第二十九話 火勢

(1)

 ケッペリアではもっとも快適な季節である五月。若葉の瑞々しい香りが一面に漂い、そのただ中を子供らが駆け回って、我が世の春を謳歌していた。じゃが恐るべき事態に直面しておった私は、憂鬱を通り越して真っ青になっていた。


「これは……おおごとじゃ」


◇ ◇ ◇


 クレスカの難癖を正面から押し返し、街道を付け替えて敵の進軍に備えたまでは良かったのじゃ。ただ……クレスカの馬鹿王子ゲウムが、本当に底無しの馬鹿だとまでは読めなかった。あやつのなりは大人じゃが、中身はレクトにも及ばぬ幼児なのじゃろう。


 昨冬にガレリアの騎士団から周辺諸国に伝えられた、ガタレの竜の代替わりとメルカド山へ近付かぬようにという注意喚起。ほとんどの国は、その警報の重要性をきちんと認識したはずじゃ。怒らせた竜に国を襲われれば、瞬く間に滅ぼされてしまうからの。

 よほどのことがない限り竜が居所を出ることはないゆえ、もっとも気が荒くなる抱卵期さえメルカド山に近付かなければ、国レベルで竜と対峙するはめに陥ることはない。逆に言えば、抱卵期は絶対に竜を刺激してはならんのじゃ。その時期の竜の恐ろしさは、メルカド山に国境くにざかいを有するほとんどの国が知っておろう。じゃが、それをまるっきり解さぬとんでもない大馬鹿者がおったということ。


 私は、クレスカ現王オクタビウスの資質を買いかぶっておったようじゃ。ルグレスの前王もとんでもない阿呆であったが、それでもガタレの竜の恐ろしさくらいは知っておったぞ? いくら息子を溺愛しておるとは言え、国家滅亡と息子を天秤にかける是非も分からぬのか!


「まずいまずいまずいまずいまずい!」

「どうした?」


 真っ青になったまま中庭をうろついていたところを、アラウスカに咎められる。


「最悪じゃ!」

「なにがだい?」

「クレスカの馬鹿王子が、メルカド山の山裾に火を放ちよった!」

「げえええええええっ!」


 どすん。腰を抜かしたアラウスカが真後ろにひっくり返った。


「そ、そんな……」

「今時期は若葉が多いゆえ、普段ならば火は広がらぬ。じゃが、今年は異常な少雨。はるか彼方のここからでも火が見える」

「む!」


 杖を振って宙に浮いたアラウスカが、メルカド山の裾野をけがす炎と黒煙を認めて、落ちるように戻った。


「信じられないよ……」

「あの馬鹿、ガタレの竜なぞ焼き殺してしまえばよいと考えたんじゃろう。とんでもないど阿呆がっ!」

「この世の終わり、かい」

「させるか! なんとか手を考える!」


 クレスカが滅亡するだけならば自業自得じゃ。私の知ったことか。じゃが、ガレリアを含め、竜への接近を自粛しておるまともな国を巻き添えにすることは出来ぬ! 決して出来ぬ!


「仕方あるまい」

「どうするんだい?」

「危険はあるが、竜と緊急に直接交渉するしかない。留守を頼む! 猶予がない!」

「分かった。あんたの力を信じて待つよ」


 アラウスカが、清々しい青空を見上げてふっと笑った。


「大丈夫さ。あんたは至高の魔術師。きっと切り抜けられるさ」

「そうじゃな。死力を尽くしてくるゆえ、後を頼む!」


◇ ◇ ◇


 四の五の言っている場合ではなかった。メルカド山の中腹まで一気に飛んだ私は、恐ろしい勢いで山裾を這い上がる業火を見て慄然とする。まず、これ以上の延焼を食い止めねばなるまい。

 周囲の竜鱗を全て集めて幾重にも立て並べ、それを魔術で防火壁に変えた。じゃが火勢を止められても、竜の怒りまで止められるかどうかは分からぬ。うぬれ、クレスカの外道どもめ!


