第十五話 三界

(1)

「うーむ……」


 せっかく冬のとげが抜けて春がきざして来たというに、まっこと鬱陶しいことじゃ。


 せんに屋敷を襲ったドールども。あれで終わるわけはないと思っておったが、退しりぞけても退けても湧いて出て来る。まだどこかにドールを操る術師が潜んでおるのじゃろうが、そいつの腕前は知れておる。私が仕合うまでもなく、マルタが好き放題に暴れてドールを撃退しておるからな。じゃが、いかな雑魚とは言えそいつらに屋敷の周りをいつもうろうろされると、メイやソノーを外に出せぬ。雑魚を操っているやつもそれが目的なのであろう。元を断たねばならんのだが……どうするかだな。


 私と同じように腕組みをしたアラウスカが、やれやれという表情で執務室に現れた。


「あいつら、あたしたちを兵糧攻めにするつもりだね」

「まあな。屋敷から村までの道を連中に押さえられると死活問題じゃ。ドールを操ってるやつを排除せねばならん」

「どうする?」

「見当は付いておるんじゃが、連中の策にまんまとはまるのもしゃくでな」

「策?」

「そうじゃ。あいつらの狙いは私を屋敷から引き剥がすことよ。いかに堅固な結界を張ったところで、強い術師であればそれを外せる。メイやソノーが人質になってしまうからな」

「あたしが残って護ればすむことじゃないか」

「いや、お主は短気に過ぎる。あやつらは、必ずお主を挑発する。マルタの挑発にすらかっかするお主がもし屋敷を出れば、甲冑の中は無防備じゃ。この前倒した馬鹿な黒騎士と何も変わらぬ」

「ふうっ……」


 反論出来ぬのであろう。悔しそうにアラウスカが何度か首を振った。


「そうだね」

「どれ、それならまんまと嵌ってやるか」

「は?」


 私は、外套を着込んでマルタを呼んだ。


「マルタ!」

「なにー?」


 すでにどこかで一戦交えて来たのか、ご機嫌な様子でマルタがやってきた。


「雑魚の相手ばかりでは飽きが来るじゃろうて。大物退治に行くぞ」

「てか、その間、ここ大丈夫なん?」

「まあ、三日もあれば片が付くじゃろう。そのくらいならば結界で持ち堪えられる」

「ふうん……」

「お主とアラウスカと私。三人で出る」

「ええーっ?」


 さすがのマルタも、私の大胆な提案に驚いたようじゃ。


「さすがにそれはまずいんちゃうの?」

「阿呆。お主は好戦的だし、アラウスカは短気。敵の挑発にほいほい乗って、結界の外に出てしまうじゃろうて。二人揃って守将にはまるっきり不向きじゃな。されど、ボルムの本陣をお主ら二人で落とすのは無理じゃ。他に何がある?」

「ううー、そっかあ。でも、大丈夫なん?」

「まあな」


 眼下の雪景色を見渡して、一つ大きな溜息をつく。


「ふうっ……請けたくない依頼を一つ受ければ、それは容易たやすいこと」

「ふうん」

「まあ、向こうの策も手数も分かっておる。ちまちま対抗するよりも、根こそぎ行こう。その方が春を心から楽しめるからな」

「のう、ゾディ」

「なんじゃ?」

「本当に大丈夫なのかい?」


 アラウスカの顔に不安が浮かんだ。相手の術師の力量がそこそこ大きいことを気にしておるんじゃろう。


「大丈夫じゃ。なぜなら」

「うむ」

「敵なぞどこにもおらぬからじゃ」

「はあ?」


 マルタもアラウスカも呆気に取られておるわ。はははっ!


「さて、三人揃っての初めてのピクニックじゃ。楽しんでこよう」

「そんな余裕があるんかい」

「春の蝿は、ぶんぶんとうるさいゆえな。さっさと黙らせるに限る」


 留守を預かるソノーとメイには、何があっても決して屋敷を出るなと言い渡し、屋敷には内鍵だけでなく外鍵をかけることにした。術を使えぬ二人は、屋敷の中で待つしかない。


「特に何もないはずじゃが、窓の外を見ない方が飯がうまいと思う」

「は……あ? どういうことでしょう?」


 ソノーの問い返しを適当にごまかした。いや、外はえらいことになるじゃろうからの。


「どれ。それでは準備をするかの」


 まず、魔術封じの呪環を外してアラウスカの魔力を全部戻した。どこかしわがれていたアラウスカの心身の隅々にまで精力がみなぎり、これまで一切表に出なかった猛々しさが剥き出しになった。節くれた指を組んでめきめきと鳴らしたアラウスカが、目を吊り上げて高笑いする。


