第二十六話 水路

(1)

 春は名のみ。今年の冬は風が強くてかなわん。降り積もった雪が暴風で巻き上げられ、取り憑く相手を探す亡霊のようにうろついておる。棒術命のレクトもさすがに戸外での修練を諦め、自室で本を読んでいた。

 荒天続きだと気が滅入るが、悪いことばかりでもない。そういう時期には依頼者が屋敷を訪わぬゆえ、懸案にじっくりと向き合えるからの。


 私は机の上に何枚かの地図とふみを広げ、それらをじっと見比べていた。


「ゾディ」

「ん?」


 ずかずかと執務室に入って来たアラウスカが、机の上のものをざらっと見回した。


「それはなんだい? 朝からずっと見てるけど」

「ボルムの地図。そして、テオから届けられた文じゃ」

「ほう」


 ひょいと文を取り上げて目を通したアラウスカは、ひどく顔をしかめた。


「なるほど……」

「そもそもビクセン公から獅子奪還の話が来た時から、どうもおかしいと思っておったのよ」

「そうだね。ボルムは大国だけど、連合国に近い。王宮のあるタクテとその周辺は別にして、あとは力尽くで支配下に置いたところだろ?」

「ああ。本来なら自国の統制で精一杯のはず。いかな大国とはいえ、強国のサクソニアにはそうそう手出し出来ぬ。さればこそ、ビクセン公も子息を表敬に向かわせたのじゃからの」

「ふむ」

「あのような、サクソニアの報復が目に見えている愚策をなぜグルクが容れたのか。どうしても解せぬ」

「うーん、そうだよねえ」

「それだけではない。お主の弟、黒騎士ども、そして先の即位式の腐れ僧。あまりに半端な術師がはかりごとに手を染めておる」

「む」

「前も言うたが、僧は民や王の安寧を祈るしきじゃ。その道を踏み外した連中が何度もうろついているのは……な」


 黙したアラウスカの前で、ボルムの地図を指差す。


「ボルム崩壊、そしてグルクの遺した死の誓約の解除。ボルムに残った遺恨が向かう先は、崩壊を先導した私しかないはずじゃ」

「そうだね」

「それが、なぜこの国に向く?」

「あ!」


 アラウスカが、地図の上にがばっと身を乗り出した。


「ルグレスにはボルムとの接点がない。ボルムにとって、敵味方のどちらの枠にも入らぬ。残党が刃を向ける先は私であって、この国ではないはずじゃ。どうにもおかしい。筋が通っておらぬ」

「確かにそうだね……」

「つまり、即位式の時の兵はボルムの残党ではない。じゃが、単なるごろつきや賊にしては腕が良すぎる」

「どういうことだい?」

「下克上をそそのかす奴らが、領主や小国主を操っておるように思えるのじゃ」

「む!」

「ボルムは、そやつらが操るにはでか過ぎたんじゃろう」


 掌を広げ、その上に小さな火を灯す。地図から目を離したアラウスカが、炎を見つめた。


「もう一つ解せぬことがあるのじゃ」

「うん?」

「お主の弟も黒騎士も即位式の賊も、火を使おうとした。お主はよく分かっておると思うが、火術は高等術じゃ。よほど修練を積まぬとうまく使えぬし、使うには覚悟が要る」

「そう。己の守りと敵への攻め。火を使うには、それを同時にこなさないとならないからね。延焼の危険もあるし」

「じゃが、僧どもはそれをまるっきり解しておらぬ。術師としても何かしでかそうとする腹黒い者としても、あまりに半端じゃ」


 掌を握って火を消し、テオから来た文をもう一度アラウスカに手渡す。受け取ったアラウスカが、慎重に内容を読み返した。


「ジョシュアのことがあるゆえテオにサクソニアを表敬訪問させたのじゃが、その時にテオがビクセンどのから情勢を聞き出しておる」

「うむ」

「ビクセンどのはボルムの報復を警戒し、国境でのボルム残党の動きを注視しておったらしい。じゃが、拍子抜けするほど何も動きがなかったそうじゃ。ただ……」


 地図を指差す。


「ボルムの再興が、なぜか北辺から進んでおる」

「はあ?」


 アラウスカが、大口開けて呆れておる。どう考えても変じゃろう?


