(2)

 机の引き出しから細身のペーパーナイフを取り出し、そのつかを強く握る。


「撒き餌にまんまと食いついたようじゃな」

「は?」


 私が指差した窓の外を見て、マルタの表情が凍り付いた。空が真っ黒になるくらいの巨大狩り蜂の群れ。本来群れを作らぬはずの蜂が、大挙して押し寄せてきた。


「屋敷の草木を、せんと同じように子供に見せかけてある。スカラが移転して餌場がなくなったゆえ、すぐここに殺到するじゃろうと思うてな」

「ゾディ、あんたそれでソノーたちを……」

「そうじゃ。ソノーやメイがおると連中に襲われかねん。しかも、見せたくないものを見せることになるからな」


 手にしたペーパーナイフを勢いよく振り下ろす。


「ふん!」


 それはぐんと伸びて、一振りの剣と化した。


「マルタ。私が使えるのは魔術だけではない。ガタレの竜とも、これまで何度か剣で仕合っておるゆえな。お主に、力の使い方を見せてやろう」

「う……」

「お主は、エルスだけは死んでも守ると大口を叩いたな! ここで背を向けてこそこそ逃げたら、その場で滅するぞ。覚えておけっ!」


 マルタをどやしつけ、単騎で屋敷の外に出る。子供らの姿がかき消えて苛立っていた蜂どもは、私の姿を認めるやいなやすぐに襲いかかってきた。


「どれ、久しぶりに切った張ったをやらかすか」


 いかに巨大化、凶暴化しているとはいえ、連中は所詮狩り蜂じゃ。特別な魔力が使えるわけでも、複数の武器が使えるわけでもない。結局毒針しかまともな武器を持たぬ。じゃからこそ待ち伏せという手段を取る。最初から己の姿を見せてしまえば、ただ図体がでかいだけの雑魚に過ぎぬ。

 尻を突き出して、すれ違いざまに針を突き立てようとする蜂ども。その攻撃の型にも芸がない。向こうから武器を差し出してくれるのじゃから、それを片端から剣でぽんぽん切り落とせば済むことじゃ。


「ほれ。ほれ。ほれ。ほれ。ほれ」


 私の周りに蜂の毒針が山を為し、何も出来なくなった蜂どもが甲高い羽音を立ててうるさく飛び回るだけになった。そこで一度屋敷の中に戻る。


「のう、マルタ。見ておったか?」

「……うん」

「戦うというのはこういうことじゃ。むやみやたらに暴れればいいというものではない。さて、後始末してくるか」


 再度屋敷の外に出て、すぐ裏庭に回った。ソノーやメイが夏に水浴びをする川。その深みから一人のネレイスがぽかりと浮き上がって、私に物欲しそうな顔を向けた。


「ねえ、この前の。もっとないの?」

「三日間だけの約束じゃからな」

「けちぃ」

「別のものならあるが、要るか?」


 上空を飛び回っている巨大な蜂群ほうぐんを指差す。それを見上げたネレイスが、不思議そうに聞き返した。


「ふうん。あれは食べてもいいの?」

「人ではないからな。存分に食ろうてくれ」


 ネレイスの美しい顔がぎゅいっと歪んで口が耳まで裂け、その隙間からずらりと並んだ鋭い牙が覗いた。


「じゃあ、遠慮なく。みんなを呼んでいい?」

「構わんぞ。すぐにフィードするゆえ」


 ネレイスが同朋を呼び寄せてほどなく、私が川べりにいることを覚った蜂どもが、本能に駆り立てられるまま襲いかかってきた。じゃがどれほど図体が大きくても、毒針を持たぬ蜂はただの木偶でくの坊に過ぎぬ。蜂を滅するのは、畑の野菜を抜くのと同じ単純作業じゃ。私は飛びかかってくる蜂の羽をすぱりすぱりと剣で切り落とし、胴体を川の中に蹴り込んでいった。

 羽を失って水中に落ちれば、蜂はもう何も出来ぬ。今か今かと待ち構えていた無数のネレイスが歓声を上げて蜂に飛びつき、ばりばりと大きな音を立てながらあっと言う間に食らい尽くしていく。


