(2)

「ごちそうさまー」


 ソノーとメイが、スカラの宿題に取り組むべく食卓の上をてきぱきと片付けた。


「あの、ゾディさま」


 何かに気付いたかのように、ソノーが片付けの手を止めてふっと首を傾げた。


「しばらくマルタさんを見ませんけど、どこかに派遣されたんですか?」


 ソノーやメイには、化け物蜂の騒動にマルタが関わったことは伝えておらぬ。すでに片付いてしまった案件ゆえ、あえて口に出す要もないしな。


「いや、おるよ。ずっと眠っている」

「ええーっ? 姿を見なくなってから、二週間は経ってますけど。病気……ですか?」

「いいや。あいつは今戦っておるのじゃ」

「は?」


 意味が分からなかったのであろう。二人とも、きょとんとしている。


「屋敷の中では極力魔術を使いたくないゆえ、これまで家事は使い魔たちに任せてきた。シアもそうじゃ。じゃがな、私の作る使い魔は奴隷ではない。それなら、わざわざ使い魔にする要がない。絡繰からくりで済むゆえな」

「そ……か」

「お主たちも、操り人形のように執事や家事をせよと言われるのは嫌じゃろう?」

「はい」

「うん」

「私も、使い魔にそうは言いたくないのじゃ。じゃから、あくまでも雇用という形を取る。私が魔術行使の依頼を請ける時と同じじゃな。依頼と報酬」

「依頼は分かりますけど、マルタさんたちがもらえる報酬はなんですか?」

「食料と安全じゃよ」

「あ、そうかー」

「生命を賭して食料を漁らなくても済む。屋敷で人形ひとがたを保っておる限り、誰にも襲われぬ。それは、お主たちも同じであろう?」


 顔を見合わせたソノーとメイが、揃って頷いた。


「ほとんどの使い魔は、その条件で契約を受諾してくれる。シアもそうじゃった」

「はい」

「じゃが、マルタは違う」

「ええっ?」


 二人の目が点になった。


「違う……ですか?」

「そうじゃ。あやつは餌を自力で獲る。守られる要もない。根っからの狩人じゃ。そもそも私の要請を請けるべき要素がない。それなのに、なぜ請けた?」

「あ……」

「極めて珍しいことよ。その生き物には元来あたわぬことに挑む。マルタが私の要請を承けた理由は、それじゃ」


 信じられないという表情で、ソノーとメイが揃って絶句しておる。臆病なお主たちには、理解出来んじゃろうな。じゃが、いずれお主たちもマルタと同じように身命を懸けて己の運命に挑まねばならぬ。


「蜘蛛としての限界は、人に化身すれば突破出来る。あやつは最初、それだけでもっと大きなものに挑めると思っておった」

「出来なかったんですか?」

「無理じゃよ。身体が大きくなっても、心まで大きくなるわけではないからの」


 卓の上をこつんと指で叩き、話を続ける。


「ボルムでの亡者退治。せんの化け物蜂掃討。人形ひとがたを得ても、蜘蛛の力では果たせなかった。あやつは、初めて自分の弱さを知った。身体ではなく、心のな」

「……そうか」


 床の上をうろうろしていた小さな虫の前に手をかざす。怯えた虫が、一目散に逃げていった。


「小さな生き物にとって、恐れて逃れることは危難を避けるための本能。身命を守るためにはどうしても必要じゃ」

「うん」

「されば。マルタが蜘蛛である限り、心の弱さは決して克服出来ぬ」


 私の話の意図を察したのであろう。ソノーがおずおずと問うた。


「あの、ゾディさま。まさかと思いますが……」

「じゃから、あやつは人間になることを望んだ。それが私への依頼じゃ。メルカド山の化け物蜂の掃討。私はそれを条件に依頼を請けた。あやつはそれを命がけで果たした」

「わっ!」


 事情を知らなかった二人が、のけぞって驚いている。私はそれに微笑で応えた。


「今眠っておるのは、あやつの心身に繋がっている蜘蛛としての己を滅するためじゃ。二度と蜘蛛であることを言い訳に出来ぬようにな。人として生きるには、人以外の退路を断たねばならん」

「そ……んな」

「良いも悪いもない。そういう生き方もあると言うことじゃな。どれ……二人とも、ちと付いてまいれ」


 私は、ソノーとメイを伴って屋敷の外に出た。


「今宵は星がきれいじゃ」


 夜空を見上げる。今夜は新月じゃ。月影が隠れ、屋敷に覆いかぶさる闇はどこまでも深い。されど、闇が深いほど星の数と輝きは増す。

 星の光は様々じゃ。赤い星、青い星、白い星。鮮やかな星、くすんだ星。されど、光らぬ星が顧みられることはない。もし無光の星があったところで、それは存在せぬのと同じじゃ。


