第十一話 射幸

(1)

「うんうん、そうよねえ。わかる。わかるわ。ほんとに大変なんだよねえ」


 執務室の隣。ソノーが事前に請願書を受け取って吟味する待合室が、このところやけに賑やかになっておる。その原因を作っておるのは、他でもないアラウスカじゃ。仕合った時にはボキャ貧そのもの。相当呆けが進んでおるやに思えたのだが、頭に血が上って言葉が出てこなかっただけのようじゃ。まあ、ようしゃべる。口をつぐんで黙っておることは一瞬たりともない。それも自分の方から一方的にしゃべるのではなく、客の話の扉を開けるのがうまい。女の扱いを熟知しておるな。さすが、西の魔女じゃ。


 そして、待合いで客と話をする際には必ずエルスを抱いてゆく。アラウスカが客とやり取りするようになってから、乳飲み子を抱いた若い母親の請願が明らかに増えた。そして、その請願はほとんどアラウスカのところで止まる。つまりだな。魔術を施す私には用がなく、アラウスカに人生相談を持ちかける女性たちのサロン化してしまったということじゃ。ううう。


 それでも、乳飲み子を抱えた母親の来訪時にはエルスにも乳を分けてもらえるゆえ、無碍むげに帰れとも言えぬ。


「ふう」


 隣の部屋から、げっそり顔のソノーが避難してきた。


「もう、わたしの仕事がないですー」

「はっはっは! まあ、これまでいろいろあったからな。おぬしの骨休めの時だと考えてくれい」

「でも、すごいですね」


 革張りのノオトを胸に抱いたまま、ソノーが待合室をしげしげと見つめた。


「なにがじゃ?」

「いや、アラウスカさんて、どんなひどい依頼でも絶対に怒らないんですよ」

「うむ。そこがアラウスカじゃな」

「どういうことですか?」

「魔女の仕事は、ほとんどが人生相談じゃよ」

「へえー」

「相談を受ける側が偉そうにしていては客が来ん。私が魔女なら、一週間で廃業じゃな」

「きゃははははっ!」


 ソノーが屈託無く笑い転げる。


「時を経ぬと知り得ぬことがある。そして、知り得たことの全てが良いことではない。それが人生じゃな。アラウスカはそれをよく心得ておる。そして、女たちにそう説くんじゃろう」

「なるほどー」


 隣室の話し声にじっと耳を傾けていたソノーが、ひょいと振り返った。


「あの、ゾディさま」

「なんじゃ」

「アラウスカさんを、お呼びになったんですか?」

「まさか」


 はっはっは! からから笑い飛ばす。


「ビクセン公の子息奪還でボルムに乗り込んだ時に、グルク大公に悪知恵を付けておった腐れ坊主がおってな」

「ええ」

「そいつは、ガタレの竜の餌にした」

「ひっ」

「私は、魔術をくだらんことに使うやつは決して許さぬ!」


 私の怒声に怖じて、ソノーがきゅっと縮み上がった。


「アラウスカは、そやつの姉じゃ。せんに、敵討ちに来よったのよ」

「えええっ?」


 ぺたん。ソノーめ、腰を抜かしよったな。はっはっは。


「あやつの魔術の強さは、他の魔女とは桁が違う。アラウスカは西の魔女として名を馳せていた」

「それで、あの時急いで備えられたんですね」

「そうじゃ。ただな」

「はい」

「老いた」


 部屋の隅に一本の杖が立てかけてある。年老いた依頼者が来た時に、支えになるようにと常に備えてあるものじゃ。それをソノーに指し示す。


「私もそうじゃが、永遠の若さを保つことは誰にも出来ぬ。そして老いるとともに果たせることも少なくなっていく。アラウスカは、決してそれを認めたくなかったのであろう」

「は……い」

「じゃがな」

「ええ」

「老いねば出来ぬこともある」


 隣室から響いてくる賑やかな笑い声に耳を傾け、目を細める。


「ああいうことよ」

「そっかあ。すごいなあ」

「じゃろう?」

「はい!」

「あやつは、お主やメイが知らぬ世界をたくさん知っておる。そして、それをどのように伝えるかもな。アラウスカの導きを上手に使うてくれ。老いたとて、生き字引としての価値は一切減じぬ。いや、価値はますます上がる」

「本当にそうですね」


 私はソノーやメイの雇用主じゃ。ソノーやメイが成人したとて、その位置付けは変わらぬ。じゃがアラウスカは違う。ソノーたちにはとっては、単なる同居人じゃ。そこには主従関係がない。

 されば、私とアラウスカの口から同じ言葉が並べられても響きは全く異なるであろう。私は、その必要があると思うておる。そうじゃ。私は導く者ではない。未だに導きを要するものじゃからな。


◇ ◇ ◇


 午後。枯葉をむしり取られて裸になった木々を見回しながら、出先から戻った。出先と言えば聞こえはいいが、喜んでは出向きたくないところじゃ。


 徴兵令を出そうとしていた無慈悲な王を悪夢で牽制したまでは良かったが、王が悪夢に耐えられずに心身を壊し、寝たきりになってしもうた。ちと薬が効きすぎた。王妃は意思が弱く、これまでも王の言いなりじゃ。王子はまだソノーくらいの年齢で、即位しても王としての執務はとても担えぬ。王が腐っていると国が乱れるが、不在はもっと悪い。混乱に乗じて、内乱も他国の侵略も起こりやすくなるからな。


 私は、セレス王女を保護する時に王に警告を出してある。この国を滅ぼせと言う依頼ですら、それが妥当であれば請ける、と。それを聞いておった重臣の一人が嘆願に来たのじゃ。国をくつがえすような依頼は誰からも請けないとお約束いただけないだろうか、とな。魔術行使を前提とする通常の請願とは異なるが、行使制限もまた魔術に関わること。私にとっては間違いなく依頼じゃ。

 人一人を救うために魔術を使うことは造作のないこと。じゃが大勢の民草を救うことも損なうことも、私はしたくない。それが魔術を伴っても、そうでなくともな。多勢の意向が押し通されれば、小勢を殺すこともあるからの。


「ふう。どうするかの」


 依頼は明らかに代理依頼じゃ。本当の依頼者が誰か分からぬとそもそも請けようがないゆえ、王宮に出向いて依頼の大元を確認しに行ったんじゃが。予想通り、出処でどころは王妃であった。王妃の性格上、依頼の底に企みはない。しかし幼王と全く頼りにならぬ王妃の組み合わせでは、国の舵取りがどうにもならぬ。王が暴君であったゆえに、臣下の者はうなずき鳥ばかりじゃしのう。


 私はこの国に何の恩義も恨みも感じておらぬゆえ、まつりごとには一切関わりたくない。じゃが、そう言って放り出せば、この国は早晩壊れるじゃろう。


「ううぬ。まっこと厄介な依頼じゃ」


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