第十四話 二心

(1)

 しばらく続いていた荒天が落ち着き、久しぶりの冬晴れとなったが、その分ぐんと冷え込んだ。寒いのを苦手にしておるアラウスカは、暖炉の前に張り付いたままぴくりとも動かぬ。いかにものばばあじゃの。


「うう、寒い寒い。ここの寒さは年寄りには堪えるわい」

「西におった時は、凌ぎやすかったんじゃろ?」

「まあね。ただ、夏の暑さがここよりずっと厳しいのさ。どこにいても、年中楽ちんというわけにはいかないね」

「そうよの」

「それより、グレタの後釜は決まったんかい」

「お主のすぐ側におるではないか」

「は?」


 アラウスカが、慌てて辺りを見回した。


「どこにいる? あたしには見えないけど」

「くくっ」


 小さな哄笑が足元で響いたかと思うと、黒い塊がアラウスカの喉元に食いつこうとした。


「うぬっ!」


 アラウスカが杖を回してその塊を打ち据えようとしたが、杖は虚しく空を切った。


「とろい」

「なんじゃとっ?」

「これ、マルタ! 止さんか!」

「ちぇ」


 ひゅっ。アラウスカの影の中を辿るようにして再び足元に近寄った黒い塊は、アラウスカに挑みかかるようにして、その直前に立った。なりは小柄な娘だが、すぐにはそう判じられなかったんじゃろう。アラウスカが大仰にのけぞった。


「おおおっ!」

「ねえ、ばあさん。あたしはこういうやつなの。よろしくねー」


 馬鹿にされたアラウスカは、怒りで真っ赤に茹だった。


「こ、こいつ……」

「まあ、元が元じゃからのう」

「は?」

「マルタは飛び蜘蛛よ。根っからの狩人じゃ」

「むっ!」


 さっと暖炉の側を離れたアラウスカが、杖を振って方形陣を描こうとした。陣内にマルタを封じようとしたのだろう。じゃが、マルタはすかさずアラウスカの背後を取っていた。


「とろいって」

「マルタ!」


 ぴしーん! 投網を掛けて、マルタの動きを封じる。


「困ったもんじゃ。速すぎるというのも考えものじゃな」

「ちぇ」


 網でぐるぐる巻きにして動きを封じたまま、私の前に立たせた。


「よいか? ここでお主の相手になれるのは私しかおらぬ。私はいつでも相手になってやるゆえ、他の住人に手を出すな」

「へーい」

「いくら言うても、すぐに何かやらかしたくなるであろう。しばらく重石を付けておく」


 投網を外したマルタの右腕に、銀のブレスレットを付ける。


「なにこれ?」

「お主の邪心に感応して、どこまでも重くなる。お主の動きは封じられる」

「げえっ!」


 ずしん! まるで誰かに投げ技をかけられたかのように、マルタが床に転がった。


「いででででで」

「動けぬであろう?」

「ちぇー」

「まあ、動きを封じても口までは塞げぬゆえな。そっちで元を取ってくれ」

「へーい」


 やれやれという表情で立ち上がったマルタが、それでもさばっと言い放った。


「おもしろそうじゃん。やるよ」

「そうか。頼むな」

「後でまた来る」

「おう」


 ふっ。気配は一瞬で消えた。まだ怒りが支配している口調で、アラウスカが私を詰問した。


「のう、ゾディ」

「なんじゃ」

「なぜ、あんな曲者を?」

「ははは。そうじゃな。少しばかり事情があってな」

「事情?」

「そうじゃ」


 アラウスカに着席を促す。応じたアラウスカが、ゆっくり椅子に腰を落とした。


「私とシアとで暮らしておった時は、実質私の一人暮らしじゃ。屋敷の護りを考える要がなかったのよ」

「ふむ」

「テオが加わったとて同じこと。あいつは、ここでは守る要も守られる要もなかった」

「確かにねえ。あんたとあれだけの使い手の組み合わせじゃねえ」

「されど、それ以降の住人はみな並の人間じゃ。ソノーもメイもエルスもな」

「ああ、そうか。警護を考えないとならないってことだね」

「うむ。私はよく屋敷を空けるゆえな。その間が不用心でかなわん」


 マルタには任せたくなかったのであろう。不機嫌そうにアラウスカが打診する。


「あたしがやろうか?」

「護りの魔術だけでは無理じゃ。お主には全ての魔術を戻さぬ。そう言っておいたはずじゃ」

「……そうだったね」

「それは、お主に二心があるからではない」

「は?」

「お主は怒りを御せぬ。先ほどもそうじゃ。マルタの挑発にまんまと乗せられよって」


 アラウスカが、ぷうっと膨れた。


「ううむ。悔しいが、あんたの言う通りだね」

「魔術が誤爆すると、住人が巻き添えを食う。くれぐれも控えてくれ」

「ああ」


 アラウスカの影に目を移す。


「マルタは一切の術を使えぬ。ただの使い魔であるゆえな」

「ふむ」

「その分、恐ろしく動きが俊敏で、高い攻撃能力を持っておる」

「ちょっと! 大丈夫かい?」

「はっはっは。あいつはわきまえとるよ。先ほども、お主への攻めを手加減しよったろ?」

「手……手加減だって?」

「あいつが本気なら、お主はもう喉を食い破られておる」


 ごくりとつばを飲み込んで、アラウスカが己の喉をさすった。


「家事は、シアほど徹底的にやらなくともよい。そこそここなしてくれればなんとかなる。ソノーも少しずつメイの補助が出来るようになるゆえな。マルタの主務は、家事ではないのじゃ」

「はあ?」

「あいつは気配に敏感で夜目が利き、敵の初撃をかわして反撃を加えられる。マルタには、屋敷の護りを担ってもらう。あいつはシアの後釜ではない。テオの後釜よ」


 暖炉に薪を投げ足して、話を続ける。


「家事は、分けて持てる。誰かが出来なければ、代わりに誰かがやれば良い。そこを自由に動かせる」

「ああ、そうだね」

「じゃが、警護は力のあるものしか出来ぬ。兼任や代理は無理じゃ」

「そういうことかい。でも、相当気が荒らそうじゃないか。大丈夫かい?」

「シアのがさつさとはまた違う。マルタは……縛れぬよ。一切な。その縛れぬものを御さねばならん。私にとっても試練じゃの」

「なんと面倒なことを」

「ははは。そうじゃな。じゃが、弱い者は心が移りやすい。護りを任せた者に二心を持たれると、それは獅子身中の虫になる」

「む……なるほどね。そっちの方が厄介か」

「そうじゃろ? まあ、やってみるさ」

「やれやれ」


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