 私と同じように夜空を見上げていた二人に、星の配置を指し示した。


「あれが見えるか?」


 ほぼ真上。無数の星々の中でもひときわ鮮やかな七つの連れ星が、静かに我々を見下ろしている。


「夏の七星しっせい。それぞれの星が、仲良く並んでいるように見えるじゃろ?」

「はい」

「じゃが、実際にはあれは並んでおらん。同じ方角にあるゆえ、そのように見えるだけじゃ」

「そっかー」

「この屋敷もそうじゃ。我らはそれぞれに己の形があり、目指すもの守るものが異なる。たまさかきょいつにしておるだけ。連れ星の並びを見誤ってはいかんぞ」


 私に突き放されたように感じたのか、二人揃って俯いてしまった。


「はっはっは! 心配せずともよい。私は、とっとと出て行けなどとは決して言わぬ。そういうことではない」


 星に飾られた夜空をぐるりと指差す。


「星は無数にある。お主らはその一つとして、どこかに埋もれている」

「はい」

「ここにおれば見てもらえるが、ここを離れれば消えてしまう。お主らは、そういう星になりたいか?」


 慌ててソノーがぶるぶる首を振る。わずかに顔を背けたメイも、ぎゅっと口を結んだ。


「嫌じゃろう? それなら、人の言いなりになるな。己を安易に崩すな。七つ並ばぬと認めてもらえぬ……そんなつまらぬ星になるな。そういうことじゃ」


 さっと顔を上げた二人が、にっこり微笑んだ。


「うん!」

「はい」


 さて。


「七星の七つめが来る。これからしばらく……屋敷が激しく揺れる。こらえてくれ」

「え?」


 私が突然妙なことを言ったので、ソノーもメイも鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。


「あの……ゾディさま、どういうことでしょう」

「ほれ」


 私が指差した闇の奥から馬蹄の響きが近づいてきた。闇に慣れた我々の目でも、それが何かは判然としなかった。音が屋敷の門前で止まった時に、ようやくそれが粗末な馬車であると知れた。馬車から二人の人物が降り、屋敷に向かって歩いてきた。壮年のがっしりした男と、ソノーくらいの年の幼い男の子じゃ。


 男は我々の姿を認めるなり、挨拶も何もなくいきなり依頼を切り出した。


「ゾディアスどの。レクトさまの保護をお願い出来ましょうか?」

「報酬による」

「どのような……」

「お主らが王位に色気を出さず、さっさと諦めることじゃ。条件を飲んで野心を捨てねば、どのみちお主らの命脈は尽きるでの」

「……」

「お主が小賢しいことを企むゆえ、こういうことになる」

「う……ぬ」

「どうする? 報酬を払えねば、私はとっとと帰れというだけじゃ」


 黙っていた男は、私の横にいたソノーの背後に素早く回り込み、隠し持っていた剣を首に突きつけた。


「ひっ」

「ゾディアスどの。その条件は飲めぬな。この娘との交換条件にしてもらう」

「馬鹿者め。手元を見よ」

「ぬっ!」


 透身の術を使ったソノーはすぐに男の拘束を逃れ、メイとともにやかたの中に逃げ込んでいた。ソノーではなくメイを人質に取れば、少しは目があったかもしれぬな。はははっ。


女子おなごにすら逃げられるような、うすのろの命は聞けぬな」

「ぬかせーっ!」


 大上段に剣を振りかぶった男を、術で遠ざける。


「フロシュ。ひきになって、川で暮らせ」


 ちぃん! ちん……。剣が敷石の上に跳ね落ち、小さな火花と耳障りな金属音が闇を汚した。足元でごそごそうごめく大きな蟇。それを足蹴あしげにする。


はかりごとがそんなに好きならば、蟇の姿で思う存分するがよい」


 蹴られた蟇は、げこげこと鳴きながら何処いずこにか逃げていった。賊が連れていた男の子は、騒動や結末に怯えることもなく、澄まし顔で一部始終を見ていた。


「お主はどうする?」

「どうしようもないよ。いくとこどこにもないもん」

「……そうじゃな。ま、仕方ない。馬鹿は蟇にしてしまったし、請けざるをえぬか」


 男の子が、人を小馬鹿にしたような調子で短く笑った。


「はっ!」



【第十九話 七星 了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る