(2)

 さすがに、炉の中と変わらぬ執務室に客を入れるわけにも行かず、アメリアが枝を広げている木陰に椅子をしつらえて客を迎えた。


 依頼者は、ケッペリアでは一、二を争う大商家のベグレンじゃった。ベグレンは代々ケッペリアにおった者ではない。竜難の年にオコテアから王都に逃れ、そこで商売を始めたが、商売敵の多い王都よりものんびりしたケッペリアの方が商いやすいと判断したんじゃろう。ベグレンの読みは当たった。今や多くの使用人を抱え、食料品や日用品のみならず農具や武具まで手広く商っておる。ケッペリアでは間違いなく成功者じゃ。ただ……。


 しょうがよくない。いわゆる業つくばりの最たるものじゃ。


 倹約に努めていると言えば聞こえはいいが、その実は箸にも棒にもかからぬ守銭奴。儲け話には食いつくが、身銭を切ることを極端に嫌う。寄付や寄進なぞもっての他で、身体が銭で出来ておるのではないかとさえ思えてしまう。

 これで血も涙もない金貸しをやるようになれば、いよいよ人として下の下の存在になるが、貸し倒れを蛇蝎だかつのごとく嫌うがゆえに、金貸しをするつもりはないらしい。ある意味、清々しいほどがめつい。

 そういうやつが私のところに来るとすれば、クレアのことしかあるまい。すぐに詰問が始まるじゃろう。覚悟して請願を聞くことにする。


「私に何用かな?」

「決まっています。クレアは私の店の使用人です。契約がございますゆえ、勝手に出奔されるのは困ります。魔術を使って連れ戻していただきたく」

「連れ戻してなんとする?」

「契約が満了するまで働いてもらいます」

「どのような契約じゃ?」


 横柄な態度のベグレンが、懐から書き付けを取り出した。時を経て黄ばんでいるとは言え、契約書の文字には一字一句滲みや抜けがなかった。ふむふむ。


『娘、クレアをワルター・ベグレンに預ける。養育費は娘の労役で相殺されたし。クレアの父、マルコ・ミノス記す』


 なるほど。契約には期限が切られておらぬ。ベグレンの性格を熟知しておった父が、娘を中途で放り出さぬようにとあえて期限を入れなかったんじゃろう。それが裏目に出た。この契約書では、死ぬまでただ働きせよと読めてしまう。


「確かにお主の言う通りじゃな。じゃが、お主はクレアをこれまでただでこき使っておったんじゃろう。そろそろ解放してやってはいかがか」

「契約は契約ですから」


 ベグレンは、ぴしりと跳ね除けた。


「ふむ。そうじゃな。ではこうしよう。お主の依頼は請けるゆえ、お主の全ての財産を報酬として支払って欲しい」

「そんな無体な条件は飲めませぬ」

「では、私もお主の依頼を請けることは出来ぬな。自力で探せばよいじゃろう」

「ぬ!」

「お主が全てを契約で縛る厳格な商いをやっておるのならば、私が依頼に見合った報酬を望むこともそれと同じ、厳格な契約じゃ。私の条件が飲めぬのならば契約不成立になるゆえ、他を当たってくれ」


 ひどく顔をしかめたベグレンが、今度はアラウスカの方を向いた。


「そっちのばあさんが、クレアに何か入れ知恵をしたんじゃないんですか?」

「証拠を持ってこい。くだらん言いがかりを付けるなら、私は容赦せぬぞ」


 私の脅しをさらっと聞き流したベグレンは、無言で屋敷をあとにした。


「このくっそ暑い中を、一人で徒歩で来るんだから、どけちにも芯が入ってるね」

「もう少しましなことに根性を使って欲しいもんじゃがの」


 アラウスカと二人で呆れ果てていたが、私もアラウスカもその先の予想がついた。私は、証拠を持ってこいと言った。ベグレンは、金をかけなくてもそれくらいは出来ると考えるだろう。クレアと一緒に働いていた使用人を絞り上げれば、クレアがここを訪ったことまでは勘付かれてしまう。まあ、しょせんそこまでじゃがな。


