第十七話 五感

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 春までのごたごたがやっと一段落して、屋敷に落ち着きが戻ってきた。不穏な気配が消えて物足りなそうなマルタはともかく。周囲がざわついていたことに不安を覚えていたソノーとメイは、やっと子供らしさを出せるようになったじゃろうて。

 ただ……。がさつじゃが母性や包容力が底ぬけに大きかったシアと違い、マルタは二人にとってどうにも理解しにくい存在。そのことが、二人をずっと緊張させていた。


 マルタは家事をてきぱきとこなす。されど、まるでからくりが担っているかのような乾いた所作じゃ。笑顔もなく、何も言わず、機械的に黙々と済ませてしまう。メイが言葉や感情をうまく表せないのに対して、マルタはそんなものを示す意味はないという風情じゃ。敵意も好意もない無機質な態度。


 アラウスカに対しては容赦なく口撃を向けるマルタじゃが、ソノーやメイに対しては憎まれ口を叩かない。ほとんど無視している。視界にすら入らないというように振る舞う。情操面に女性らしさが出るソノーやメイは、情の見えないマルタとはどうにもこうにもやり取りしにくいんじゃろう。マルタの無視が面白くないソノーとメイじゃが、マルタが怖いゆえ言葉でも態度でもその不満を示せぬ。ボルムの連中とやり合った際のマルタの戦闘能力を、アラウスカからたっぷり聞かされておるからな。


 ちと……住人間のバランスが崩れてしまっておるのう。


 それでも、私は仲を取り持つつもりはなかった。使い魔がシアであれグレタであれマルタであれ、大人としての造形を与えられた彼らとの関わりには、本来距離を置かねばならぬ。私はシアの時の失敗を、愚かしく繰り返したくない。じゃからこそ、マルタにはとことん己の流儀でやって良いと言い渡してある。


 マルタの態度を許可しているもう一つの理由は、ソノーやメイの今後のためじゃ。世間は、自分にとって好意的な者ばかりでは出来ていない。いくら自分が是だと思っていても、残りの者が全て非と唱えれば、それは非じゃ。一人でそれをくつがえすことは出来ぬ。屋敷を出て独り立ちした二人が押し寄せる現実と渡り合うためには、己と合わぬ者や敵対する者としっかり向き合わねばならん。

 されど、今はソノーやメイが庇護や理解ですっぽり包まれている。それは厳しい現実からかけ離れているゆえ、決して好ましくないのだ。己の側に置けぬ存在としてマルタのような者がおるのが当然で、おらぬ方がおかしい。私が屋敷で極力魔術を使わぬようにしているのも同じ理由じゃ。それはあって当たり前ではなく、ないのが当たり前じゃからな。


 自分の感性に合わぬ者が近くにいる時、それをなぜ不快に思うか。最初から他者のせいにせず、自分と照らし合わせて考える。子供らは、これからそういう訓練を積まねばならん。

 穏やかで過ごしやすい季節。もっとも心の安定を保ちやすい季節。今のうちに、たくましくなる緑に負けぬようしっかり心を鍛えんとな。


 冠雪がどんどん小さくなるメルカド山の頂を見上げながら、私はそんなことをつらつら考えておった。


「まったくっ! あの口に蓋が出来ないもんかねっ!」


 ぶりぶりと怒り狂いながら、アラウスカが足音高く執務室に入ってきた。


「はっはっは。屋敷がすっかり落ち着いてしもうたからな。マルタはつまらんのじゃろう」

「少しは年長者を敬えってんだ!」

「蜘蛛のすることにぶつくさ言うたところでしょうがなかろう。シアなんざ、最後まで私を穀潰し呼ばわりしよったからな」

「あーあ。やれやれだね」

「まあな。そのくらいがさがさに作り込んでおかぬと、踏ん切りがつかぬ」

「む……確かにね」


 執務室の開け放った窓から、青葉の匂いを含んだ爽やかな風がさわさわと吹き込んでくる。それを胸いっぱい吸い込んでおったら、いつの間にか執務室に入ってきたマルタが、ひょいと窓枠に登った。


「どうした?」

「誰か来る。ちょっと毛色の違うやつだ」

「ふむ?」

「二頭立ての馬車。乗ってるやつの身なりがいい。香水の匂いがする。言葉遣いが丁寧だし、あたしの出番はないか」


 それだけ言い残して、さっと消えた。


「ふむ。さすがじゃな」

「ほう?」

「あやつの五感は尋常ではない」

「五感……ねえ」

「さすが蜘蛛じゃ。気配の察知だけじゃなく、五感で調べたことの組み立てやそれに対する判断が早い。あれは人には出来ぬ」

「そうだね」


 アラウスカが、じっと窓の外を見やる。


「あやつくらいになれとは言わぬが、ソノーやメイにはもう少し五感を磨いてもらわんとな」

「どういうことだい?」

「外を感じる力。そいつは、意識を自分に置くと鈍るばかりじゃろ」

「ああ、そうか。そうだね」


 がりがりと頭を掻いたアラウスカが、はあっと大きな溜息をついた。


「どうしても、あたしたちの同類って見てしまうからねえ」

「そうなんじゃ。それは、ソノーやメイにとって不幸じゃからな」

「のう、ゾディ」

「なんじゃ」

「マルタは、なぜソノーやメイを無視する? あやつの五感はそこに全く使われておらんが……」

「それは、あやつが蜘蛛だからじゃよ」

「は?」

「ソノーやメイ、そしてエルスはマルタよりも劣った存在。マルタはそれを餌とみなす」

「!!」


 ぎょっとしたように、アラウスカが立ち上がった。


「おいっ!」

「はっはっは。まあ仕方あるまい。じゃが、あやつがソノーたちを餌の対象から外すには動機がいる」

「動機……か」

「ああ、それは食えぬものであると……な」


 こん! アラウスカが杖で床を一つ叩いた。


「それでか。あやつには敵味方という概念がない。食えるか食えないか、それだけということだね」

「そう。あやつは、私やお主を決して食らえぬ。実力であやつを上回る我らは、あやつにとって忌避すべき存在じゃ。だから牽制しかせぬ。五感を距離確認にしか使わぬ」

「うーむ、なるほどねえ」

「そしてソノーたちは、我らが全力で守っている。そこに手を出せば、己が滅する。それは『決して食えぬ』もの。石ころや棒切れと同じで、五感を適用する要がない」

「母性は?」

「最初にあやつが言ったじゃろ。エルスに対してだけある。エルスはあやつにとって死力を尽くして守るべき卵じゃ。あやつに博愛は出来ぬし、それでいい」


 アラウスカは、私の説明に納得したんだろう。


「そういうことかい。あんたもしっかり研究したんだね」

「まあな。いつも手探りじゃが、失敗は何度も繰り返したくない」

「分かる」

「ソノーやメイがマルタばかりを見ていると、どうしてもそこに衝突が生まれてしまう。あやつらの五感を外に向けてもらわぬと……」


 私は椅子から降りて、窓を閉めた。


「ソノーらがここで飼い殺しになってしまうゆえな。それは不幸じゃ」


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