 空を覆う勢いで群れていた蜂どもは、半刻はんときもせぬうちに全てネレイスの腹に収まった。


「やっぱり子持ちはおいしいわねえ。げぷっ」


◇ ◇ ◇


 先だってとは違い、マルタは歯を食いしばって蜂掃討の一部始終を凝視していた。少しは肝が座ったかの。それにしても、まるでネレイスどもの餌付けじゃな。やれやれ。

 蜂の飛影が消えて広くなった空を見上げ、いくつか愚痴を放る。


「竜に悪意があるわけでなし。されど瘴気の影響がかように大きいのは、どうにも厄介なことじゃ」


 ぶつくさ言いながら執務室に戻ると、窓際でじっと俯いていたマルタが、意を決したかのようにさっと顔を上げた。


「なあ、おっさん」

「なんじゃ」

「あたし、魔術で叶えて欲しい願いがある」

「ふん?」

「あたしを……人間にしてくれ」


 やはり……か。


「請けられるが、大技じゃ。私が要求する報酬も大きいぞ」

「なに?」

「メルカド山南麓のくぼ地にあの連中の巣窟がある。此度ほとんど退治したが、まだ残党がおるはずじゃ。それを根絶やしにしてこい」

「おいっ! ゾディ、それはっ!」

「黙っておれっ!」


 アラウスカを一喝して、黙らせる。


「よいか? ガタレの竜は今抱卵しておる。巣域そういきが封鎖されておるゆえ、人間は一切立ち入れぬ。いかな私やアラウスカでも中には入れんのじゃ」

「う……ん」

「じゃがそのまま捨て置けば、残党が山から出てまた子供を襲うじゃろう。今のメルカド山には使い魔であるお主しか立ち入れぬゆえ、連中の掃討を任せる」


 真っ青な顔で俯いていたマルタは、自らに覚悟を突きつけるようにして条件を飲んだ。


「やるよ。どっちにしても、そこでくたばったらあたしが人間になる意味なんかないんだ」

「そうじゃな。そして、お主の苦内じゃが」

「うん?」

「なぜサラマンダーの紋章が刻まれたか。その意味をよく考えておけ」

「分かった。夜に出る」

「うむ」


◇ ◇ ◇


 日が沈む頃。屋敷を出る時には行きたくない感爆裂だったソノーとメイが、大はしゃぎしながら帰ってきた。よほどスカラで過ごした一時が楽しかったんじゃろう。まったく、食わず嫌いもいいところじゃな。


 そして。二人と入れ替わるように、裏口からマルタが走り去った。その後ろ姿を、アラウスカが心配そうに見つめている。


「大丈夫かねえ」

「必ず仕留めて戻ってくる。そういうやつじゃ」

「そうかい?」

「ああ。六つめの無がくつがえらぬ限り、あやつは必ず生き延びる」


◇ ◇ ◇


 私は、マルタの生還を微塵も疑わなかった。


 人間への転身は、生き方の転換じゃ。使い魔であればいつでも蜘蛛に戻って身を隠せるが、人になれば人以外の退路はない。転身によって得るものより、失うものの方がはるかに多い。それに怖じを感じておれば、転身なぞ決して望まぬはずじゃ。生命を賭して自らの運命に挑む。その気概さえあれば、六つ目の無に陥る心配は全くないからの。


 そして私の予想通り、興奮していたソノーとメイがやっと寝静まった深夜に、全身傷だらけになりながらもマルタが帰還した。


「ただいま」


 疲労の色が濃いマルタをねぎらう。


「ようやった。火に弱かったじゃろ?」

「そうなんだろね。でも使わなかった」

「ほ?」

「それが……あたしの蜘蛛としての最後の誇りさ」

「うむ。とまれ、ご苦労であった」


 どさっ。力尽きたように、マルタが床に崩れ落ちた。私はマルタを抱え上げ、駆け寄ってきたアラウスカに告げた。


「少し長く休ませる。化身はもう解かぬゆえな」



【第十八話 六無 了】


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