(2)

 もっとも厄介なアラウスカとの面通しを済ませたゆえ、広間にてマルタのお披露目をすることにした。


 見た目は小柄な二十はたち前後の娘じゃが、シアやグレタのような女性らしさがはっきり分かる姿態したいではない。全身くまなく鍛え上げられていて、身のこなしは極めて俊敏。顔の造作もその鋭さの延長上にあり、端正な細面ほそおもてなれど優しさや柔らかさとはまるで無縁じゃ。短い黒髪に、大きな黒い瞳。口元には常に不敵な笑みを浮かべ、好戦的な態度が最初から剥き出しになっておる。着ておるものが黒革の帷子かたびらじゃから、女性というより少年兵の雰囲気が漂う。当然のこと、臆病なソノーやメイは怯えるわな。


 住人たちの反応なぞ微塵も気にかけることなく、マルタがぞんざいに挨拶を放り投げた。


「ちーっす。マルタっす。なんかあ、このおっさんが家のことしろっていうからさー、おもしろそうじゃんて思って。よろしくねー」


 ソノーもメイも口をあんぐり。アラウスカも頭が痛そうだ。


「まあ、仲良くやってくれ。エルスはまだ赤子ゆえ、挨拶もへったくれもないな」

「どれどれー?」


 アラウスカが抱いていたエルスの側に瞬時に近寄ったマルタは、さっとエルスを抱き上げた。


「おおーっ! かわいいじゃん。将来べっぴんさんになるね。間違いない」

「ふむ。お主に分かるのか?」

「分かるよー。あたし、少しだけ先視さきみが出来っから」


 なんじゃと!?


「だから引き受けたのー。ここはこれから揉める。中がじゃなく、外とね。あたしは思いっきり暴れられっからさー」


 にいっと恐ろしい笑みを浮かべたマルタは、エルスの頬にちゅっとキスをした。


「他の子は知らない。あたしは、この子だけは命にかけても守るよ。じゃあね」


 アラウスカにエルスを戻すや否や、マルタがさっと姿を消した。さっきマルタが言うたことは、ソノーやメイには訳が分からんじゃろう。二人して、しきりに首を傾げておる。ソノーが、辺りを気にしながらこそっと問うた。


「あのー。マルタさんの言ってたのって、どういうことですか?」

「言うた通りじゃよ。あいつが先視するほどのことでもない。私の商売上、避けて通れぬ運命じゃからの」

「は?」

「全ての依頼が、その依頼人のことだけで完結するのであれば揉め事は起こらぬ。じゃが、ジョシュア奪還の時にはボルムを敵に回しておる。ここの王にも何度か釘を刺した。そういう私の動きは必ず反作用を生む」


 私は、エルスを抱いているアラウスカを指差した。


「アラウスカもそうじゃったろ?」

「あ……」

「依頼をぎりぎりまで絞り込むのは、それもある。まあ、一番の理由は面倒臭いからじゃがな」


 ソノーが、苦笑しながら頷いた。


「ここは辺境ゆえ、遠方からの敵の襲来はおおよそ予見出来る。じゃが、潜んでくるやつもおるからの。備えるにこしたことはない」

「ううう」

「あいつは本当に切れる。そして、テオが斧だとすればマルタは剃刀かみそりじゃ。触り方を心得ぬと我らの身も切れる。用心するようにな」

「何かされる危険があるってことですか?」

「いや、それはない」


 ほっとしたように、ソノーとメイが吐息を漏らした。


「じゃがな。あいつはとことん口が悪い。人の気持ちを推し量ることは一切せぬ。シアどころの話ではない。先ほども、アラウスカをひどく小馬鹿にした」

「うわ……」


 アラウスカは、まだぷんぷん怒っている。マルタの言動は、無礼そのものじゃったからな。


「それは、あいつの悪意から出て来るわけではない。そういうしょうなんじゃよ。取り合うでないぞ」


 まあ、どんなことでも最初からうまく行くとは限らぬ。事実、これまでもグレタのように任を外さねばならなかった使い魔は数多い。任じられた方だけでなく、我々もそれをこなさねばならんからの。


◇ ◇ ◇


 そして。マルタの予言はすぐに当たった。挨拶もそこそこにマルタが姿を消したことにはよしがあったのじゃ。


「ぬ!」


 つい先ほどまでからりした冬晴れの空が広がっておったのに、屋敷の上にだけ黒雲が重なり始めた。


「招かれざる客……いや、刺客か」


 アラウスカも不穏な空気に気付いたのであろう。すかさず八方護陣を発動させた。ぶおん……。


「中を頼む。私は外に出る」

「ああ」


 案の定。黒い甲冑を帯びた数十騎の騎士が、門外で槍を構え、今まさに屋敷に向かって突進しようとしていた。屋敷の門と騎士の間にマルタが仁王立ちしており、しょうを騎士に向けている。


