第二十一話 九尾

(1)

 夏が褪せる。短い夏が勢いを減じ、空の高みに引き去ろうとしている。空を熱く濁らせていた夏雲が散り散りに吹き払われ、代わって冷気がもたらす薄い雲が空を様々に飾るようになってきた。


「では、マルタ。よろしく頼むな」

「あいよー」


 軽快に馬車を操るマルタに向かって手を掲げる。


 スカラの新学期が始まり、屋敷から通う生徒が一人増えた。もちろん、レクトじゃ。いかにマルタがレクトの邪気を丸めたとはいえ、生まれ落ちてから今までの間にレクト自身にぎちりと刻み込まれて来た悪魔の性は、すぐには変わらん。ひねくれた物の見方や虚勢をはる癖は一朝一夕には治らぬ。本来ならば、それが少しましになってからスカラに行かせたかったのじゃが、なかなか……。

 ソノーとメイがスカラに通うようになると、屋敷に残る幼児はレクト一人になる。私もアラウスカもマルタも大人。しかも、その誰もがレクトのめいは聞かぬゆえ、レクトには逃げ場がどこにもなくなる。レクトの暴君体質がいつまでも変わらぬだけではなく、思うようにならぬことで自傷が始まるやもしれぬ。それは不幸じゃ。


 新学期が始まる直前。私はスカラの学長にレクトの事情を話し、受け入れが可能かどうかを打診した。学長はそれほど深く考えずに、二つ返事で請けてくれた。


「兄弟のおらぬ子は、そのようなものです。程度の差こそあれ誰もが王。ですが、王であるからと言って何もかも出来るわけではありません」


 そう言って、穏やかに笑った。


「お預かりしましょう。お任せください」


 たくさんの子供たちを見て来た学長のごんを信用しよう。私はレクトをスカラに通わせることにした。ソノーと違い、レクトは年齢相応の平凡な学力であろうと思っておったんじゃが、学長はソノーと同じ三つ上の学年に編入した。


「学長。それはかなり無理があるのでは?」

「いえ、レクトくんは自分と同じ年かさの子の間では、すぐに王になります。口が立ち、弱みを握ることに長けておりますゆえ」


 ううむ、さすがじゃのう。学長もよく見ておるわ。


「ですので、最初はその手口を封じないと始まりません」

「ふむ。じゃが、それでは大人の中に置くのと変わらぬような……」

「いえいえ、それでも子供は子供。上下で分けられぬ交流が得られるのが、スカラというところです」

「なるほど!」

「レクトくんがそれを理解できれば、その後は徐々に本来のクラスに近づけます」

「いやいや、私はとてもそこまで考えが及びませぬ」

「何をおっしゃいます。はっはっは」


 学長は、からっと笑った。


「ソノーさんもメイリーさんも、ほんにお優しい。級友の間でとても評判がよろしいです。レクトくんもそのような二人の姿を見れば、少しずつ考えを改めると思います」

「そうじゃな。昨日の今日じゃ。ゆるりと付き合わねばならんということですな」

「ええ」


 学長からレクトの受け入れ許諾を得たので、三人をスカラへ通わせる方法も変更した。ソノーとメイだけの時は、鞍の前にソノーを座らせメイに馬の操作を任せたが、さすがに二人任せるのは酷じゃ。大人が子供を送迎する方がよかろう。二頭立ての馬車をマルタが御し、客車に三人を乗せることにした。手練れのマルタが付けば、何か不測のことが起こっても対処できるゆえな。


