第十八話 六無

(1)

「ううー」


 スカラの制服を着たソノーとメイだが、二人とも最初からものすごく後ろ向きだった。


「行きたくなーい」

「わたしも……です」

「お主らに拒否権はない。ソノーは執事、メイは家政婦。雇用主は私だ。スカラに行くのも仕事のうちだと考えよ」

「ううー」

「……」

「では、学長。よろしくお願いいたしまする」

「承知いたしました。お嬢さまをお預かりしますね」


 二人に優しい笑顔を向けた学長が、任せておけとばかりに胸をぽんと叩いた。


 化け物蜂の退治とスカラの移転。私が講じた対策で子供たちの安全確保が出来た学長は、提示した報酬要求を喜んで承けてくれた。それどころか、子供らをなぜ今までスカラに通わせなかったのかという非難の表情すら顔に出した。ははは。まあ、そうなんじゃがの。二人にもいろいろ事情があるからな。


 ソノーやメイのような特殊事情を持たずとも、経済的な事情でスカラに行けぬ子は今でもそれなりにおる。じゃが、世代をまたがる貧困の悪循環を断ち切るには、親が子に才を磨く機会を与えぬことには始まらぬ。

 ケッペリアは経済的に貧しい地域ゆえ、スカラでの子供の教育には国から手厚い補助が出ていた。中央と地方との格差をある程度補正しておかぬと、敵国の侵略があった時に辺境がすぐ寝返る恐れがあるからな。教育投資は、格差是正の方策としては安いものじゃ。子供を寄宿させるとその子の飲食の心配がなくなるゆえ、子供の教育機会が増えるだけでなく無情な捨て子が減る。ソノーやメイのように酷い扱いを受ける子を生まずに済むのじゃ。

 スカラにおる子がみな金持ちの子息というわけでなければ、いろいろな立場の子たちと交流させることでソノーやメイに外の世界を感じ取らせることが出来る。二人とも、同年代の友人を作る必要があるからの。


 もちろんソノーやメイの事情は勘案せねばならぬゆえ、いきなりの無理強いにはしなかった。


 ソノーは、側はともかく中身はほぼ大人。教育と言っても、同年代の子と同じ初等レベルで学ぶのはそもそも無駄じゃ。なので、世間を知ってこいと言い含めた。依頼人の請願を前もってさばくことで、ソノーは世の中の影をいっぱい見ておる。じゃが、それだけだといかに優しいソノーであっても徐々にくすみ始める。未来を夢見ること。子供にだけは無制限に許されるそいつを、いずれソノーも自身の手で描き出さねばならぬ。ただ、それには手本が要る。そして、手本は私もアラウスカも与えられぬゆえな。

 スカラに行くことをずっと渋っていたソノーであったが、亡くなっていた娘を弔うにはお主が幸せにならぬと意味がないぞと脅し、なんとか飲ませた。


 それよりメイの方が、問題の根はずっと深かった。放浪していた間は、教育を受ける機会など皆無。そして、ジョシュアが勉強を見てくれていた期間はほんのわずかじゃ。年齢に見合った学力を欠いていることなぞ、最初からわかっておる。メイが己の無学に強い劣等感を抱き、気後れしてしまうのは致し方あるまい。しかも、メイの発話はまだたどたどしい。それを子供たちに揶揄やゆされると、せっかく開きかけた心の扉がまた閉じてしまう。放浪生活の間に同じ年頃の子供たちに邪険にされたことは一度や二度ではあるまい。メイはまだ、誰に対しても根深い不信感を持っておるじゃろう。

 じゃが、傷や欠点をいくら並べてもなんの解決にもならぬ。傷は塞げばよい。欠点は減らせばよい。手の届かぬ上を見るのではなく、今立っているところから少しだけ上がる。それで十分じゃ。そのために、私はジョシュアを利用することにした。


「のう、メイ。ジョシュアは修行によって、心身を鍛え上げて帰って来る。その時にお主は今のままで良いのか? ジョシュアには、明るく聡明になったお主を見てもらいたいであろう?」


