(2)

 馬鹿者め。己よりも実力の劣る者といくら仕合ったところで、何の鍛錬にもなるまい。不死の亡者。緩慢にしか動かぬゆえ斬り伏せることは造作ないが、どれほど切り刻んでもすぐ元に戻ってしまう。まともに戦う意味がそもそもない。じゃが、マルタにはその意味を刻み込んでもらわぬとな。


 亡者に感付かれぬよう術で気配を消している私の周りで、派手な大立ち回りを繰り返すマルタ。されど、いかに戦闘力が群を抜いていても消耗するのはマルタだけじゃ。徐々に息が上がり始めた。


「はあっ、はあっ、はあっ! き、きりがないっ!」

「じゃろう? 甘く見るからじゃ」

「う……」

「お主には、備えるという概念がない。優劣判断を直感任せにして無闇に突っ込めば、自ら死を招いてしまう」

「くそおっ!」


 悔しいじゃろう? じゃが、それが今のお主の実力よ。


「こやつらとて、そうだったんじゃ。私を迎え撃った時には、絶対に負けるはずがないと思い上がっておった。事実、それまでは負けたことがなかったのであろう。それが、この結果を生んでおる」

「くっ」

「よくよく考えよ」


 アラウスカが、宙に張られた散陣さんじんの上で亡者の動向を注視している。きゃつらをどう滅却するか、ずっと考え続けていたのであろう。さあ、そろそろけりをつけるか。頭上のアラウスカに呼びかける。


「お遊びはこれまでにしよう。お主の弟が扱い損ねた火。その正しい使い方を、連中にしっかり叩き込んでやれ」

「ああ。やっぱりそれしかないね」


 厳しい表情で部屋の中央に飛び降りたアラウスカの背後を、私とマルタが固めた。どれ、先に裾を払うか。


「ジステ!」


 真上から風塊を落として、亡者どもを部屋の隅に吹き飛ばす。すかさずアラウスカが蠍尾けつびを勢い良く振り、尾端の毒針を床に突き立ててぎりぎりと二重円を刻んだ。


「いざや来たれ! 煉獄の炎!」


 アラウスカの呪に呼応して円と円の間に召喚の文字が浮き上がり、ちりりと赤熱し始めた。マルタに幾度斬り散らされても襲いかかってきた亡者どもが、怖じてじりじり後ずさる。もう遅いわい。


「全てを焼き尽くすフレア! 今こそいでて、触れるものを残らず滅せよ! ゲドム!!」


 アラウスカが真上に高々と掲げた両手を叩きつけるように下ろした。次の瞬間、尾で刻んだ円の外側が一瞬にして灼熱の炎で満たされた。高等魔術で召喚される炎は、草木が燃えて生じる炎と異なり、そこにあるものを何もかも喰らい尽くしてしまう。時には術者すらもな。

 どれほど切り刻まれても復活する亡者とて、業火を防ぐすべは持たぬ。灰すら残すことなく燃し尽くされ、跡形もなくなった。


「うわ……あ」


 青ざめたマルタが大きな目を倍くらいに見開き、一瞬にして亡者のいなくなった室内を凝視している。


「ふう」

「ご苦労」

「久しぶりにでかい術を使ったよ」

「さすが西の魔女じゃな。見事じゃ」

「でも、まだ残ってんだろ?」

「そう。そこにな」


 私が指差した先には、壁に赤黒く描かれた禍々しい呪詛の文字。


「なあ、ゾディ。こいつはなんだい?」

「血書よ。グルクが、ここでの最後の生き残りだったゆえな」

「ふむ」

「あやつは王であるから生き残ったのではない。閉じ込められていきり立つ兵を言葉巧みに操り、同士討ちさせて己は最後まで生き残った。じゃが、あやつが一人になればここからは永劫に出られぬ。愚かしさの極みじゃな」

「それで?」

「アラウスカ。気付かぬか? ここにおった連中は壺の中じゃぞ」

「むっ! そうか、蠱毒こどくか!」

「グルクは、自らが蠱毒になってしまったのよ。じゃが、蠱毒をほふってその力を使う術師がここにはおらぬ」

「それでか。壁に怨嗟を刻み、己を己自身で屠ってあんたに向けた……」

「そう。死の誓約。グルクの眷属がそれに触れれば、グルクの策が動きだす。まさに、今その状況にあるということじゃな」


 マルタが、納得顔で大きく頷いた。


「それで、恐ろしくしつこかったのかー」

「まあな。じゃが、呪詛はそれを行う者に実体がなければ効果を減ずる。死者の呪いを徒に恐れることはないのじゃ。呪う者がそもそもこの世におらぬゆえ、影響は徐々に薄れる。今はまだ壁の誓約文が生者を操って面倒なことになっておるが、大元を断てばそれで済む」


