

 それでも、水が心の縛りを解くことは年を経ても変わらぬ。子供らは賑やかに水を掛け合い、流れを蹴散らすようにして走り回っていた。


「エルスはまだ水を怖がっておるのか?」


 エルスを抱いていたアラウスカが、そっぽを向いていたエルスの頬をちょんとつついた。


「あはは。違うよ。誰も一緒に遊んでくれないから、すねてるのさ」

「マルタは買い物に出かけておるしな。仕方あるまい。今日は私が遊んでやろう」


 私が女体に変わろうとしたその時じゃった。水のとばりの向こうから、客が来るのが見えた。


「やれやれ。この猛暑の中、ご苦労なことじゃ」


 客の放つ気配を察したアラウスカが、顔をしかめた。


「上客じゃなさそうだね」

「ああ。予想はしておったけどな。クレオ絡みじゃろう」


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