 暴君レクトが急遽加わったことでどたばたはあったが、暑い夏を乗り越えた屋敷はその熱をゆっくり冷ましつつあった。


◇ ◇ ◇


 やっと額の青筋が引っ込むようになったアラウスカが、執務室にひょいと顔を出した。


「はあ……。いればいたでやかましいけどさ。何もないのもまた静か過ぎてあれだね」

「はっはっは。そんなもんじゃ」

「のう、ゾディ。使い魔と二人暮らしをしておる間は、ずっと静かだったんじゃないのかい?」

「まあな。それでも依頼を受ければ、その後何かかにかある。此度のようなことはこれまでもあったゆえな。変わらずにずっと静かということでもない」

「ふうん」

「ただ、子供ばかりがこれほど寄り集まるのは珍しいのう」

「そうだね。決して喜べることじゃないよ」

「ああ」


 アラウスカが、眉間に深い皺を刻んだ。


「みんな孤児みなしごさ。親と死に別れたり、親に捨てられてここに流れ込んできてる。それは……外が荒れてるからだろ?」

「うむ。お主の言う通りじゃ。ここのところ大きな戦役がないとはいえ、国情は安定しておらぬ。愚王のしわ寄せは、最も弱いところに出るゆえな」

「ふう……」


 杖を抱え上げたアラウスカが、ゆっくり首を振る。


「まあ、それは今に始まったことではない。それよりも」

「うむ」


 私は、真っ直ぐメルカド山を指差した。


「あやつの影響がいろいろな歪みを生む。そちらの方が愚王よりずっと厄介じゃ」

「どういうことだい?」

「ここケッペリアの土地の大半は、元々はガタレの竜の領地よ。人の立ち入りが出来ぬところじゃった」

「ほう」

「されど、人が満ちれば新たな農地を作らねばならぬ。開拓が進み、領地の中にまで人が住み付くようになった」

「ここいらがそうだっていうのかい?」

「そうじゃ」


 机の上にケッペリアの地図を乗せる。立ち上がったアラウスカが、それを覗き込んだ。


「私の屋敷のあるところが、ぎりぎりの領外。それより内に入れば、どうしても竜の影響を受ける」

「むっ!」


 がばっと身を乗り出したアラウスカが、舐めるようにして再度地図を見回した。


「そうか」

「竜は力の象徴じゃ。善悪に関係なく、な」

「領地の中にいると、その影響を受けちまうってことかい」

「あの蜂のようにな」

「ううむ」

「前代の竜から得た竜鱗で、領地の大半は周囲の山野と切り離したが、結界を張ったわけではないゆえ影響の全ては排除出来ぬ。竜と人とが近過ぎると、どうしても無用な接点が生まれ、それが生き死にに関わる」

「ソノーのような……ことだね」

「そうじゃ」


 顔を上げて、メルカド山の頂を臨む。ソノーが屋敷に来てからというもの、平穏無事という日は一日としてない。諸々の些事に紛れて、ニブラの存在がひどく不自然であったゆえを考えるいとまがなかった。じゃが、ニブラが竜域におることなど絶対にありえぬはずじゃ。それが……なぜ? なぜ竜鱗の影響著しいメルカド山に、瘴気に極めて弱いニンフがおった? 女の子が亡くなった後、なぜ身を呈して必死に亡骸なきがらかばっておった?


 私には、一つしか理由が思い浮かばなかった。


 女の子が親に連れられてメルカド山に来た時、その子が手に花を持っておったんじゃろう。ニブラはその花の精。最初からずっとあそこに居たわけではなく、女の子に連れ込まれたんじゃろうて。

 何も出来ぬ儚い花の精は、親に捨てられた女の子の嘆き、悲しみ、怨嗟を女の子が死を迎えるまでじっと見守るしかなかった。そして、女の子の負の感情を取り込むことで竜鱗の瘴気に耐えられるまでに強くなった。優しいからではない。恨みを取り込んだからあそこにおられたんじゃろう。もちろん、竜の力がそれを後押ししたのは言うまでもない。


 亡骸を親元に帰してくれ。あの依頼は……か弱いニンフが最後に為し得る女の子の親への復讐。女の子が気の毒だからではなく、娘の亡骸を見せつけることで親の無慈悲さを暴き出すのが目的じゃ。私が依頼を断った時にひどく落胆したのは、それが叶わなくなるから。

 それでも。恨みを抱いたのは、ニブラではなく女の子じゃ。ニブラはその子の依り代になっただけに過ぎぬ。女児の身体を得て永らえたことで、新たに湧き出した生の歓びが、残された恨みを凌駕した。そういうことなんじゃろう。今となっては、結果論に過ぎぬがな。


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