第十六話 四分

(1)

 ボルムの残党による騒動が片付き、春を迎えた屋敷は華やぐ……はずじゃった。しかし、春爛漫に浮かれているソノーや発語が上達して笑顔が増えたメイとは裏腹に、私は憂鬱がひどくなっていた。


 それは、どうにも厄介な依頼のせいであった。


◇ ◇ ◇


「うーむむむ……」

「困ったもんだねえ」

「そうじゃ。こればかりは力尽くが利かぬ。触り方が極めて難しい」


 そう。本来アラウスカのところで止まるはずの依頼。それをアラウスカが扱いかねて私に持ち込んだのだ。他愛ないと言えば他愛ない話じゃ。お主らの勝手にせいと放り出すことも出来るし、私はそうしたい。じゃが、そうしてしまうにはあまりに微妙なのじゃ。


 依頼を持ち込んだのは、一人の娘であった。村の商人の三姉妹。容姿は凡庸なれどどの娘もしょうがよく、すでに三人とも結婚が決まっている。商人は嫁ぐ娘たちに持参金を持たせるべく、相応の金品を整えた。ところが……。


「それが三分ではなく、四分だったのです。わたしたちは納得が行きません」


 そうじゃろうな。親が出費を切り詰めるにしても、最初から額を調整して三分すればいい話じゃ。そして気立てのいい娘たちは、その額がいかな額であっても文句は言わぬはず。されど、目前で四分された財を見せられれば、どうしても心が騒ぐ。なぜ四分なのかと。当然、娘たちは父親に真意を質したが、父親は頑としてその理由を口にせぬ。それに腹を立てた娘たちが、揃ってへそを曲げてしまったのだ。


 一番考えられる理由は、隠し子だ。父親が母以外の女をはらませて外に娘を作っておれば、その娘の結婚費用は父が工面せねばならぬ。じゃから四分ではないのか、と。

 しかし、娘たちは揃って首を傾げた。温厚で真面目。商いが正直過ぎて儲けを出すのに苦労しているような父に、妾を作るような甲斐性があるとはとても思えなかったからだ。その見立てには、私も同意する。その商人の店にはメイやマルタを何度も行かせておるが、相手が子供だからと言って馬鹿にしたり金をごまかしたりすることもなく、お人好しを絵に描いたようなご主人じゃ。どう考えても、隠し子がどうの金銭欲がどうのという要素はない。


 他にすぐに思いつくのは、奥方が死産したという場合じゃ。今生きておればという思慕がその場におらぬ四人目に財を残そうという発想に繋がってもおかしくはない。じゃが、そうであれば必ず娘たちに想いを伝えるはず。父が事実をひたすら隠そうとする意味が分からぬ。奇妙なのは、商人の妻もまた口を固くつぐんで理由を話さなかったことじゃ。


 つまり夫婦には娘たちに決して明かせぬ重大な秘密があり、娘たちはどうしてもそれを知りたい。そうしないと四分がどうしても納得出来ない。じゃから、娘が私に持ち込んだ依頼は、魔術によってその秘密を明かして欲しいということであった。


 秘密を明かすのは造作ないことじゃ。じゃが、請けた私が娘たちに父の秘密を報せれば、娘たちが激怒して親子の縁を切るやもしれぬ。それは親子にとってどうしようもなく不幸じゃ。そして、私が依頼を拒絶すれば、父への不信感を払拭出来ぬ娘たちと父親との仲に大きなひびが入る。


 いずれにせよ不幸をもたらしてしまう二択。アラウスカだけではなく、私もそれを目前にして苦悶せざるを得なくなったのだ。


「うーむむむ……」


◇ ◇ ◇


 行き詰まってしまった時には、気分転換が一番じゃ。それも、生半なまなかな場所では気分が変わらぬゆえ、ちと刺激の強いところに行くとしよう。私は外套を着込むと、ソノーに外出を告げた。


「ちと出かけてくる。夕刻までには戻る」

「行ってらっしゃいませ。どちらへ?」

「山じゃ」

「山……ですね」


 どの山と言わなかったことで、ソノーには山がどこかは分かったであろう。ソノーの出自がメルカド山の山裾であっても、ソノーにとっては決して居心地の良い場所ではなかったはずじゃ。そもそもニンフなぞ絶対におらぬはずの場所に、なぜニブラがおったのかが不思議じゃったからな。