「ひいっひっひっひい! 久しぶりの無制限じゃ。腕が鳴るわ!」

「遠慮は一切要らんからな」

「承知!」


 びうん! びうん! アラウスカが蠍尾けつびを自在に操る。


「うぬれ、西の魔女の恐ろしさを骨の髄まで思い知らせてくれる!」


 ううむ。私はともかく、こやつを敵に回したいと思う奴はそうそうおらんじゃろう。ほんに恐ろしい婆じゃ。続いて、マルタの装備に行こう。


「お主がいつも用いておる苦内。いささか威力が弱いゆえ、これを使うてくれ」

「へー」


 マルタに渡した苦内一式には、火竜サラマンダーの紋章が刻んである。


「これって……」

「使い魔専用じゃな。お主の身体能力をさらに高める術を苦内にかけてある。それに、そいつはお主がもし手から離してもすぐに手元に戻る。投げて使えるのじゃ」

「わあお! そいつぁすげえ!」


 マルタが飛び上がって大喜びしている。使える得物のレベルが上がれば、作戦の幅がぐんと広がるゆえな。


「まあ、それほど大仰に構えなくとも用は足せるんじゃが、冬の間になまった身体を鍛えて来ることにしようぞ」

「そういう目的かい!」


 呆れ顔のアラウスカだが、自前の術を無制限に使える誘惑には勝てぬようじゃ。残る備えは戸外。屋敷をぎりぎり囲うように最強の結界を張り、敵に備える。


「のう、ゾディ。なぜもっと結界を広く取らないんだい?」


 私は、それには答えなかった。


 いつもは開け放したままにしている門扉を固く閉ざして施錠し、屋敷を囲む四方の柵に大きな看板を掲げた。


『私有地につき無断の立ち入りを固く禁ず。猛犬注意!』


 マルタが、看板を見て呆れている。


「ちょっと。これに何の意味があるのさ」

「万が一のことがあってはならぬゆえ、警告だけはしておかぬとな」

「はあー?」

「まあ、帰ってきた時に分かるじゃろうて。さて、もう一仕事してから出発じゃ」


 屋敷を発つ直前、屋敷の近辺に連中が伏せていたドールを一体残らず術で破壊した。私がドールを滅すれば、心易く出撃すると思うておるのかのう。私も舐められたものよの。ドールは撒き餌に過ぎず、屋敷へのちょっかいに業を煮やした私をボルムの本陣に誘い出し、足止めするつもりじゃろう。きゃつらの真の狙いは、あくまでも屋敷の奪取と人質の入手じゃ。私の出撃後に、ドールではなく生身の黒騎士が突入する手筈てはずになっておるはず。その手には乗るものか。あやつらのが出来の悪い罠なれば、私の罠も同程度の簡素なもので良い。細工は流々仕上げを御覧ごろうじろじゃ。


「よし! 出るぞ」

「おう!」


◇ ◇ ◇


 ホークの背に乗り、一昼夜かけてボルムの王宮に直行する。


「なんだい、これは!」


 上空から王宮を見下ろしたアラウスカが絶句している。あちこち焼け焦げ、すすだらけになった無人の王宮。


「お主の弟が扱いをたがえた火。こうなってしまうということじゃ」

「うぬう」

「グルク大公が変死したことで、国を束ねる抑えがなくなった。不恰好な樽に力尽くでたがを嵌めれば、その力がなくなった途端、無様に弾ける。それだけよ」

「ああ、そういうことかい」


 大勢の兵士を相手に、思う存分暴れるつもりだったのであろう。アラウスカとマルタは、人気ひとけのない王宮を見て拍子抜けしていた。


「なあんだ。つまんないの」

「そう言っておられるのも今のうちだけじゃな」

「え?」


 王宮の前に降り立った我々は、無人の廃墟と化した建物の奥深くに踏み込んだ。


「なぜに、誰もおらぬ……」


 アラウスカが、ひどく顔をしかめた。気付いたか。さすがじゃな。

 それがいかなる建物であっても、廃墟には雨風あめかぜをしのごうとする貧者が住み着くことが多い。じゃが、ここには人の気配がない。いや、人はおるが姿を隠している。あの黒騎士どもの眷属が王宮を支配しておるんじゃろう。そやつらがなぜ我らに襲いかかって来ぬのか。もちろん、あの部屋に確実に誘引するためじゃ。


「この部屋かい」

「そうじゃ」


 私が竜鱗で封鎖したくだんの部屋にだけ、何者かがうごめく気配が満ちていた。アラウスカは、すぐにそやつらの正体を判じ当てた。


「なるほど。こりゃあ……ひどく厄介だね」

「まあな」

「さっさと済まそうよー」

「はっはっは。ああ、マルタ」

「なにー?」

「きゃつら手強いぞ。油断するな」

「ふん!」


 不満そうに頬を膨らませたマルタが、私の引き開けた扉から勇んで中に飛び込んでいったが……その途端に身を縮めた。


「ちょ、なによこいつら!」


 腐臭の充満した室内。ちぎれた肉片と砕けた骨片が寄り集まり、辛うじて人形ひとがたを成してはいるものの、その形も動きも人のそれではない。


「マルタ。室内におる連中は、すでに一人残らず同士討ちで果てておる。それが動いておるということは、紛うことなき亡者よ。そやつらには止めを刺すことが出来ぬ。すでに死んでおるゆえな」

「うっそおおおおっ!」

「ほら、来るぞ。しっかり戦え!」

「げえええっ!」


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