(2)

「どうしたんだい?」


 私の不機嫌な様子を見て、アラウスカが首を傾げた。


「どいつもこいつも碌でなしばかりじゃ」

「あんたがその筆頭じゃないか」

「ううむ。確かにな」

「はっはっは! 世の中ってのは碌でなしで出来てんだよ」

「まあな」


 椅子に座って漆黒の杖を膝の上に横たえたアラウスカが、静かになった待合室に目をやった。


「どこでも、女たちの悩みは同じだね」

「ほう」

「旦那が浮気する、博打に手を出す、大酒を飲む、碌に働かない……そんなのばかりさ」

「うむ」

「女たちは、夫と家庭を手に入れればほとんどの夢が叶う。じゃが、男の夢は逆だよ。そこでついえる」

「……。射幸、か」

「そう。今よりもっと輝かしいものがきっとある。そういう叶わぬ夢に目が眩んで、今を捨てる」

「愚かしいことじゃな」

「そういう生き物さ」


 アラウスカが、さばっと言い捨てた。


「のう、お主はそれにどう助言しておる?」

「女たちも、少しだけ夢を見ればいいのさ。大きな夢ではなくともね」

「夢、か」

「夢を見るっていうのは、今よりも少し良くなるというイメージを持つことさ。必ずその女を魅力的にする。魅力的な女は大事にされるからね」

「うーむ。深いのう」

「はっはっは。射程の短い弓矢にも、ちゃんと使いみちはあるんだよ」


 こうしてアラウスカと話をするとつくづく思うのじゃが、世の中、やはり女で回っておる。いかに男どもが威張りくさっていようともな。


「ふう。そう持って行くしかないか」

「なんのことだい?」

「この国のことよ」

「ルグレス、かい?」

「ああ。私は一切関わりたくない。田舎に蟄居ちっきょしている偏屈じじいのままで在りたい」

「なるほど」

「じゃが、あまりに人材が枯れておるゆえ、このままでは早晩国がついえる。その乱のとばっちりは食いたくないのじゃ」


 私は一度席を立って、術で執務室を封鎖した。


「のう、アラウスカ。一つ頼みがある」

「なんだい?」

「王妃に知恵を授けてやって欲しい」

「そんなにぼんくらなのかい?」

しょうは曲がっておらぬが、どうにも頼りなさすぎる」

「ううむ」

「夫による娘の処刑を止められなかった弱い女じゃ。誰かが幼王を人質にして国政を動かそうと企めば、それに全く逆らえぬ。護りと支えが要るゆえな」

「確かにそうだね」

「力を使える地位に、その力を全く使えぬ者が在しておるというのはどうにも辛いのう。それは無頭の竜に等しい。竜の力を使えると知れば、己が頭になろうとするよこしまな者を生み出してしまう」


 あの僧とて、そうだったのであろう。


「お主の弟も、王に神の加護があるよう祈祷するだけじゃったはず。根っからの悪人ではない」

「なぜ分かる?」

「悪人としてはあまりに半端だからじゃ。されど、グルクの地位に目がくらんで節を曲げた。王を操れば己が王になれる、と。きゃつは王に扱えぬ魔術が使えるゆえな。まさに射幸」

「!!」


 アラウスカが、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった。


「それでかい!」

「そう。お主が激怒したのは無理もない。お主は昔の弟の姿しか知らぬ。そうじゃろう?」

「……ああ」


 私もゆっくり席を立って、冠雪が鮮やかになったメルカド山の頂を見遣った。ガタレの竜は孤高の象徴。己の欲を、己自身を保つことにしか使わぬ。されど、我々はそうはいかぬ。


「人は。魔術を使えても使えなくとも所詮人一人のことしか出来ぬ。それを悟れず、見果てぬ夢を見る輩が多過ぎる。そういうことなんじゃろう」


◇ ◇ ◇


 私は、王妃からの依頼を条件付きで受諾した。


 条件は二つ。一つは、助言者として西の魔女アラウスカを任用すること。もう一つは、幼王を補佐する執政官としてサクソニア公国第二王子のジョシュアを登用すること。もっともジョシュアの就任は、テオとの修行を終えてからになるゆえ、まだまだ先のことじゃがな。


 ルグレス王国は紛れもなく弱小国じゃ。前王が周辺国の王族との政略結婚を利用しようとしていたように、列強国の一つであるサクソニア公国と同盟を結べば労せずして護りを強化出来る。その利はビクセンどのにとっても同じであろう。ジョシュアの人徳が上がれば上がるほど、あやつは兄が統べる国には帰れなくなる。それならば、ジョシュアの能力をもっとも高く評価してくれる国に出向させた方が、ビクセンどのにもジョシュアにも利が大きいからな。


 私が付けた条件は、あくまでも提案に過ぎぬ。認められぬとあれば、それはそれで構わぬ。私への抑止力がなくなるだけの話じゃ。私は、必ず国を滅ぼすなどとは一言も言っておらぬ。そういう依頼があった場合、断るとは限らぬぞと重石を乗せたまで。そもそも私が依頼を請けるのは極めて稀なのだから、単なる脅しに過ぎぬ。それでも、王妃は条件を飲んだ。むしろ、私の提案にすがったと言ってもいい。


 魔術を伴わぬ依頼ゆえ引き受けたくないのじゃが、致し方あるまい。その代わり、私にではなくアラウスカの補佐に対する報酬として、幾許いくばくかの金銭を支払ってもらうことにした。高額な報酬は要らぬ。屋敷の住人の衣食が賄える分だけでよい。それが少額であったことを知り、王室もほっとしたことじゃろう。


 本格的な冬が来る前に厄介ごとが一つ片付いた。やれやれじゃ。私は執務室にアラウスカを呼び、労をねぎらった。


「のう、アラウスカ」

「なんだい」

「ここと王宮、どちらに住まう?」

「王宮なんざ、まっぴらだよ」


 アラウスカが渋面を作って、ぺっと吐き捨てた。


「ほう?」

「魔女なんてのは、どこへ行っても嫌われ者だよ。あたしみたいな余所者よそものが王妃にずっと取り付いてたら、それこそ痛くない腹を毎日かき回されることになっちまう。ごめんだね」

「はっはっは! 確かにな。私も絶対に嫌じゃからな」

「だろ? あたしはここがいい。あんたが出て行けと言わん限り、ここをつい住処すみかにする」

「うむ。そうしてくれ」


 私が即答したことに驚いたのだろう。アラウスカが、ぱかりと目を見開いた。


「いいんかい?」

「のう、アラウスカ。ここの住人は入れ替わる。それが人であっても、使い魔であってもな」

「うむ」

「私は常に見送らねばならん。それがここの定めじゃ」

「そうか。見送るやつは一人じゃない方がいいってことだね」

「ああ」

「なんか、寂しいねえ」

「そうじゃ。それが」


 窓際に歩み寄り、忍び入る寒気から雪の気配を嗅ぎ取る。ああ。長い長い冬が来る。そして、別れが来る。


「……我ら魔術師の、どうにも因果なところじゃな」



【第十一話 射幸 了】

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