(2)

 翌日。続けて秋晴れであったにも関わらず、どうにも気分が優れなかった。


「ううむ」

「どうなさいました?」


 執務室で机に肘を突いて顔を歪めていたところを、ソノーに見咎められる。


「激しい胸騒ぎがする」

「胸騒ぎ、ですか?」

「うぬっ!」


 私は執務室を飛び出し、あっけにとられているソノーを置き去りにして戸外に走り出た。


「こそこそ隠れておらずに、とっとと出てこいっ!」


 ぶぉん! 念のために屋敷の周りに最強の結界を張り、敵からの強い攻撃に備える。私の挑発に何も反応しなかった不吉な気配は、突如太陽をむしばみながら形を成した。しょくを起こせるのは、相当な使い手じゃの。ろくなやつではなさそうじゃが。造られた闇を這うようにして、しわがれた声が降って来た。


「ゾディアスよ」

「誰じゃ」

「弟がお主に敗れて命を落とした。かたきを取らせてもらう」

「なんじゃ、あの腐れ坊主に眷族けんぞくがおったのか」

「腐れ坊主じゃと?」


 蝕でかげった黒い太陽の中から、黒衣をまとった白髪の老婆が姿を現した。ふむ。アラウスカ……西の魔女か。


「のう、アラウスカ。一つ問う。僧とは何をするしきじゃ?」


 アラウスカの返事を待たず、畳み掛ける。


「人の心に安寧をもたらす。それが僧の役割であろう。人をあやめる謀議ぼうぎに手を貸すような僧が、腐れでなくてなんじゃ?」

「黙れえっ! おまえは弟を誅殺ちゅうさつした!」

「笑止!」


 ぐんと腕を突き出して指弾する。


「よいか? 私は魔術師じゃ。殺戮さつりくを好む王や兵ではない。お主の弟が火矢を浴びせてきたから、それを返したまでじゃ。使い方の説明付きでな。懇切丁寧じゃろう?」

「それだけで弟が死ぬわけがないっ!」

「当たり前じゃ。私はそやつをガタレの竜の居所に飛ばしただけよ。仕合う相手は、私ではなく竜じゃ」

「ぬ!」

「ふふふ。お主の魔力がいかに強いと言え、単騎でガタレの竜と仕合うことは出来ぬであろう?」


 竜の名が出た途端に、アラウスカの口が重くなった。


「火を扱う。それは容易なように見えて、実は極めて難しいことよ。魔術を扱うものは、最初に火の危険を骨の髄まで叩き込まれる。お主も知っておろうが」


 術で掌上に火球を出し、握り潰して見せる。ただそれだけのことでも、扱い損ねて手を焼失する者がおるのじゃ!


「使う火は使われる。返り火を浴びて滅するようでは、半人前以下の素人じゃ。そういう半端者が思い上がって魔術を使うことなど、決して許さぬ!」


 ぱしーん! アラウスカの張っていた蝕のとばりが、私の怒気で粉々に砕け、宙に浮いておられなくなったアラウスカが、私の少し先に飛び降りた。


「ちっ」

「よいか? ガタレの竜はただの荒くれではない。おとなった者を必ず試す。お主の弟は心が腐っておった。それゆえ竜の試練に耐えられず滅された。ただそれだけじゃ。私のせいにするなっ!」

「お主は……耐えられるのか」

「もちろんじゃ。じゃからここに住まっておる」

「ぬ」

「今日も騎士が二人、竜との対峙に臨んでおる。一人はまだ年端も行かぬ子供じゃ。されど幼騎士は、必ずや竜との謁見の試練を乗り越えるであろう。曇りなく己の心を見つめ、つよくありたいと己を律して」

「く……」

「お主が魔女を名乗るのであれば、お主の弟にそれをさとしておかねばならぬはず。何もせなんだお主もまた、しょうのない腐れ魔女じゃ!」

「黙れえっ!」


 激昂したアラウスカが、尾をむちのように振るった。私はそれを避けずにあえて受ける。身体にぐるぐると巻き付いたさそりの尾。その先端には鋭い毒針があり、ぴたりと私の額に照準を合わせている。


