第十九話 七星

(1)

「行ってきまーす!」

「うむ。気をつけてな」

「はあい!」


 メイの御す馬の鞍に、ご機嫌なソノーがぽんと飛び乗った。メイが馬の腹を軽く叩いて走らせる。すっかり濃くなった緑の回廊の奥へ、二人の背中が遠ざかっていった。


「ふっふっふ。現金なものじゃ」

「いやいや、子供らしくなっていいじゃないか」

「まっこと案ずるより産むが易しじゃったな」


 私と同じように目を細めてにこやかに二人を見送っていたアラウスカじゃが、振り返るなり顔を曇らせた。


「のう、ゾディ」

「うん?」

「マルタは……本当に大丈夫なのかい?」

「そうさな。中で話をしよう。日差しがきついゆえ」

「ああ、すっかり夏らしくなってきたねえ」


 アラウスカが、手をかざして蒼空を見上げた。もっとも、それまで夏の酷暑が当たり前だったアラウスカにとっては、ケッペリアの夏なぞ暑いうちに入らんじゃろうな。


 私とアラウスカは、執務室ではなくマルタの寝室に向かった。マルタは、あれからこんこんと眠り続けている。


 メルカド山に単騎分け入り、見事化け物蜂の掃討を果たしたマルタだったが、無傷というわけにはいかなかった。もしあやつに怯えの心がなければ、掃討なぞものの数分で終わったことじゃろう。だが、蜘蛛であることによるすくみがどうしても攻め手を甘くする。深手ではなかったにせよ、毒針の傷をいくつか負ってしもうた。狩り蜂の毒は麻痺毒じゃ。たとえかすり傷でも、動作がどうしても鈍らされる。俊敏さが身上のマルタが切り札を失えば、即座に死が迫り来る。

 されど、あやつは死地を切り抜けて見事生還した。それは、あやつのプライドがすでに蜘蛛である本体を上回っていたからじゃろう。敵に背を向けた時が己の終わり。不退転を己に課したことで、これまでになかった能力が生まれた。本能任せに暴れるのではなく、知恵を絞って切り抜けるという新たな能力がな。


 マルタは、私が蜂群と戦っていた時の作戦をよく見ておったようじゃ。敵の唯一の武器である毒針さえ無力化してしまえば、もう致命的なダメージを食らうことはない。天敵には絶対に勝てぬという思い込みを先んじて消せば、次の一手はゆっくり考えられるのじゃ。毒針を失ってなお、本能のまま尻の先で突き刺そうとして蜂がマルタに組み付いてくる。組み付かせれば、マルタの動きが鈍くなっていても、蜂の弱点である胸と腹の間の結合部を切り断てる。身体に無数の擦り傷を負っておったのは、そのためじゃろうな。


 天敵である蜂と対峙し、恐怖心に打ち克つこと。マルタは、見事にそれを成し遂げた。生還さえ叶えば、あとは時間が解決する。今はまだ途上ということじゃ。


「のう、ゾディ。なぜマルタの解毒をしないんだい?」

「その毒が必要だからじゃ」

「は?」


 心配そうにマルタの額に手を置いていたアラウスカが、ひどく驚いて振り返った。


「使い魔とはいえ、化身させている間は人間の身体と変わらぬ。されど、化身は往々にして解かれる」

「あんたが解く、じゃなく、解かれる……かい?」

「そう。私が呪を解かずとも、マルタが望めばいつでも蜘蛛に戻れる。それは、使い魔が強大な敵から己の身を隠すために必要じゃからな」

「ううむ。それは知らなかった」


 使い魔を仕立てる魔術師や魔女は私の他にもおるじゃろう。されど、使い魔に『格』を与えておる者はひどく少ない。格を与えれば、制御がひどく面倒になるゆえな。じゃが、私は駒にするのもされるのも嫌いじゃ。それゆえ、使い魔と言えども対等の立場にしつらえ、きゃつらに課す労役とそれに対する報酬は契約で定めておる。その契約の中で、保身のために自ら呪を解く権利を保障してあるのじゃ。


