(2)

 ジョシュアがメイからそっと離れて、テオの横に戻った。そっけなく背を向けようとしたテオを急ぎ呼び止める。メイに気を取られて、最も肝心なことを忘れるところじゃったわ。


「テオ、しばし待て」

「なんでございましょう」

「お主にはなむけがある」


 私は懐から竜鱗を出し、それをテオの眼前にかざした。


「それは?」

「お主と仕合っていた前代の竜が、お主にと遺した形見じゃ」

「!!」

「騎士は誰かを護るために死力を尽くす。じゃが、その騎士を護ってくれるものは誰もおらぬ。騎士は孤高。身は人なれど、心は竜じゃ」

「御意」

「じゃが、お主は竜ではない。人だ。お主が誰かを護るように、お主もまた護られねばならぬ」


 テオが、すっと私の前にひざまずいた。


「前代の竜鱗。お主が危機に陥った時、必ずやお主を護ってくれるじゃろう。それが前代の竜の誇り、竜として在った意味じゃ。謹んで受けるように」

「はあっ!」

「そして私からも一つ餞けを贈っておく。人はいかに鍛えても人以外にはなりえぬ。それを決して忘るるな!」

「心得ました!」


 荘厳な雰囲気になっていたところに、シアがちょろっと割って入った。


「ちょいとお兄さん。かぶと置いて、立って」

「うん?」


 テオが兜を床に置いて立ち上がると、テオの首に腕を回したシアが唇に濃厚なキスを見舞った。


「うむーっ!」


 じたばた暴れるテオ。満足そうに唇をぺろりと舐めまわしたシアが、テオをとんと突き放した。


「うふふ。あんたはいい男だったわ。でもね」


 テオが、頬に手を当てている。


「さっき、口の中がちくっとしたでしょ?」

「ああ」

「それが私からの餞け。あんたは、女にこっぴどく騙されてるよね?」

「……」

「いい? 騙されたあんたが悪いんじゃない。騙した女が悪いの。でも、あんたは女をきちんと見分けられない。騎士なら、そこらへんもしっかり鍛えないと」


 シアがテオの鼻先に指を突きつけた。


「今あたしが埋め込んだ毒。あんたには何も害がない。でも、あんたを騙そうとして近づいてきた女があんたにキスをしたら」


 にいっと笑ったシアが、両手をぱっと開いた。


「そいつに毒が回る。あたしのはきついよー」


 やれやれという顔で、テオが苦笑した。


「ご高配、痛み入ります」

「まあ、がんばって。あたしはこれで最後だからさ」


 最後という言葉を聞いた途端、シアに駆け寄ったソノーが足にしがみ付いて号泣した。


「やだよう。シア姉、行っちゃやだよう! わあああん! わあああん!」


 テオとジョシュアとはいずれ再会出来る。その日を待てる。じゃが、シアとはこれで永遠とわの別れじゃ。ソノーの大きな泣き声に共振するようにメイも、そしてさっきまでずっと眠っていたエルスまで、まるで逝った母親を慕うかのように激しく泣き始めた。


「んぎゃあっ、んぎゃあっ、んぎゃあっ!」


 ふう。仕方ないのう。私はソノーの背を叩いてシアから引き剥がし、旅立つ騎士を見送る形に再び整えた。旅立ちを、涙で曇らせるわけには行かぬゆえな。表情を引き締めたテオが私の前に跪く。その額に竜鱗を押し当て、じゅを唱えた。


「終生、お主にガタレの竜の加護があらんことを!」


 竜鱗を吸い込んだテオの額に、くっきりと竜紋が浮かんだ。


「世界広しと言えど、ガタレの竜紋を額にいだけるのはお主だけじゃ! それを決してけがさぬように」

「ははっ!」

「もう一つ。ジョシュアにも餞けがある。それを持って出立するように」

「なんでございましょう」


 ジョシュアを手招きし、二本の山羊やぎの角を手渡す。


「山羊は、他の動物が生き残れぬ岩場で暮らす。生命力、精力の象徴じゃ。その角は、決して折れぬ強い意思を示すもの」

「はい!」

「二つあるのには意味がある。一つは盃じゃ。修行中に出会った者と盃を交わし、多くの友を作れ。敵を作るな」

「はいっ!」

「もう一つは呼子よぶこじゃ。吹き鳴らせば、己がどこにいるかを知らせることが出来る。もちろん私にも分かる」

「そうか……」


 ジョシュアの頭に手を置いて諭す。


「安住の地を離れれば、人の手の温もりが恋しくなる。その手があるのを当たり前だとは思わなくなる。それをしっかり心に刻んでまいれ」

「はいっ!」

「待つ者がおるゆえ、必ず帰って来いよ」

「必ずや!」


 きりっと顔を上げたジョシュアは、メイに向かって太陽のような笑顔を見せた。


「必ずや!」

「うむ」


◇ ◇ ◇


 せめて旅立ちの後ろ姿を見送る間だけでも、吹雪を鎮めて欲しい。それが、残される者の総意の依頼であった。私はそれを請けることにした。


「屋敷から見える範囲にしか洞門を開かぬ。そこから先は、すでに死地じゃ。覚悟して己の道を探せ。達者でな」

「出ます!」


 がしゃん! 甲冑を鳴らして二頭の馬にまたがった大小の騎士。今一度、剣を構えて拝礼すると、私が吹雪の中に開けた洞門を堂々と走り抜けていった。二人の背が見えなくなると同時に、横殴りの猛吹雪が何もかもを白く塗り潰した。そして同刻。シアは姿を。


 ……隠した。


◇ ◇ ◇


 三人の旅立ち。それが予め知れていたことであったにせよ、残された者にとっては心が引き裂かれるほど辛い別れじゃ。もちろん、私にとってもな。それでも、生ある限り我らは己の生き方を探らねばならぬ。修行の中には、こうした試練がいくつも入っておる。


 しんと静まり返った屋敷の広間。暖炉脇の椅子に深く腰を埋めた私とアラウスカは、黙したままずっと暖炉の火がゆらめくのを見つめておった。底のない沈黙に耐え難かったのか、アラウスカが重い口を開いた。


「なあ、ゾディ」

「なんじゃ」

「こんなに老いさらばえても、やっぱり達観出来ないことの方が多いね」


 暖炉の火で炙られた顔。その頬に一筋の涙を通して、アラウスカが俯いた。


「そうじゃな。じゃが」

「うん?」

「我ら、いかに魔術を使えるとはいえ、それで幸福を作り出すことは出来ぬ。出会いと同じ数の別れは、我ら魔術師にとっても必定ひつじょう

「ああ」

「それなら、種を蒔くしかなかろう。新たな出会いをもたらしてくれる種子。別れの数が、決して出会いを上回らぬようにな」

「そうだね。本当にそうだ」


 打ちひしがれた様子のソノーが来たので、側に呼び寄せた。


「のう、ソノー」

「はい」

「お主が来た時。この屋敷には私とシアしかおらなかった」

「……あ」

「そうじゃろう? 今は、それが倍になっておる」


 こくん。ソノーが頷く。


「そのように考えよ。旅立ったテオたちだけではない。ここにおる我らも」


 椅子から立って、大きな薪を一本暖炉に放り込む。


「様々な感情を自力で乗り越え、己を磨かねばならんのだ。これもまた修行よ。我らに生涯課せられた、な。そして、先ほどのお主たちの依頼に対し、私が求める報酬」

「はい」

「それは、お主たちが心の嵐を自力で乗り切ることじゃ。必ず支払うように」


 ぱちん! 大きな音を立てて、薪が爆ぜた。



【第十二話 山羊 了】


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