シーズン2

第十三話 一意

(1)

「ごしゅじんさまー。おきてくださーい」


 とろーん。グレタのどうにも締まりのない声が聞こえて、ベッドからやっこらさと体を起こす。


「のう、グレタ」

「はいー?」

「もう少し、ぴりっとした声は出せんのか?」

「無理ー」


 ううう、あのシアがとことん手こずっておったからのう。不真面目なわけではないんじゃが、グレタはとにかく要領が悪い。究極の家政婦だったシアと比べるのは気の毒じゃが、馬力も効率もシアの三分の一以下。しかも、訓練で技能向上する気配が皆目見られぬ。いくらアラウスカがどやしても、ちっともましにならん。困ったもんじゃ。


 まあ、家事はメイがきびきびこなしてくれる。シアの角を丸めたような娘じゃからの。じゃが、まだ少女のメイをこき使うわけには行かぬ。勉強も発語の訓練もさせねばならぬし。グレタは、せめてエルスの世話だけでもしっかりやって欲しいのじゃが。母性爆裂だったシアと違って、グレタは母性が乏しい。いや、母性がないと言ってもいいの。エルスを物扱いする。子への愛情というものをちっとも感じぬ。


 のったり遠ざかっていくグレタの背を見送りながら、大きな溜息をつく。


「ふうう。シアには申し訳ないが、代わりが要るかものう」


◇ ◇ ◇


 男衆とムードメーカーのシアが去って、家の中がひどく辛気臭くなってしまった。アラウスカが始終グレタをどやしつけておるゆえ墓場の雰囲気にはなっておらぬが、どうにも湿っぽくていかん。


「ゾディさま」


 まだシアロスを克服出来ぬソノーが、足を引きずるようにして執務室にやって来た。


「ん? どうした?」

「一つお願いがございます」

「なんじゃ」

「メイと一緒に寝てはいけませんか?」

「ははは。そうじゃろうな。二人とも、寂しかろう」

「はい。長い夜がどうにも苦手になってしまいました」

「構わんぞ。メイも喜ぶじゃろう」


 大喜びしてもいいはずのソノーは、わずかに笑っただけであった。本当に堪えてしまったようじゃな。じゃが、別れを乗り越えなければ明日が来ぬ。なんとかこなしてもらわんとな。


 とぼとぼと執務室を後にしたソノーと入れ替わって、怒りで顔を真っ赤にしたアラウスカがどかどかと足音高く入って来た。


「だめか?」

「あれはどうにもならないね。人の言うことを真面目に聞くつもりがない。役立たずの典型だよ」

「ううむ」


 どすんと椅子に腰を下ろしたアラウスカが、手にした杖の先を床に叩きつけた。

 かん! 耳障りな甲高い音が執務室の中に充満して、アラウスカの怒りを代弁する。


「シアの心配はもっともだよ。愚図の癖に、怒ればすぐうずくまってすねる。もう嫁入り前の娘なのに、まるっきり母親になれそうな気配がない。そして」


 アラウスカがひどく顔をしかめた。


「うん?」

「あいつは、臭い」

「臭い?」

「そう。きちんと体を清めてるんかね」


 なんとなく。引っかかった。臭い、じゃと?


◇ ◇ ◇


 小雪のちらつく午後。珍しく、ソノーもアラウスカも扱いかねた客の請願に付き合わされることになった。それが橋にも棒にもかからぬ我がままな奴なら門前払いするんじゃが、決してそういうことではなく、だからこそソノーやアラウスカが苦慮するはめになったのだ。


「ふむ」


 依頼人は二十歳くらいの女性で、容姿は水準以上じゃ。王宮詰めの上級役人の娘で、品はすこぶる良い。話を交わした印象では、性格に特段の癖や棘はない。自己主張よりも慎ましさが優るタイプじゃな。出自が出自であるから、縁談の相手には事欠かぬであろう。じゃが……。