「お気をつけて」

「うむ」


 それまで浮かれていたソノーが、顔に影を浮かべてすうっと引っ込んだ。亡くなっていた女の子の代わりに、新たな生を引き受けた優しいニブラ。あの時のニブラの決断はひどく重かったと思う。ニブラは、亡くなった子ではない。転位してもその子の人生の代わりは決して務まらぬ。それを知りつつ、なぜあえて生を選択したのか。


 私は転位を果たせても、心までは変えることは出来ぬ。ソノー自らが心境を明かす日が来るのか否か。それは、私には前以って計れぬのだ。決してな。


「行くか……」


◇ ◇ ◇


 いつもであれば山裾のみの散策で済ませるのじゃが、私はあえて山頂を目指した。山裾の雪解ゆきげはかなり進んでおる。竜ももう起きておることじゃろう。もう少し暖かくなれば抱卵が始まるな。


 山頂が近付くに従って硫黄の臭いが濃くなり、地響きのような唸り声が山塊をじわりと揺るがしていた。


「誰じゃ」


 地獄の底から響くような低い音声おんじょう。それに答える。


「ゾディアス・リブレウスという。お主とは初の会見になるな。せんにテオとジョシュアが大変世話になった。礼に参った」

「ほう」


 ごうっ! 黒い炎が頭上に高々と舞い上がり、ゆっくりと竜が頭をもたげた。


「お主がゾディアスか」


 私が屈んでかしずくと、竜がにやっと笑った。


「なるほど。さすが我らと長く交誼を保っておるだけある。礼はよく知っておるようじゃな」

「無用な争いはしたくないからの」

「まあな」

「先代が身罷みまかられる際に山を俗人から切り離したのじゃが、いくらか静かになったか?」

「それには大いに謝しておく。蝿が一匹だけ落ちてきたが、それくらいじゃな」

「何よりじゃ」

一時いっときのち巣域そういきを封鎖する。決して近付かぬように」

「御意」


 穏やかにごんを発していた竜が、ひょいと空を仰いだ。


如何いかがした?」

「あそこに窓を開けたのはお主か?」


 蒼天に、ぽつりと一つだけ針で突いたような小さな黒点があった。


「ああ、ボルムで腐れ坊主を除くのに使わせてもろうた。済まぬな。今塞ぐゆえ、しばし待たれよ」

「塞げるのか?」

容易たやすきこと」


 足元の雪を掴み取って固く握り、全力で気を込める。


「ふうぬぬぬぬ!」


 一塊ひとくれの雪玉がまばゆい光点となったのを確かめ、それをすうっと頭上に掲げる。


「天に在るべきもの、くその在所に還れっ!」


 私の手を離れた光点は、蒼天の黒点に向かってまっしぐらに飛んで行き、小さな破裂音を残して消えた。


「むっ!」


 竜が、じっと上空を睨みつける。


「穴が……消えよった」

「いかに小さな窓とはいえ、傷は傷じゃ。済まんな。私の不手際じゃ。幾重にも詫びる」

「かまわぬ。それにしても恐れ入ったな」

「なにがじゃ」

「儂の巣で自在に魔術を操れるとはな」

「ははは! それくらいでないと商売には出来ぬな」

「ふむ……」

「それでも、魔術で何もかも解決出来るわけではない。いつまで経っても半人前じゃ。修行が終わらぬ」


 ふっと溜息をついた私を見て、竜がゆったり首をかしげた。


「そんなものか?」

「そんなものじゃ。今も悩んでおる」

「ほう」


 私は近くの岩に腰を下ろすと、娘が持ち込んだ難題の話をした。


「なるほどのう」

「私は、物事を二つに分けて考えるのが苦手じゃ。白黒、善悪、強弱……。無理に分けられて、悲鳴を上げている者を多く見過ぎたゆえな」

「うむ」

「じゃから二択はどうにも、な」

「面倒じゃの」

「そうじゃ。商売は極力したくないんじゃが」

「ふむ。するもせぬも二択か」

「ははは。その通りじゃ。それも……な」


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