(2)

 アラウスカに留守を預け、ホークの背に乗って先にサクソニアのビクセンどのを表敬訪問した。急な訪問であったが、ビクセンどのは喜んで謁見を承けてくれた。


「おお、ゾディアスどの! その節は大変世話になり申した」

「いやいや、外との揉め事を減じぬと、国内を治められませぬゆえ」

「さようですな。幸い今のところは内政に専念出来まする」

「今のところは、ですか」

「決して安心は出来ませぬ。北から剣の音が聞こえて参りました」

「やはりか……」


 ビクセンどのも、ボルムの国情はずっと探っておったんじゃろう。


「して。此度は遊山ゆさんでしょうか?」

「はっはっは! この寒い中を遊山はいたしませぬ。いくさでございます」

「戦?」


 ビクセンどのも、隣に座っていたグレアムもぎょっとして立ち上がった。


「どちらへ?」

「旧ボルムの北辺、ミスレの僧院」

「どのような敵が……」

「のう、グレアムどの」

「はい」

「グルクに捕らわれた時に、黒衣の僧がグルクの側に付き添っておったでしょう?」

「はい。おりました」

「そいつがグルクを操った黒幕なんじゃが、どうにも半端でしてな」

「半端……ですか」

「そいつが本当の知恵者であれば、あのような失敗は絶対にせんでしょう。もっと巧妙に罠を張るはず。術師としても策士としても、あまりに出来が悪いのじゃ」


 ビクセンどのとグレアムが、顔を見合わせる。


「そういう魔術師もどきを生み出しているのが、ミスレの僧院。僧院が昔から碌でなしの溜まり場になっておるならともかく、妙な動きはここ数年のことじゃ。つまり人を操る何者かが僧院に潜んだということでありましょう」

「む! なるほど」

「そいつを除けば、僧院は元のたたずまいを取り戻すでしょう。ボルム北辺の不穏な動きもじきに治まると思いまする」

「それで……ですか」

「人のことは人の間で片付けていただきたいのですが、魔術の悪用だけは絶対に許せませぬ!」


 私が発した怒気に怖じて、ビクセンどのがじりっと退いた。


「そやつを除いた後にまた立ち寄りますゆえ。その時はよしなに」

「こちらこそ。身共が戦を回避出来るのであれば、それにこしたことはありませぬ」

「さようですな。サクソニアはまっこと優れた王に恵まれておる。きっといついつまでも栄えることでありましょう」

「もったいなきお言葉」

「それと。ジョシュアはまだまだ鍛える必要がありまする。テオを信じて、しばらくの間成長をお待ちくださいますよう」


 嬉しそうに目を細めたビクセンどのが、私のかたわらに控えていたマルタに目を落とした。


「それよりゾディアスどの。お連れのご婦人は?」

「ああ、剛腕無双の家政婦でありまする」

「はああ?」


◇ ◇ ◇


 ホークを使えばすぐなのじゃが、偵察を兼ねて陸路を辿ることにした。十日ほどかけてサクソニアの西北国境を越え、旧ボルムの北辺に入る。


「やっぱりな」


 王都から遠く離れた北辺には、ボルム王家の崩壊はほとんど影響しなかったはず。にも関わらず治安の悪化は目を覆うばかりで、民心がひどく荒んでいた。


「臭い……な」


 私が感じたのと同じ臭いをマルタも嗅ぎ取っていて、ひどく顔をしかめている。


「これって、竜の臭いじゃん」

「さすがじゃな。それもガタレのものとは種類が違うじゃろ?」

「うん。きな臭い」

「その通り。そいつが敵じゃ」


 夜盗や追い剥ぎを蹴散らしながらミスレの僧院に辿り着いた時、そのあまりの荒れように思わず目を覆った。建物のあちこちが崩れ、その隙間から僧たちが幽鬼のように出入りしておる。


「これは……とても僧院とは思えぬな」

「ひでえ」


 尖塔の崩れた伽藍がらんの底から、おびただしい瘴気しょうきが立ち上っている。だが、中に潜んでいる竜が我々の到来を察知して攻撃してくる気配はない。術師としてどの僧も未熟なのは、瘴気を放散している竜が未熟だからであろう。


「やはりな」

「ねえ、おっさん。どゆこと?」

「見れば分かる。中にいる者どもは操られておるだけじゃ。殺傷は許さぬ」

「うえー、きっつぅ」

「あやつらは夜盗や追い剥ぎとは違う。元々はまともな僧じゃ。僧としてまともゆえに、悪党としては力も術も半端に過ぎぬ。竜の瘴気が失せれば、徐々に正気を取り戻すじゃろう」