「わたしは、アウビス家の子女ではないように思うのです」

「ご両親やご兄弟が、貴女にだけ辛く当たるのでしょうか?」

「いいえ、とてもよくしてくれるのですが、それ自体不自然に感じるのです」

「ふむ」

「わたしは、親にも兄弟にも顔が似ておりません」

「!!」


 なるほど。そういうことであったか。


 娘の請願は、魔術で実親を探し当てて欲しいというものであった。


「それを知ってどうなさるのじゃ?」

「親元へ戻りとうございます」


 ううむ。これは、確かにソノーやアラウスカの手に余るの。


「一つ言うておきまする。貴女は、そうすることで全てを失うかもしれませぬぞ。それでもよいのですかな?」

「かまいません」

「ふう。仕方ない。請けましょう」


 私と娘の会話に聞き耳を立てていたソノーとアラウスカが、血相を変えた。


「ゾディさまっ!」

「ゾディ、あんたはっ!」

「まあ、私に任せておけ」


 私は娘に向き直り、報酬を切り出した。


「報酬は貴女の一日。それでよろしいかな?」

「はい。それでいいのですか?」

「うむ。十分じゃ」


◇ ◇ ◇


 娘の依頼を請けてすぐ、ホークに文を持たせてアウビス家に届け、娘にはくれぐれも覚られぬようにと念を押した上で養父のレオ・アウビスを呼び寄せた。思わぬ事態に血相を変えて馬を飛ばしてきたレオを執務室に招き入れ、単刀直入に問う。


「のう、レオどの。あの娘、捨て子でありましょう?」


 私の前でずっと顔を伏せていたレオが、ゆっくり顔を上げた。


「いいえ、捨て子よりもっとたちの悪い、子売りの娘でございます」

「ぬ! なんということじゃ!」


 貧しさが極まって子供を養えなくなり、止む無く捨てられるソノーのような子は決して少なくない。それとて鬼畜の所業じゃが、一家全滅するよりもと心を鬼にする場合があることは事実として受け止めねばならぬ。じゃが、子を商品にするのはただ己の物欲を満たさんがためじゃ。鬼畜ですらそのような蛮行はせぬ!

 子は野菜や果物ではない。確固たる意思を持ったいつの存在。それは、他のものでは決して代えられぬ。我らの中で、シアが永遠にシアであるようにな。各々が一意。それ以外はない。


 私はレオに向き直り、その肩を叩いてねぎらった。


「レオどの。貴殿は真に優しいのう。貴殿に買われたのは、あの娘にとって生涯最大の幸運でしたな。そんな幸運をもらえる子はほとんどおりませぬ」


 ソノーが目を擦りながら頷いた。そうじゃの……。


「貴殿の実子も大勢おる中、あの娘を分け隔てせずに育てるのはなかなかに能わぬことじゃ。今は娘の意識が実親に向いておるゆえ、貴殿の心遣いが見えなくなっておるのでしょう」

「はい」

「真実を隠し通せるのであれば、それがもっとも良い場合もありまする。じゃが、此度のことは最早隠し通せませぬ。それならば真実を直視し、こなすことも必要でありましょう」

「それは……」


 顔をしかめたレオに向かって言を足す。


「分かっておりまする。子売りの鬼畜は、今もなお鬼畜なのでありましょう。そこに娘を戻せば、もっと酷い形で売られるだけじゃ」

「はい!」

「私が娘を説き伏せますゆえ、貴殿は子売りの根絶に当たっていただきたく。王妃に、子売りを厳しく取り締まるよう進言してくださらぬか?」

「承知いたしました!」


 レオが、愁眉を開いて大きく頷いた。


「ご配慮ありがとうございます」

「娘の一日を依頼報酬として受けておりまする。その日は丸一日目覚めぬはず。そこで」


 椅子から降りて窓辺に寄り、雪に閉ざされたメルカド山を見遣る。


「娘に、真実を受け止めてもらいましょう」


 アラウスカが、大きくかぶりを振った。私の策を見抜いたようじゃな。


「そういうことかい。さすがだねえ。じゃあ、あたしも遠慮なくやらせてもらう」

「うむ。そうしてくれ」


 憤然と立ち上がったアラウスカが、怒りで顔を歪ませた。ぎりりっ。アラウスカが強く噛み締めた唇の端が切れて、滲んだ鮮血がぽたりと垂れる。床に散った血が泡立って焦げ、しゅうっと黒い煙を噴き上げた。

 かあん! 振り上げた杖を力一杯床に叩きつけたアラウスカは、目を吊り上げて口汚く罵った。


「今は護りの魔術しか使えないから何も出来ないけどさ。全力が使えるなら、自分の子を売るような外道は八つ裂きにしてくれるわ!」


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