(2)

 少し日が傾きかけた頃。私はシーカーたちが集めて来たエレアの情報を束ね、その事情を知って愕然とした。


「なんと無情なことよの」


 執務室に呼び寄せるのも酷なことじゃと思い、エレアが横たわっている客室に足を運んだ。私を見て上体を起こそうとしたエレアを手で制し、容体を確かめる。


「具合いはいかがかな。薬湯は効いたでしょうか?」

「はい。少しだけ楽になりました」

「まず、貴女のことを確認させていただきたく。そのあとで依頼を果たしまする」

「はい」

「貴女の血筋は、例外なく短命ですな」

「その通りでございます。わたしどもは二十歳を越すことが出来ません。それゆえ、それまでの間に子を成さないと血が絶えてしまいます」

「されど、貴女の素性は誰もが知っておりましょう?」

「はい。ですから、娘の引き取り手を必死で探さねばならないのです。子が生まれた時にはもう余命が残り少ない。それもわたしたちに課せられた運命ですので」

「しかも、子は必ず娘か……」

「はい」


 エレアの素性を知った男どもが、自分の子孫を残すつもりで彼女を抱くわけはない。そういうことか……。エルスという奇妙な名にも得心がいった。どうしても逃れられぬ悲しい運命のいたずら。この娘だけは『例外』であって欲しい。じゃからエルス、か。


「いささか準備を要しまするゆえ、あと少しだけお待ちいただきたく」

「準備でございますか?」


 正確な余命を知るのに、どんな準備が要るのだろう? そんな風に、エレアがわずかに首を傾げた。


「なに、ほんのひと時だけじゃ」


 屋敷の面々を集めるだけじゃからな。


◇ ◇ ◇


 私、シア、テオ、ソノー、メイ、そしてジョシュア。六名の住人がエレアの横たわるベッドを囲んだ。


「みなに、最初に言うておく。此度の依頼、果たすのは容易たやすきこと。じゃが、それには魔術を使う要がない。私は魔術を使う依頼は請けるが、そうでないものは請けられぬ。それは依頼ではないゆえな」


 ソノーが血相を変えた。


「ゾディさま!」

「最後まで聞けい」

「う」


 私は部屋に集まった住人たちに、エレアの血筋の話をした。寿命が成人に達しない。それまでの間に子を為さなければならぬため、信頼出来る伴侶が得られぬ。しかも生まれてくるのは、己と全く同じ運命を背負った娘。


 誰もが目前に突きつけられた悲惨な定めに打ちのめされて色を失い、無言のまま顔を伏せた。


「のう、エレアどの。貴女の心残りは、死後に残される娘のことでありましょう?」

「はい」

「貴女の余命のうち一日を、この娘の運命を変えることに使いましょう。それには魔術を要するゆえ、依頼として請けることが出来まする」

「……報酬は、いかがいたしましょう?」

「この娘自身を報酬にしていただきたく」


 横たわっていたエレアの頬に、すうっと涙が流れ落ちた。


「どうぞよろしくお願いいたします」


 エレアの額の上に、右手を開いてかざす。


「よいか。みな、よく聞いておけ」


 念をたなごころに集め、じゅを唱えた。


「髪の毛一本ほどのずれが起こっても、人は人として在ることが出来ぬ。我らがこうしてあるのは必定ひつじょうにあらず。奇跡に等しい。各々が、その意味をよく噛み締めよ! 特に、ジョシュア!」

「は、はい!」

「お主の母は、お主を残して逝く己をどこまでも許せなかったはずじゃ。その無念を、エレアどのを見てしっかり心に刻むように」


 目をつぶっていたエレアの額から、金色の短い針が現れた。私はそれを摘まみ取ると、すやすや眠っている赤子の額にそれを埋め込んだ。


「欠片を埋めよ!」


 ふぁっ! その瞬間赤子の体は金色こんじきに輝き、すぐに元に戻った。


「エレアどの」


 呼びかけに応じて、エレアがうっすら目を開けた。


「残り二日。貴女亡きあともこの子が心のどこかで母を思い出せるように。貴女の想い全てを、この子に注ぎ込んでくださいますよう」

「……そのようにいたします」


◇ ◇ ◇


 エレアが亡くなるまでの二日間、屋敷の全ての住人が一分一秒を惜しむかのように献身的にエレアの看護に当たった。そして、その誰もが私のところに来て助命を、それが無理であれば延命をと嘆願した。じゃが、私はそれを拒否した。


「不浄な命を消し去ることは出来るが、無いところから命を作り出すことは出来ぬ。それは魔術ではない」


 蘇生、再臨。命を簡単に取り返せるようになれば、命の価値は紙くずに等しくなる。そんな命になんの価値がある? 失われた命は、二度と取り戻せぬ。じゃからこそ、誰もが今在る己の意味を考えるのだ。それをどう活かそうかと考えるのだ。


 エレアは亡くなるまでずっと娘を抱き、頬を寄せ、話しかけ続けた。そして私が計った通り、丸二日経った午後にんだ。


「最後にみなさまにこんなによくしていただき、わたしは本当に幸せでした。どうか、どうか娘をよろしくお願いいたします」


 そう言い残して。


 誰もがエレアの死を深く嘆いたが、もっとも悲しんだのはジョシュアであった。あの腕白坊主が、食事も摂らずに部屋にこもったまま三日三晩泣き続けた。そして、部屋を出た時には雰囲気が一変していた。まるで、子供から大人への脱皮を果たしたかのように。


◇ ◇ ◇


 エレアの亡骸なきがらは、屋敷の横手にあるニレの大樹の根元に埋葬した。娘が成長して屋敷を出るまで、近くでずっと見守っておれるようにと。ジョシュアは屋敷に来て初めて甲冑を身につけ、騎士の正装を整えた。そして、テオと共にエレアの墓前に立ち、葬送の儀礼を尽くした。


「うむ。凛々しいのう」

「はい。まるで人が変わったようです」


 目を擦ったソノーが、夕陽にあぶられて輝く二人の騎士の立ち姿を眩しそうに見つめている。


「ゾディ」

「うん?」


 エルスを抱いたシアが、私を手招きした。それから、ソノーに聞こえぬよう小声で、沈みゆく夕陽に何かを託すようにしてぽつりと告げた。


「あたしも、そろそろ引退かな。娘を連れてくる。しばらく二人で立ち回るわ」

「引き継ぎじゃな」

「そう。ジョシュアの尻を叩く必要も、もうないでしょ」

「はっはっは! そうじゃな」

「この子の面倒は、娘に見させて。娘に育児を教え込まないとならない」

「ああ。分かった」


 夕陽から目を逸らしたシアは、すやすや眠っているエルスの顔を見ながら大きな溜息を漏らした。


「ふううっ……。やっぱりいろいろあるわね」

「まあな。それが世の中というものなんじゃろう。なかなかぴったりには計れぬわ」

「そうね」



【第九話 秤量 了】

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