「むー」


 マルタが腕を組んで考え込む。


「ってことは、メルカド山の蜂と同じ?」

「成り立ちはな。じゃが潜んでおる竜には、ガタレの竜ほどの力はない」

「ふうん……」

「それゆえ、今のお主が仕合う相手としては妥当じゃろう。長引かせず、一気に仕留めよ」

「あいよ」


 手にした青銅の苦内をじっと見ていたマルタが、ひょいと首を傾げた。


「ところでさ」

「うん?」

「今回の討伐って、誰の依頼?」

「建前上はテオよ」

「でも、そいつのはもう叶えたんでしょ?」

「叶えた。テオも私に何か頼もうとは思わんじゃろう。自力でなんとかするはず」

「じゃあ、誰かの代理ってこと?」

「まあな。そうせざるを得ないからの」


 マルタがじっと考え込む。そうじゃ。お主の場合、戦闘の腕を上げるよりも頭をうんと使うて欲しい。どんな豪腕を持っていても、騙されれば力は無駄になる。腕を過信して油断すると、すぐさま死に直結する。真実を見抜く目。今はそれをしっかり鍛えて欲しい。


 背後を振り返ったマルタが、僧院同様に荒れ果てた寒村を見渡した。


「そゆことかあ」

「分かったか?」

「ここらの人は、おっさんとこまで依頼しに行けない。ちゃう?」

「当たり」


 よし! 合格じゃ! マルタは、レクトの心の裏を見抜いてそれにちゃんと対処しておる。素質はある。此度も、テオの依頼の裏は見抜くだろうと思うておった。あとは、それをどう行動につなげるかじゃな。


「さあ、行くぞ!」

「おっしゃあ!」


 僧が大勢おる正面から突入すれば、どうしても僧を傷付けることになる。危険は遥かに大きいが、最初から大物退治と行こう。崩れた尖塔の真上に飛び、一気に突っ込んだ。


「くわっ! 熱いっ!」


 マルタが、苦内で顔を隠した。


「はぐれの火竜サラマンダーが直下におる! 一撃で仕留めよ!」

「そういうことかいっ! 行くぜっ!」


 我々の侵入に怒り、狂ったように首を振って炎を吐き散らかす火竜。巣から出ぬはずの幼獣が、何かの弾みで外に転がり落ちてしまったんじゃろう。こやつに非はない。非はないが、巣の外で瘴気を撒き散らかせば、それを浴びたやつが狂ってしまう。最初に狂うたのが大僧正だったのは……不運じゃったな。


 火竜の足元にいたほとんど全裸の老人がマルタに掌を向け、火矢を放とうとしていた。先んじて、それを封じる。


「ストナ! こごりて火を封じよ!」


 伽藍の中の瓦礫が次々宙に浮き、老人の周りに積み重なって石室を作った。


「その中で火を使えば己に返るゆえな。控えよ」


 火竜は全身から炎を吹き出し、首を激しく振って猛り狂った。じゃが、マルタは冷静だった。重い苦内の扱いに手を焼きながらも、それを構えたまま素早く物陰を移動し、竜の死角から一気に頭上を狙った。


「ちえええいっ!」


 マルタは、苦内を振り下ろした軌道に身を合わせて落下に勢いを付けた。なかなかやりよるわい。


「どっせい!」


 燃え盛る火竜に直接触れることなく、その脳天に苦内を突き刺したマルタが、柄を蹴って円柱の後ろに逃れた。


「ふう。どうだろ。効くかな」

「刃物では効かぬ。あの程度の刃の長さでは鱗を通らぬゆえな。じゃが、あの苦内は唯の苦内ではない」

「うん。そんな感じ。何かにつながってるんでしょ?」

「ははは。よう気付いたな。あれは水路みずみちじゃ」

「へっ?」

「よおく見ておけ」


 巨大な火竜の脳天に刺さった一本の小さな苦内。その柄が突如ぽんと音を立てて外れ、続いて大量の水が噴き出し始めた。


 ざざああああっ!!


 水は火竜を覆う炎を次々に消し去り、猛り狂っていた竜の動きは見る見る鈍った。そして最後に竜は……首を垂れたままの姿で石になった。堂内に立ち込めていた湯気が瘴気と共に霧散し、爽やかな水音に入れ替わる。


「よし。消火完了」

「すげえ……」


 予想外の帰結に、マルタがあんぐり大口を開けて竜の石像を見上げている。はははっ!


「さて、あとは少し遊山して帰るとしよう」

「あ、ちょっと待った」

「なんじゃ」

「依頼人が支払うべき報酬って、この場合なんなん?」

「はっはっは!」


 笑いながら、石化した竜を指差す。その頭上から音を立てて溢れる清水は、僧院から流れ出て山裾を下り、夏雨の乏しい裾野を潤す貴重な水路となるであろう。


「水は大地のみならず、心をも潤す。災いが遠ざかれば、僧院は福をもたらす存在に戻る。されば、村の衆がこの僧院を建て直そうと思うてくれるじゃろう? それが村人に求める報酬じゃ」

「わ! そういうことかあ!」


 北辺においても雪解は近い。春には、雪だけではなく心も解いて欲しいからの。



【第二十六話 水路 了】


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