「ねえ、おっさん」

「なんじゃ」


 振り返ったマルタが、短い依頼を発した。


「これを外して。好きなように動けない」


 マルタは、私が右手にはめたブレスレットに目を遣った。


「それは依頼じゃな」

「仕方ないね」

「家事をまじめにやってくれ。それがお主の支払うべき報酬じゃ」

「ほいな」

「うむ」


 ぱちん! ブレスレットが腕から外れると同時に、マルタの姿がかき消えた。


 槍を突き出し、先陣を切って突っ込んできた三人の騎士。その首が、兜ごと転がって雪の中に落ちた。

 がしゃあん! 首を失った胴体が、雪の中を転がる。だが、雪が鮮血で汚れることはなかった。苦内くないを手にしたマルタが、刃をぺろりと舐めて顔をしかめる。


「なんだ、やっぱ空っぽかー」

「分かっておったんじゃろ?」

「まあね。でも、一つだけ実体があるね」

「それは私が当たる。雑魚を片付けてくれ」

「ちぇー。準備運動にもならないー」

「向こうも、本陣以外は露払いじゃろ」

「そっか」


 騎士の人形ドール。襲う側は、それを失ったところで何の痛手にもならぬ。いくらでも作れるしな。じゃが、操るやつを潰せばドールはただのがらくたじゃ。


「誰に頼まれた?」


 マルタが好き放題にドールを壊している中、門を出て、ドールどもの再奥におる騎士を詰問する。


「大方、ボルムの残党であろう? あの腐れ坊主といい、お主らは外道が好きじゃの」

「抜かせ」

「ほう、口が利けるのか。お主もドールかと思ったが」

「竜鱗を返しに来た」

「ふむ。あれを抜けるとは、お主もそこそこの使い手じゃな」


 なるほど。黒騎士は見かけだけで、中身は術師か。

 口をつぐんだ黒騎士が、ボルムで私が使った四片の竜鱗を私の額めがけて投げつけた。まあ、お主の腕ではそれがせいぜいであろうのう。避ける要もないわ。


「エメ」


 手を伸ばして宙を軽く仰ぐ。短剣の形を取っていた竜鱗は、私の眼前でひらりと舞い上がり、黒い蝶に変わった。


「ははは。お主のなまくら術で竜鱗を扱うのは、到底無理じゃ」

「ぬ!」

「よしよし」


 手に留まらせた四匹の蝶。それはすうっと融合して一匹の蝶になる。


「のう。私はお主が誰でも構わぬし、それには興味がない。じゃが、あの腐れ坊主に言うたのと同じことを言うておく」


 ひょいと蝶をはなって、一歩前に出た。


「半端者が魔術を使うな!」

「知ったことか」


 碌でなしを退けるのは容易いことじゃが、一つ確かめたいことがあった。凍てついた木々にぶら下がっていた無数の氷柱つららを、術で折り取る。


「アイゼ! くだれ!」


 私の呪を受けて、大小様々な氷柱がきしきしとぶつかり合いながら一斉に騎士めがけて降り注いだ。


「ふん」


 黒騎士は、引き抜いた剣で氷柱をうるさそうに払いのけていたが、最後は剣を炎で包み、降り注ぐ氷柱を瞬時に霧散させた。ふむ……やはり火術、か。


「大魔術師のくせにちゃちな術を使うのう。そんなもの、全く効かぬわ」

「はっはっは! 氷柱はただの目くらましじゃ」


 降らせた氷柱には先ほど放った黒い蝶が紛れておる。黒騎士の兜に留まった蝶が、眼孔の隙間からするりと中に入った。


「お主が私の額に向けて放ったものじゃ。お主の額に返すぞ」

「うがっ!」


 兜の上から手で顔を覆った黒騎士が、蝶を振り払おうとして頭を激しく振った。

 はははっ! 甲冑は外から加わる打撃や剣戟を防ぐには有効じゃが、中に異物が入り込むとすぐには取り除けぬ。騎士を装ったのは大失敗じゃったのう。


「だから半端者と言うたのよ。武術を使うておる間の気配を覚れず、隙だらけじゃ。術師としてだけではなく、騎士としても半端者以下じゃな。ぼんくらめ」


 がっくりと膝を折った黒騎士は、兜を外して雪原に投げつけ、激しく呻いた。


「ぐあああっ!」


 そやつの額の中央で羽を広げた蝶は、そのままの形の黒い刻印に変わり、すぐに全身を黒変させ始めた。


「竜鱗は、それを扱えぬ者を強く蝕む。それだけじゃ」


 騎士は額をかきむしろうとしたが、その手はすでに溶けて失われていた。


「ごぼっ」


 最後に何か呪詛を吐き出そうとした口から、代わりにどす黒い液体がどくどくと流れ、ほどなく全てが溶け落ちて甲冑の中を満たした。溜まった汚水が、使い古された油のように装甲の隙間という隙間から間断なく漏れ出て。わずかな水音が絶えた後には、雪を濁らせる染みと物言わぬ黒い甲冑だけが残った。


「竜鱗が戻ってきたか」


 甲冑の中から舞い上がった黒い蝶を呼び寄せ、羽をつまんで懐に入れる。


「どんなに甲冑が固くとも、中身があまりに弱過ぎる。それでは甲冑を着せる意味がないな。お主もまた、心を持たぬただのドールに過ぎぬ。くだらん」


 がしゃん!

 マルタが殻だけになった黒騎士を無造作に蹴り倒し、ひゅうっと口笛を吹いた。


「おっさん、強過ぎ」

「商売じゃからの」

「あははっ! 気に入ったよ」


 何を気に入ったのかは分からぬが。私の持っていたブレスレットをさっと引ったくったマルタは、それを自ら右手にはめた。


「さて。洗濯してくるわ。こいつの反吐へどで服が汚れちゃった。おっさんのも、洗い物あったら出して」

「はははははっ!」



【第十四話 二心 了】


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