第十話 蠍尾

(1)

「メルカドに、雪が降りたか」


 つい先だってまで暑い暑いと繰り言を垂れ流しておったはずなのに、もう冬仕度をせねばならん。ほんに季節の移ろいは早いの。


 メルカド山の冠雪を遠見した後、顔を上げてすっかり高くなった空を仰ぐ。ちぎれ雲に向かって吐息を一つ預け。それから、秋色しゅうしょくの濃くなってきた庭をぐるりと見渡した。生き物の気配が乏しくなり、木立でも川でもさざめき交わす者たちの声はひそやかになった。あのガタレの竜ですら、冬はひたすら眠る。何者をも受け入れぬ無慈悲な冬。その冬に、おそらく別れが来よう。


 屋敷を振り返る。


 ほんのひと時の豊饒ほうじょう。私、シア、シアの娘のグレタ、エルス、ソノー、メイ、テオ、そしてジョシュア。屋敷にこれほどまで人の気配が充ちたことはなかったな。だが、旅立ちのときは近い。


 テオは、ジョシュアを連れて修行に出るじゃろう。屋敷での思索と休養の段階ステージはとうに過ぎておる。あやつも、それはよく分かっておるはずじゃ。傷は己の手で塞がねばならぬ。そして、ここでは傷を塞げぬゆえな。

 シアは、エレアのような最期の姿は決して誰にも見せんじゃろう。根っからの意地っ張りじゃからな。娘のグレタが動静を口にせぬ限り、シアの行く末は誰にも分からぬ。私はそれで良いと思う。


「屋敷の雰囲気が変わるな」


 男の姿を保っている私を除けば、あとは全て女ばかりになる。私が屋敷にいる間はよいが、依頼を請けて出かけると不用心になってしまう。春までには、警護のことを真面目に考えねばならぬ。


 思案を解きほぐすように、風に乗って遠く遠くから祝祭の音曲が流れてきた。


「おう、収穫祭か。そうじゃの。良い天気じゃからみんなで出かけるか」


◇ ◇ ◇


「わあい! おいしそうなものがいっぱいあるー!」

「どれどれどれ?」

「こっち、こっち!」


 子供達は、秋祭りに興奮してじっとしておらぬ。祝祭広場のあちこちを歓声を上げながら走り回る。


「ったく! グレタも、少しは自分の立場を考えろってんだ!」


 エルスを押し付けられたシアは、猛烈に膨れている。


「はっはっは! まあ、今日一日くらいは羽を伸ばさせてやるがよい。朝から晩までシアにがみがみやられたのでは、保たぬじゃろう?」

「あたしの神経の方が保たないわ。ぼーっとして人の話を聞き流してから!」

「シアの娘にしては珍しいの」

「あの子だけよ」


 む。そういうことか。


「あれでは生き延びられない。出産、育児はあたしたちにとって命がけよ。一瞬の油断で自分も子供たちも全滅してしまう。グレタはそこがどうにも」

「ううむ。難ありに男女の別なし、ということか」

「まあ、引退までの間にぎっちり油を絞るわ」

「ほどほどにな」


 シアから視線を外して、走り回る子供達を目で追う。


「うむ」


 本当にジョシュアの雰囲気が変わったな。これまではお山の大将で、自分のことしか目に入っておらんかった。天真爛漫ではあるが、我がままじゃ。をぶつけられる相手が屋敷におらんかったから自由人に見えたが、部下が出来たらそいつをいいようにこき使っていたじゃろうな。

 その御し難いが、しっかり制御されるようになった。今も、言葉を話せぬメイにぴったり寄り添い、常にメイの意向を聞いておる。出したくても出せぬ我があることを知り、自分の我を抑えることでメイの我を引き出す努力をしておるのじゃ。


「ふっふっふ。獅子の血が動き出したな」


 人はそれぞれに何らか使える力を持っておる。それを自他を生かす形で使うことが出来れば、誰にとっても一番幸福であろう。無双のテオの薫陶を受け、ジョシュアはこれからめきめき腕を上げるはずじゃ。しかし、その力を真っ当に使うには武力に勝る精神のつよさが要る。ジョシュアがそのことを肝に銘じておる限り、私は余計な心配をせずとも済む。


「ゾディさまは、何か召し上がられないのですか?」


 両手に菓子をいっぱい握り締めたソノーが、これ以上の至福はないという表情で口をもぐもぐさせている。


「はっはっは! 私は好きな時に好きなものを食らうゆえ、お主は遠慮せずに食べたいものを腹一杯食すがよい」

「わあい! 行ってきまーす」


 ソノーの背が人混みの中に消え、私は再び高い青空を見上げた。


「今在ることを無心に寿ことほぐ。まっこと得難い一時じゃな」


◇ ◇ ◇


 祭りを心から楽しんで村から屋敷に戻った一隊は、二手に分かれた。テオとジョシュアは装備を整え、メルカド山のいただきを目指した。もちろん、当代のガタレの竜に会うためじゃ。ジョシュアにとっては、これが最初のかつ生涯最大の試練になろうのう。

 一方、祭りを心から楽しんだ女性たちは、帰着してすぐ冬越しの支度に入った。天候が本格的に荒れぬうちに、済ませておかねばならぬことが多々あるからの。


 私は一人屋敷の外に残り、エレアの墓所で祈りを捧げた。


「エルスの運命を変えられるかどうかは、いかな私が魔術師であっても全き保証は出来ませぬ。私の人生ではなく、エルスの人生であるゆえ、な。それは承知してくだされ」



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