「火よ《フランメ》! ここにつどえ!」


 防火壁に遮られて右往左往していた炎を一所ひとところに集め、それを撚り合わせて束ねる。赤黒く汚れた炎は、自らを焼いて清めるようにその熱と輝度を増し、黄白色の巨大な火蛇かじゃとなって激しくのたうった。


「火を使う者よ。その火は己にも使われるということを思い知れい!」


 火蛇のかしらを反転させる。火蛇は瞬く間に二つの吊り橋を食いちぎり、山裾に展開していたクレスカ騎馬隊の退路を断った。満足そうに火勢を見遣っていた兵たちに逃れるすべはなく、一人残らず火蛇に巻かれて焼死した。


「火蛇よ、そのまま王宮まで進め! 王族を一人残さず燃し尽くせ!」


 ゲウム。オクタビウス。うぬれらのなしうることなぞ爪の先ほどのものに過ぎぬ。身の程を知れい! ぐんと鎌首をもたげた火蛇は、巨大な火矢となってクレスカの方角に飛んだ。ゲウムらの成敗を火蛇に任せ、山頂へと急ぐ。


「う……」


 私の到来を察したのであろう。目を赤黒く濁らせたガタレの竜が、四方に炎を吹き出しながら上体を起こした。抱卵期以外の時期とは様相が全く異なる。いかな私でも、この時期の竜とは仕合いたくない。それは、命を懸けた殺し合いになりかねぬ。とにかく、ひたすら謝罪を繰り返すしかない。私は、ひざまずいて声を張り上げた。


「竜よ、相済まぬ! 私のとんだ失態じゃ。相済まぬ!」


 竜はすぐさま猛り狂うかと思いきや、ゆっくりとかしらをもたげるなり思いがけぬ言葉を発した。


「儂の卵は孵らぬ。それはお主らのせいではない」

「は?」

「ゾディアスよ。お主に依頼したいことがある」


 あまりに予想外の返答。私はごんを失って竜を見つめた。


「どのような依頼……じゃろうか」

「生贄が欲しい。男でも女でもかまわぬ」

「……いかほどか」

「一人でよい」

「なにゆえじゃ?」


 竜がゆっくりこうべを振った。


「儂の生む卵には精がない」

「!!」


 そうかっ!


「生贄が男であれば、その精を受ける。生贄が女であれば、そやつと身体を替える。いずれにせよ儂が精を受けるか与えるようにせぬと、孵る卵が得られぬ」


 ううむ……。


「生贄は誰でもよいのか?」

「いや」


 竜は、ごうっと炎を吐き散らしながら条件を言い並べた。


「まだ誰ともまぐわっておらぬ純潔な成人。そして、儂を拒むものは儂が受け入れられぬ」


 う……。


「儂が直々に探しに出ると騒乱になるゆえ、お主に依頼したい」


 竜の花嫁もしくは花婿、か。じゃが、竜が生贄という言葉を使ったのは伊達や酔狂ではあるまい。ガタレの竜の瘴気に耐えうる人間の伴侶は、この世には存在しえぬ。精を交わした後は死を覚悟せねばならぬ……ということか。


 いかな私でも、即答は出来なかった。


「済まぬ。あまりに依頼が重いゆえ、少しばかり時間を頂戴したい」

「かまわぬ。再訪を待つ」

「それでは」

「うむ」


◇ ◇ ◇


 私が竜の激しい怒りの直撃を受け、満身創痍になると覚悟していたらしいアラウスカは、無傷で早々に戻った私を見て拍子抜けしたようじゃ。


「ちょっと! なんともなかったのかい?」

「まさか。もっとえらいことになった」

「は?」

「ガタレの竜が生贄を寄越せと言ってきた」

「クレスカの馬鹿親子を呉れてやればいいだろ?」

「そうはいかぬ。竜の注文は要求ではなく、依頼」

「な、なにい?」


 アラウスカが目をむいた。


「依頼、だってえ?」

「そう。ガタレの竜は常に一頭のみよ。それでは卵が孵らぬ」

「あ!」


 すぐに生贄の意味と依頼の重さを理解したアラウスカが、私に慎重に確かめる。


「それは……竜の伴侶ということだね?」

「ああ。花嫁もしくは花婿。純潔な成人で、竜の求婚を積極的に受諾出来る者」

「そんなのは無理だろ?」

「無理じゃ。他の竜であればともかく、ガタレの竜の瘴気に耐えられる人間は限られる」

「死の覚悟が要る。だから生贄、か」


 少しく考え込んだアラウスカが、何度か首をひねった。


「なあ、ゾディ。それにしても、なんで依頼なんだい?」

「これまでの竜は、自ら伴侶探しに出かけておったんじゃろう。その時にすべからく騒動を起こしておる。それが竜難」

「む……」

「ガタレの竜が恐れられているのは、これまで激しい竜難を何度も起こしているからじゃ。その原因が伴侶探しにあったということじゃな」

「むうう」

「当代の竜は、これまでと同じ騒動を繰り返したくないのじゃ。世を騒がせると、竜域への人の出入りが増して居所が落ち着かなくなるゆえな」

「確かにね。それにしても……」


 アラウスカは、腕を組んだままじっと黙り込んでしまった。


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