 それが、決定打であった。


 もちろん、二人が喜んでスカラに行くわけはない。私も、そうするのは時期尚早だと分かっておる。まずはお試し。それしかなかろう。学長の来訪から一ヶ月経った今日。馬車で迎えにきた学長に伴われ、嫌々ではあるがスカラの一日体験に臨んだと……そういうわけじゃ。


◇ ◇ ◇


 いつも当たり前のようにあった二つの気配が消えて。屋敷の中はしんと静まり返った。その静寂を嫌気するように、アラウスカが靴音を響かせながら執務室に入ってきた。


「のう、ゾディ」

「ん? なんじゃ?」

「ソノーとメイはともかく。マルタはいったいどうしたんだい?」


 アラウスカの心配はもっともであった。化け物蜂退治の時に怯えて全く動けなかったマルタは、そんな己自身の弱さが心底堪えたんじゃろう。辛うじて家事はこなしているものの、見るからに生気が乏しくなった。人を小馬鹿にしたような態度にひどく腹を立てていたアラウスカでさえ、その極端な変化を危惧しておる。


「ああ、あやつには相当ショックだったようでな」

「ほう?」


 アラウスカに椅子を勧める。その椅子にどすんと腰を下ろしたアラウスカが、ぐいっと身を乗り出した。


「ショック……かい」

「そうじゃ。あやつは勝てる相手には喜んでつっかかるが、勝てそうにない相手からは一目散に逃げる。雑魚相手の時には油断し、強敵からはただ逃げ回るだけでは、守衛役として下の下じゃ」

「ふむ、確かにね」

「まあ、格下相手に油断するなというのは、ボルムでの立ち回りで悟ったじゃろう。しかし、後の欠点が厄介なのじゃ」

「なんでだい?」

「退路がないという状況も起こりうるからな」

「ぬ!」


 杖を振り上げたアラウスカが、それで床を強く叩いた。かあん!


「なるほど! 確かにそうだ!」

「お主の魔女としての意地や自尊心には、たっぷりと年季が入っておる。じゃが、マルタのそいつにはまだ芯がない」

「うーむ、自身過剰のやつに見えたけどねえ」

「相手が常人であれば、な」


 じわりと暑さの層を重ねつつある初夏の風。私は、窓から忍び込む熱に目を向ける。


「蜘蛛にとって、狩り蜂はあらがえぬ天敵じゃ。狙われればひとたまりもない」

「うむ」

「その上、連中は竜の瘴気を得て凶暴化しておった。体が大きく、俊敏で、数が多い。今のマルタではまるで勝ち目がない。それだけではなく、逃げ場もない」

「それで……かい」

「そう。結界の中であれば連中に襲われることはないが、どこにも逃げられぬ。あやつは、恐怖で気が狂いそうじゃったろう」

「なるほどねえ」


 どうしたものかとアラウスカと二人で考え込んでおったら、そこにマルタがよたよたと入ってきた。


「エルスは寝たのか?」

「うん」

「なんじゃなんじゃ、マルタ。それでは蜘蛛ではなく、まるでナメクジではないか」

「うん……」


 いかん。何も言い返せぬのはひどく重症じゃ。ふう……仕方ないのう。


「昔々、私以上に偏屈な学者がおってな」

「は?」


 突然何を言い出すのかと、マルタとアラウスカが訝しげに私の顔を見る。


「そいつは世の中から爪弾きにされて、悔し紛れに言うたそうな」

「へえー、なんだって?」

「親も子も伴侶も金も仕事も無い。これで、無いが五つ」

「ふむ」

「うん」

「じゃが、死にたくも無い。全部で六つ。六無」

「ほう、なるほど」

「変なやつじゃろ?」

「うん」

「じゃがな、前の五つはあってもなくてもかまわぬ。どうにかなるゆえな。最後の無いだけは……あるになればそれでしまいよ」

「……」

「六つ目の無にどこまでもこだわる。恐怖や弱さに勝つにはそれしかない」


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