「少しばかり備えておくか」

「暑いのにうっとうしいことだね」

「世の中には、いろいろなやつがおるということじゃな」


◇ ◇ ◇


 それから数日経って。先と変わらぬかんかん照りの午後に、ベグレンが再び屋敷を訪れた。猛烈な暑さをものともせず、陽炎を蹴散らすようにして、一人きりで。前回と同じように木陰に導く。席に着くなり、ベグレンが開口一番私を咎めた。


「ゾディアスどの。クレアはやはりここを訪れています」

「それがいかがした? クレアが己の意思でここへ来たことは、私が責める筋合いではあるまい」

「ですが、雇用主である私の許可なく持ち場を離れることは、契約に違反します」

「それはクレアに直接言ってくれぬか。私は、お主の代わりにクレアに契約を遵守させる責務を負っておらぬ」

「む!」

「お主も、しょうもない阿呆じゃな。契約はお主とそれを結んだ者との間でしか効力を持たぬ。そして、お主は全てのことを契約で縛ることは出来ぬ。私のように、契約締結を拒絶すれば終わりじゃからな」

「そうですか。では、勝手になさるということですね」

「そうじゃな」

「では今後私の店では、そちらの住人の方に一切の商品をお売りしないことにいたします」

「はははははっ!」


 思わず高笑いした。


「かまわぬよ。商人あきんどは多くの客にものを売るゆえ、益をもたらさぬ客を一人排しても痛くも痒くもない。そういうことであろう?」

「ええ」

「それは私も同じじゃ。お主でなくとも依頼を持ち込むものは大勢おる。お主の依頼を排したところで痛くも痒くもない。元々、依頼はほとんど請けぬゆえな」


 足元の土を一握り掴んで、ベグレンの鼻先に突き出す。


「のう、ベグレンどの。土塊つちくれは、濡れていればいかようにもかたどれる」


 土塊を川水で湿らせ、ぎゅっと握る。指跡のついた土塊は、私が握り直すたびに新しい形になる。それを足元に置いて、呪文を唱えた。土塊はクレアの姿となり、私とベグレンの前に歩み寄ってにっこり笑った。


 クレアの姿を認めてすぐ、ベグレンが憤怒の表情をあらわにした。


「クレア! おのれ、契約を無視して勝手なことをしでかしたな!」


 クレアの笑顔にはすぐに深いひびが入り、あちこちが乾いてぱらぱらと崩落し始めた。


「う!」

「ははは! 土塊は、水を得られぬとすぐに崩れる。ひどく焼けば石と化し、二度と何かを象ることが出来ぬようになる」


 ぱんっ! 小さな破裂音が木陰に響いて。クレアの土像は砕けた煉瓦のようにばらばらに散った。


「このようにな」


◇ ◇ ◇


 ベグレンが憤然と帰ったあと。砕けた土塊を見下ろしていたアラウスカが、やれやれという風情でぼやいた。


「これで分かるのかね」

「分からんじゃろ。これで道理を理解できるくらいなら、もっとましな商いをしておるよ」

「あーあ」

「依頼を諦めてくれれば、それでいい。いちゃもんをつけるためだけに日参されては、暑さ倍増。こっちが参ってしまうわ」

「確かにね。でも、買い物が不便になるね」

「まあ、ちょっとの間の辛抱じゃろう」

「は?」

「クレオはケッペリアに戻って商いをすると言っておる。あやつの今の姿は、誰が見ても美男子じゃ。しょう良く、人当たりも柔らかいゆえ、店はすぐに繁盛するじゃろうて」

「はっはっはっはあ! そうか。確かにそうだね」


 此度のはただ働きじゃったのう。まあ、クレアを連れ戻せという依頼遂行は形だけだったから、仕方ないか。

 砕けた土塊の一つを拾い、それに向かって話しかける。


「それでなくとも生きにくい世の中じゃ。せめて心くらいは柔らかくしておかぬとな」

「本当にそうだね」

「それに、契約はすでに失効しておる。もしクレオが戻っても、ベグレンには何も出来ぬよ」

「え? どうしてだい?」

「ほれ」


 ベグレンの持っていた契約書の文面を宙に映し、冒頭を指し示した。


「一番最初に『娘』と書いてあるじゃろ? 金玉のある娘なぞおるものか」



【第三十一話 土塊 了】


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