 本来、壁の誓約文を護るべき亡者が消え去り、グルクの血で描かれた誓約文だけが

無人の部屋に猛烈な威圧感を発していた。されど、それは最後の悪あがきに過ぎぬ。


「下劣なやつは死しても下劣じゃ。除かせてもらう。二人とも下がっておれ!」


 戻ってきた竜鱗を懐から出し、それを誓約文の前に掲げた。


「ふふふ。お主を滅した竜鱗じゃ。ガタレの竜の怒りを、地獄の果てまでも味わうがよい」


 ぶぉん! 真っ赤に灼けた竜鱗が私の手を離れ、壁の誓約文の真ん中に張り付く。瞬間、赤黒い文字だけが炎に包まれ、次々に燃え落ちた。後には、真っ黒に焼け焦げた壁が呆然と残るのみ。竜鱗を回収して、懐に収める。


「完了」

「すげえ……」


 壁をしげしげ見回したマルタが、目を剥いておる。


「跡形もないじゃん!」

「跡形が残るようでは失敗よ。先ほどの亡者と同じじゃ」

「あっ、そうか」


 アラウスカが、厳しい表情で私を急かした。


「すぐに戻ろう。向こうにおるのは兵。生者だろ?」

「そう。まあ、これでドールはもう作れぬ。籠罠かごわなは発動しておるはずじゃから、大丈夫だと思うがの」

「籠罠? なんだい、それ?」

「見れば分かる」


◇ ◇ ◇


 ホークに乗り、出た時と同じように一昼夜かけて屋敷に帰る。屋敷の門外に降り立ったアラウスカとマルタは、屋敷を見て絶句しておった。


「な、なんだ、これは!」

「うわあ!」

「ふっふっふ。これが籠罠よ。だから警告の看板を掲げたのじゃ。猛犬ケルベロスがおるのとなんら変わらぬからな」


 屋敷はぐるりが水の壁で隔てられ、水中には数多あまたの人魚が泳ぎ回っていた。水底みなぞこにはがらんどうの黒い甲冑と骨だけになったむくろが散乱し、優美な人魚と恐ろしい対照を為していた。呆然と水壁を見回していたアラウスカに尋ねられる。


「なあ、ゾディ。一体どういうことなんだい?」

「屋敷の裏に川がある。その川に繋がる隧道ずいどうがあるようでな。それはメルカド山に至る」

「ぬ!」

「竜の瘴気に触れれば、多くの生き物が影響を受ける。メルカド山の地下泉に棲む魚もそうでな。そいつらが隧道を伝ってここに時折現れるのじゃ」

「うっそお!」

水路みずみちは繋がっておらぬが、連中はすでに魚ではないからな」


 アラウスカが大きく頷いた。


「あれがそうかい」

「そう。ネレイス。人を食らう人魚」

「げえーっ!」


 縮み上がったマルタに、質問を一つ渡す。


「のう、マルタ。お主の俊敏さは、水中ではほとんど機能せんじゃろう?」

「うん、無理」

「そういうことよ。三界。すなわち地界、空界、水界。それぞれに優れた者がおり、己のおる界以外では自由が利かぬ。それがことわりじゃ。敵の術師は半端者の火術使い。そして火は地界と空界では有効じゃが、水の中では使えぬ。ならば水で術を封ずればよい」

「そうか。それで強い結界を広く張らなかったのかい」

「まあな。以前よりネレイスどもから請願が出ておってな」

「ま、まさか」


 マルタが、こわごわ水の壁に目を遣った。


「人を喰らいたいゆえ認めてくれ、とな。それを籠罠の中で三日間のみという条件で許した」


 げんなりした顔で、アラウスカとマルタがその場にしゃがみ込んだ。


「うわ」

「あんたもえげつないね」

「仕方なかろう? 我らは小人数じゃ。身を守るには知恵がいる」

「ううむ」

「二人とも、よく考えてみよ。我ら、此度何をした? 亡者を葬り、壁の落書きを消し、警告の看板を立て、ドールというがらくたを片付けただけよ。大勢の兵に、直接刃を向けたわけではない」

「確かにそうだね」

「危険がある旨、あやつらには予め警告を発してある。それをあえて無視すれば、当然危険が降りかかる。そうじゃろう?」

「ああ、間違いなく自滅だね」


 ふうっ。小さな溜息を漏らしたアラウスカがゆっくり立ち上がった。ほぼ同時に水壁の水位が見る見る下がり、その水と共にネレイスも甲冑も骸も消えた。一足早く雪が消え、春萌えの気配が漂っている庭。それを見て、私は肩の荷を降ろす。やれやれじゃな。


 開門して屋敷を囲んでいた結界を解き、鍵を外す。屋敷に入ろうとした私を、アラウスカが呼び止めた。


「のう、ゾディ」

「うん?」

「あんたは、ネレイスの依頼にどんな報酬を求めたんだい?」

「ははは! 食事の後は塵芥をきちんと片付けてくれ。それだけじゃ」



【第十五話 三界 了】


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