「ははは。それで私を仕留めたつもりか?」

「ぐ……ぬ」

「真の蠍は、己の尾を隠さぬ。毒も含め、己の力を誇示した上で真っ向敵に当たる。兄も腐れておったが、お主も芯から腐れておるな。卑怯者のアラウスカよ」

「うるさいっ! 黙れえっ!」


 アラウスカは、尾を振って毒針を私の頭に突き通そうとした。もちろん、そんな攻撃を食らうつもりなど毛頭ない。影を辿って、アラウスカの背後を取る。


「武装解除させてもらう。悪く思うな」

「ぬ、こ、これは」


 アラウスカは、尾で押さえつけていたものが私ではなくただの木偶であることにようやく気付いたのであろう。遅い。どうしようもなく老いておるの。


「ふん!」


 ぴしん! 懐の竜鱗を一閃させ、尾をずたずたに切り砕く。妖気をみなぎらせていた尾は跡形もなくなり、その破片が腐った木っ端のように四散した。


「ぐわああっ!」


 尾をほとんど失ったアラウスカは、一時いっとき激しく地の上をのたうち回り、それから私の前に弱々しくうずくまった。


「ぜい……ぜい……ぜい」


 何度も荒い息を吐いていたアラウスカが、両手を地に付けたまま激しく嗚咽を漏らした。


「う……ぐう……ううう」

「老残そのものじゃな。てんで仕合いにならぬ。はなからやり直せ」


 魔力の根源である尾を失ったアラウスカは、もはや魔女ではいられぬ。頭の悪い一介の老婆に過ぎぬ。老婆に一からやり直せというのは、死刑宣告に等しい。裸に剥いて無碍むげに放り出すのは、私の信条に反するのう。


「のう、アラウスカ。いかな魔術師と言えど、いつかはついの時が来る。それはお主であっても私であっても同じじゃ」

「う……ぬ」

「それならば、残りの灯しをどう使うか考えた方がよかろう。己と周りを明かす。火は本来そのように使うものじゃ」


 私は、先ほど尾を裂くのに使った竜鱗をアラウスカの眼前にかざした。


「これは先代の竜が遺したものじゃ。私が戦って勝ち取ったものではない。先代から依頼報酬として受け取った」

「なんと!」


 竜鱗から目を逸らしたアラウスカが、ひどく恐れおののいている。


「今しがたお主とやり合うたように。真剣に仕合ってくれ……それが先代の依頼じゃった。最後の最後まで誇り高き竜であること。その意気に感じ入ったからこそ、死を賭した仕合いを受けた。お主に魔女としての誇りがあるのならば、最後まで己の使い方を考えるべきではないのか?」


 がくりと首を折ったアラウスカが、小声で認めた。


「ああ、そうだね」

「もしお主が私に依頼を出すのであれば、報酬次第でそれを請けよう」

「……どういうことだい?」

「お主は、魔力を取り戻したいのであろう?」


 悔しそうにアラウスカが頷く。


「ああ」

「それが私への依頼になる」

「あたしの支払うべき報酬は?」


 切羽詰まった顔で、アラウスカが身を乗り出した。私はエレナの墓を指差した。


「先日。短命を運命付けられた血族の女が、生まれたばかりのやや子を我らに託して世を去った。その娘が成人するまで育て上げるには、長い年月が要る」

「そうだね」

「されど、屋敷には年長としかさの女が誰もおらぬ。みな、訳ありばかりの幼女や少女よ。お主は多くの経験を積んでおるゆえ、彼女らの目前にともしを掲げ、導けるはずじゃ。その労役を、お主の支払う報酬に代える」

「う……む」

「ただな」


 アラウスカの眼前に指を突き付け、強く警告する。


「魔力の全ては戻さぬ。お主がそれを悪用する恐れがあるからな。魔術は、護りのものだけに限定させてもらう」

「仕方ないね」


 肩を落としたアラウスカが、ゆっくりと腰を上げた。私は呪を唱え、先ほどばらばらに切り裂いた蠍の尾の破片を集めて杖に仕立てた。


「これを」

「ああ、すまないね。助かる」


 くるくると軽快に杖を回したアラウスカは、それをとんと地に突くと、かすかに笑った。


「あんたも変なやつだね。敵に情けをかけるなんてさ」

「ははは。刺激がないと呆けるからの」



【第十話 蠍尾 了】

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