「蜘蛛として使い魔を続けるのであれば、今のままでよい。されどマルタの望む人間への転身を果たすには、もう二度と蜘蛛に戻れぬようにせねばならん」

「ふむ」

「蜂の毒は、蜘蛛をむしばむ。眠らせるだけではなく、最後にそれを滅する。じゃが生還できる程度の毒の量ならば、人体への影響なぞ知れたものよ」

「なんと!」


 ぐりっと目を剥いたアラウスカが、眠り続けているマルタを凝視する。私は、マルタの顔の前に手をかざした。


「マルタが真に人間への転身を望むならば、己の手で蜘蛛への退路を断つ必要がある。それを果たすには、どうしても毒が要る」

「ううむ……」

「蜘蛛としての死が、人間としての生の始まりじゃ。マルタは道を選ばねばならん。己の手でな」

「厳しいね」

「ああ。じゃからこそ、ほとんどの使い魔は転身を望まん」

「……。シアもかい?」

「あやつは最後までムカデじゃった。頑固なまでにな。それが摂理」


 手を引っ込め、顔を覗き込む。


「マルタのような者はほとんどおらんよ。テオとは形が違うが、こやつもまた求道者ぐどうしゃじゃな」

「めんどくさいねえ」

「はっはっは! まあ、マルタが選んだ道じゃ。我々がそれにけちをつける筋合いではあるまい」

「まあね」


 どうにか納得したのであろう。苦笑を重ねながらも、アラウスカがマルタの枕元からそっと退いた。


「目が覚めたとて、外見上は何も変わらん。口が悪いのも、素っ気ないのも、掴みどころがないのもそのままじゃ。こやつは蜘蛛や人である前に、風」

「ふっふっふ。そうだね」

「それでよかろう?」

「ああ。あたしもそれでいいと思うよ」


◇ ◇ ◇


 夕方、スカラからソノーとメイが戻って、屋敷は賑わいを取り戻した。


 当初は数日に一度くらいで慣らそうかと思っていたんじゃが、二人揃ってスカラにもっと行きたがった。さすがに寄宿することまでは望まなかったが、他の子と同じように授業に全部出たいと言いよった。それはとても好ましいことじゃ。私は、二つ返事で許可を出した。


 ソノーは初等科の本来のクラスを三つ飛び級し、メイは逆に一つ落とした。年は五、六歳違うのじゃが、学年としては一つしか違わないことになる。スカラの進級は試験制なので、メイの実力が上がれば本来の学年に戻れるし、ソノーは逆にどこかで限界がくるゆえ、バランスは取れる。大勢の子供たちも同じように上下しておるので、優越感も劣等感も生じにくいんじゃろう。その辺り、スカラの舵取りをしておる学長の力量がうかがえるの。


 優しいソノーには、すぐに友達が出来るじゃろうと思っておった。予想通りで、あやつはすぐに友達の輪の中に溶け込んだ。心配しておったメイにも、のんびりした女の子の友人が数人出来て、楽しく過ごしておるようじゃ。テオじゃあるまいし、まだ年端も行かぬ子供らが屋敷に蟄居ちっきょするなぞ論外じゃろうて。


 スカラに通わせることで、二人の将来に向けて大事な地ならしが出来る。もちろん、大人として暮らすのに必要な素養を身につけることが一番じゃが、私の目論見はそれだけではない。

 ソノーとメイには、その名だけではなく私の姓が付いて回る。リブレウスという家名を負うのじゃ。それが単なる形ばかりのものであっても、正当な子女であることをスカラできちんと示せる意義は大きい。今後のこともあるからの。ただ……成人済みのマルタの場合はそう簡単に行かぬ。そこをどうするかじゃな。


 一人で十人分やかましいシアがいなくなった後、ずっと辛気臭かった夕食の時間。それが突然賑やかになって、私はほっとする。世間一般の家族団欒とはもちろん違うが、それでも心置きなくよもやま話の出来る時間があるとないとでは、大違いじゃからな。


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