(2)

 私の説明を聞き終わるやいなや、マルタがずけずけと言い放った。


「でも、おっさんは結局そいつを引き受けたんじゃん」


 人間になっても口の利き方は変わらんのう。苦笑しながらマルタに答える。


「仕方なかろう。私が依頼を引き受ける条件は王位継承権の放棄じゃ。黒幕の阿呆を魔術で排除したゆえ、レクトにはもう後ろ盾がない。このままでは王座を狙うどころか、生きていくことすらあたわぬ。先方からの報酬は、私がすでに受け取ったことになる」

「う。確かになー」

「身寄りのないあやつを撫育するのは一向に構わんよ。ただ、問題は……」


 一同をぐるりと見回す。


「あの、どうしようもない性格じゃ」


 これまで散々被害を受けてきたソノーとメイ、そして血圧が倍くらいに上がったであろうアラウスカは、一斉に溜息と唸り声を漏らした。


「そんなにひどいん?」

「まあ、直接やつと話してみよ。あやつのは悪戯いたずらなどというかわいいものではない。ほとんど悪魔の所業じゃ」

「子供のやらかすことなんか、たかが知れてると思うけどなー」

「していることはな。じゃが、性根がねじ曲がっておるゆえ本当にたちが悪い」

「そうなの?」

「悪戯は己の好奇心の延長よ。そこに強い邪気はない。じゃがレクトのしでかすことは、どれも相手を真に怒らせ、困らせるための悪行。年はソノーと変わらぬが、魂胆はすでに大悪党のそれよ」

「ふうん……」

「まあ、レクトはしばらくお主に預けるゆえ、それで覚ってくれ」

「いいよー」


 マルタは、あっさり私の提案を飲んだ。


「眠ってる間にすっかりなまっちゃったからさ。少し鍛えるわ」


 にっ。以前と同じように不敵に笑ったマルタは、さっと姿を消した。


「ほう」


◇ ◇ ◇


 不思議なことに。マルタが監視役になって数日も経たぬうちに、我々の諌めや言いつけを無視してやりたい放題だったレクトの悪行がぴたりと収まった。

 マルタが、レクトを脅して無理やり押さえつけたということではなさそうじゃ。誰にも、そう私にも、マルタがあの小暴君リトルタイラントをどのように御したのかどうしても分からなかった。レクトのやりたい放題、言いたい放題にさんざ悩まされてきた我々は、急に大人しくなったレクトを見てほっとするよりむしろ気味が悪かったのじゃ。


 みなが寝静まった深夜。エルスの世話で起きておったマルタを執務室に呼んで、直接確かめることにした。


「のう、マルタ。お主、あの悪童をどう御したんじゃ?」

「えー? あたしは何もしてないよー。一緒に遊ぶのはいいけど、あんたの命令は絶対に聞かないよー。そう言っただけ」

「ふむ」

「あいつには友達が誰もいなかったんでしょ。周りは大人ばっかでさ」

「む! そうか」

「大人の中で自分を守るには、一番強いやつの真似をするしかないでしょ。考え方も、動き方も、感情もさ。で、あいつの周りは碌でなしばっか。そりゃあ、真似したらああなるさー。あっはっはー」


 マルタが、からっと笑い捨てた。ふむ。レクトは八方塞がっておったということか。


「ん?」


 かすかな物音を聞きつけたマルタが、さっと戸口に目をやった。小さな足音。レクトか。


「ねむれない」

「どしたん」

「わかんないけど……ねむくならない」

「それをあたしに言われてもなー」


 マルタが、レクトをひょいと抱き上げて肩に乗せた。


「まあいいわ。一緒にいて欲しいんでしょ?」

「……」

「それは、あんたの命令じゃない。お願いでしょ?」


 マルタの肩に座っていたレクトは、私の前では絶対にそう言いたくなかったんじゃろう。されど、もう限界が近かったらしい。べそをかきながら小さく頷いた。


「……うん」

「じゃあ、眠くなるまで一緒に寝てあげる」


 レクトが、ほっとしたように涙目をこする。


「じゃね。おっさん、おやすみー」


 真上に伸ばした腕でレクトの髪をわしわしと撫でたマルタは、鼻歌を歌いながら執務室を出ていった。


「ううむ、やりよるのう」


◇ ◇ ◇


 変化と言えば、マルタ自身もそうじゃな。目覚めてから大きく変わった。相変わらず素っ気ない。口の利き方もぞんざいじゃ。挑戦的な視線も変わらぬ。じゃが、ひりひりするような殺気がなくなった。軽くなった。その軽くなったことを、マルタ自身が心から楽しんでいるように見える。


