(2)

 よく日の当たる執務室はかなり暑くなっておったゆえ、客の女性を広間に案内した。執務室と違って住人がみな居合わせておったものの、女性は人払いを求めるつもりがないらしい。ソノーが言っておったように、初老じゃがとても品が良い。銀髪で顔の彫りが深く、若い頃はさぞかし美人だったのじゃろう。しかし、そういう美醜を通り越したとところにおる、ほんに不思議な雰囲気じゃった。


「わたしは、アメリアと申します。ゾディアスさまには、初めてお目にかかります」

「うむ。私に何用ですかな?」


 アメリアは私から視線を外すと、広間にいた住人をぐるりと見回した。


「ここにお住いの方々は、みなさん変わっておられるんですね」

「ほう? 貴女あなたにお判りになるのかな?」

「はい」


 アメリアは、メイをじっと見て少しだけ頷いた。


「あなたとその男の子だけね。普通なのは」

「!!」


 驚いたメイが、じりっと後ずさった。


「魔女。ニンフ。蜘蛛。竜器の女。針を抱く子」

「うぬ!」


 恐るべき眼力じゃ。全て見抜いておる。


「なぜお判りに?」

「わたしも普通ではないからです」


 もう一度我々を見回したアメリアは、すうっと背筋を伸ばした。


「わたしは、長くあちこちを放浪してまいりました。そろそろ落ち着き先を決めねばなりません」


 ううむ。放浪を重ねた人物にはとても見えんのじゃが。


「此度お訪ねしたのは、ぜひここに定住させていただきたいからです」

「定住、ですかな?」

「はい」

「屋敷に住まわれたいということですかな?」

「いいえ。庭に」

「は!?」


 それは、あまりに不思議な依頼じゃった。


「なにゆえ?」

「ここは人同士の争いからもっとも遠いところ。穏やかで、とても過ごしやすいからです」

「それならば、ここよりも村の方がよろしくはありませんかな?」

「村は時とともに変わってしまいます。ここの方が、永らえるのに向いておりますゆえ」

「ふむ……」


 実に変わっておる。


「もしゾディさまに定住をお許しいただけるのであれば、報酬としてわたしのこれまでの半生をお話しさせていただきましょう。ここに住まわれている方は、いずれ旅立たれるのでしょうから」


 お見通し……か。


「うむ。それは大変ありがたいことじゃ。私は一向に構わんのじゃが、本当によろしいのですか?」

「ええ」


 深く会釈したアメリアは、改めて背筋を伸ばし、ゆっくりと身の上を語り始めた。


◇ ◇ ◇


 わたしは人間ではありません。半人半精。母は人間でしたが、父が木精なのです。森に迷い込んだ母を保護した父が母を見初め、そのまま所帯を持ち、わたしが生まれました。わたしのなりは人間の女ですが、父の精を受け継いだことで極めて長命になりました。母の死後、木精ゆえに森を離れられぬ父の制止を振り切り、広い世の中を見て歩こうと考えたのです。


 しかし森のことしか知らなかったわたしにとって、人間が作り上げた世界は決して居心地のいいところではありませんでした。わたしは極めて老いるのが遅い。なので、同じ場所に住み続けるとすぐに気味悪がられてしまいます。わたしは望むと望まざるに関わらず、放浪を続けなければならなかったのです。

 何を見ても新鮮だった最初のうちは放浪生活が苦にならなかったのですが、世慣れしてくるにつれて、根無し草のような生き方が段々辛くなってまいりました。伴侶を迎えようにも、相手が人間の男では必ずわたしよりも先に逝去してしまいます。わたしと同じような半人半精の男がいないかと随分探し回ったのですが、とうとう出会うことが出来ませんでした。


 もしわたしが木精そのものであれば、森に帰れば済むこと。でもそれを、半分残った人間の血が許してくれません。人から離れた途端に、寂しくて寂しくてたまらなくなってしまうのです。それゆえ、此度ここに寄せてもらえぬかとお訪ねした次第です。


◇ ◇ ◇


「もしや……」


 胸騒ぎがして、急ぎアメリアに尋ねた。


「もしやそなた、すでに木化が」

「はい」


 アメリアが服の裾を少しだけ持ち上げた。そこに見えた二本の脚は、すでに樹皮に覆われつつあった。そうか。それで庭じゃったのか。


 アメリアは顔を巡らし、マルタの大きな目を捉えた。


「あなた、これから旅に出るのでしょう?」

「ああ、そのつもりさ」

「帰るところを決めておいた方がいいわ。いくらあなたが風でも、吹き寄せる場所が要るから」

「うー、定住はしたくないなー」

「それは、場所でなくていいの。仕事でも伴侶でも仲間でもいい」

「あ、なるほどー」


 真剣な表情でマルタが頷いた。続いて、アメリアがクレオに目を向けた。


「あなたはすぐに旅立ちね」

「はい」

「同じことを言うわ。どこに帰るかを決めて、それから旅に出た方がいい。そうすれば、何があっても耐えられる」


 最後に子供達に慈しみの目を向けて。またも同じ言葉を繰り返した。


「あなたたちもよ。どこに帰るか。それを考えて、旅を始めてね」


◇ ◇ ◇


 全てを語り終えたアメリアは、すっかり陽が傾いた庭に出て、エレアの葬られている墓とその近くに生えているにれの大樹を見上げた。


「そうね。彼女は、みなさんが悲嘆に暮れている時に慰めてくれるのでしょう。それならばわたしは、みなさんが塞ぎ込んでいる時に励ますことにいたします。大丈夫よ、まだまだ旅は続けられます、と」


 それからくるりと振り返り、屈託無く笑った。


「わたしは彼女とは違う。形は変わりますが、これからも生を保ち、新たな旅を続けます。わたしがいつもここにいることを、是非覚えておいてくださいね。お願いいたします」


 我々に向かって深々と頭を下げたアメリアは、墓所から少し離れた場所に立ち、両手を天に差し上げた。次の瞬間。


 みしみしみしっ。ぴしっ。ぱりっ。


 アメリアの足は地に食い込んで太い根株となり、差し上げた両腕が枝と化して上空に向かってぐんぐん伸びて行った。枝は高みに達すると横にも広がって無数の葉を着け、夕陽を遮って我々の上に淡い影を落とした。まるで、我々の頭上にふわりと手を置くかのように。


 それは……墓所の後ろに立っているのと同じ楡の木。じゃが、アメリアの木は若く、これからもまだ成長するやに見えた。


◇ ◇ ◇


 その翌日。何かを吹っ切ったかのように、クレオが旅立ちを宣言した。


「真実を確かめたのち、どこに帰る?」

「ケッペリアに……戻ります」

「ふむ」

「それから、こちらで商いをいたしとうございます」

「ははは。それが、お主の帰るところじゃな」

「ええ。商いにはそれほど男女の差がありません。きっと、半端者のわたしでもこなせると思います」

「そうじゃな。道中気をつけてな」

「はい! 戻りました時には、またご挨拶にまいります」

「うむ。お主の帰還を楽しみに待っておるからな」

「ありがとうございます」


 屋敷の門を一歩出たところで我々の方を振り返ったクレオは、改めて深く会釈し、そこでぴたりと動かなくなった。


「む。カエルを見て木化しよった。あやつ、本当に大丈夫かのう……」



【第三十話 木化 了】


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