「そりゃあおかしいじゃないか。サクソニアに接した東部。そして、穀倉の南部。ボルムの心臓部はそこだよ?」

「ああ。じゃがボルムの旧領を再編して領土を広げているのは、これまでボルムから放置されていた北辺の諸公」


 とん! 私は地図の一点を指差す。そこに描かれているものを見て、アラウスカが大きく頷いた。


「そうか。そういうことかい!」

「僧院が建てられたのは、もう数百年以上も前のこと。その当時からこのような騒ぎを起こしていたわけではない。近年僧院を支配した、ど腐れがおるんじゃろう。お主の弟も、不幸にしてそいつに巻き込まれたのよ」

「ううぬ……」


 アラウスカの顔が、見る見る怒りで赤黒く濁った。


「そして、そいつは人ではない。おそらくな」

「……大物かい?」

「いや、違う。大物であれば自ら動くはずじゃ。僧院に潜むような馬鹿な真似はせんじゃろう」

「ふむ」

「そいつを確かめて、滅してくる」

「ちょっと、お止しよ! 無茶だよ!」


 こぼれるほど目を剥いたアラウスカが、慌てて私を止めた。


「はっはっは。心配いらぬ。私は人には刃を向けたくないが、人でなしの外道には一切容赦せぬゆえな」

「うーん……一人で、行くのかい?」

「いや、マルタを連れて行く。あいつにも鍛錬をさせねばならん。本能が赴くままの戦闘では、自立早々にあの世行きじゃからの」

「はあ。確かにそうだね」

「済まんがしばらく留守を預かってくれ。今は厳冬期ゆえ、ここには何も及ばぬはずじゃ」

「ああ、わかった。任せといて」


 アラウスカが、ぐるりと首を巡らせて外の雪景色に目を移す。それから……口をぎゅっと結んだ。


「春が来る前に片付けなきゃならないということかい」

「そうじゃ。雪解に合わせて北辺から雪崩が起こると、極めて厄介なことになる」

「確かにね」

「お主の弟の分まで弔ってくるゆえな」


 ふうっ。細く息を漏らしたアラウスカが、私に向かって深々とこうべを下げた。


「済まないね」


◇ ◇ ◇


 久しぶりの戦闘に興奮して、ひどくはしゃいでいたマルタに釘を刺した。


「のう、マルタ。此度の敵は、あの蜂よりもはるかに厄介じゃ。力も術も使うゆえな」

「あ、そうか」

「いつもなら油断するなと言いつけるところじゃが、油断どころの話ではない。お主の死力を尽くさぬと勝てぬ。それだけは言っておく」

「おうよ!」


 まあ、己の恐怖心に二度、三度打ち勝って人間の身体を得たマルタじゃ。怯えることはないと思うがな。


「それとお主の苦内じゃが」

「うん」

「今回は、これを使うてくれ」


 火竜の刻印が刻まれたマルタの苦内を取り上げ、代わりに青銅の大きな苦内を一つ手渡した。ひょいとそれを手にしたマルタが、よたよたとたたらを踏んだ。


「お、おもーい!」

「そうじゃろう? 本来お主が扱うには荷が重いものなんじゃが、いずれお主が外遊するのであれば、苦手をこなせぬ限り生き残れぬ」

「そっか」

「お主の身体能力が減じられた中で、いかに敵と戦うか。お主が蜂との死闘で得た教訓を、此度しっかり活かすように」

「わかったー」


 重い苦内を何度か振ったマルタが、その刃をじっと見つめた。


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