「ふふ。風……か」


 本来地性ちせいのはずの蜘蛛でありながら、中に風を孕んで生まれてきたマルタ。地に縛られるしょうを捨てて身軽な風になれた己が、嬉しくてたまらないのじゃろう。


「あやつは、どのような生を目指すんじゃろうな」


 風は掴めぬ。それが風じゃ。いかな魔術師の私であっても、風は捉えられぬ。とどめておけぬ。引き止めようとした途端に、それが風ではなくなるゆえな。


 開け放った窓から少し暑さの角をまるめた夜気が迷い込んでは、さっとどこかに姿を消す。その夜気に紛れるようにして、マルタが執務室に入って来た。


「ふう……」

「レクトは寝たか?」

「すぐにね」

「うむ。良かった」

「なあ、おっさん」

「なんじゃ」

「あたし、ここを出たい」

「かまわん。それがお主のしょう。人間になった意味じゃからな」

「ふふ」


 ぺたっと床に腰を下ろしたマルタが、目を細めて笑った。


「あたしは、ほんとついてる」

「ふん?」

「気の向くまま、八方どこにでも行けるようになったからさ」

「はっはっは! お主らしいな」

「まあね」

「じゃがな」

「うん?」

「今はまだ、ここを出ることを許さぬ。お主との契約は生きておる。家事をまじめにやれという、お主が支払うべき報酬はな」

「うん」


 椅子から降りて、夜の向こうを見晴るかす。全く先の見えぬ、漆黒の闇の向こうを。


「お主は私に二つ依頼を寄越した。いずれも請けたが、私はよほどの事情がない限り同一人からの複数依頼は請けぬ。それはえこひいきじゃからの」

「うん」

「依頼を請けるには、依頼人自身の力では回避出来ぬ相応の理由が必要じゃ。知っておろう?」

「もちろん」

「そして、おぬしの一つ目の依頼。あれはお主の恐れ、怖じの現れよ。お主自身で解決出来たことゆえ、本来は請けられぬ。それをあえて請けたのは、お主にかせをはめるためじゃ。いかな風とて、己の情理をしっかり御さねばすぐに往ぬるゆえな」


 ぎっと唇を噛み締めたマルタが、床に目を落とす。


「ここにいる間に、八方のいずこに進むか決めるがよい。行き先は旅立ちの後でいくらでも変更出来る。じゃが変更するには、その時に生きておる必要がある」

「あ、そういうことかー」

「人は、幼き頃からどのように生きるかを時間をかけて学ぶ。じゃが、お主にはその部分がない。蜘蛛じゃったからな」

「うん」

「それを、お主がここを出るまでの間に学んでくれ。私は何も押し付けぬ。お主自身が学び方を考えるがよい」

「ふふふっ」


 さっと立ち上がったマルタが、私にくるりと背を向けた。


「やっぱ、あたしはすっごくついてるわ。じゃね、おやすみー」

「うむ」


 マルタの気配が消えて。後には私の微笑だけが残った。


めいは聞かぬ。請願なら聞く。それは私のやり方じゃ。マルタもよう見ておるの。マルタは、レクトの請願をきちんと果たした。私の代理を務めてくれたということじゃな。それならば、私も約定を果たさねばならぬ」


 寝苦しい夏の夜に、少しだけでも深い眠りを。レクトにだけでなく、ここに住まう全ての者に。宙に向かって、眠りの印を結ぶ。


「ふわわわわ。さあ、私も休もうぞ」



【第二十話 八方 了】


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