第九話 秤量

(1)

 全てを焼き尽くすかのような勢いで照りつけていた太陽もさすがに衰えを見せ、少しく傾いて横顔をさらすようになった。夏の間はソノーの命綱であった屋敷裏の川水は、少しずつ冴えてくる空気と相まって冷たさの襟を立て、ソノーやメイ、ジョシュアを徐々に水遊びから遠ざけた。もっとも。衰えた日差しの何倍もの勢いで、怒り狂ったシアが猛威を振るっておったが。

 シアを激怒させていたのは、言うまでもなくジョシュアじゃ。品行方正なビクセンどのからどうしてこうまで型破りな子息が生まれるのか、亡くなった奥方の淫行を疑いたくなるくらい徹底的にやんちゃじゃった。シアがテオにきつく当たるのは取り澄ました態度が気に食わないというだけの理由じゃが、ジョシュアの行動や言動はシアの感情を一々逆撫でする。そして、シアはジョシュアの蛮行を決して看過しなかった。


 ぱんぱんぱんぱんぱん!

 今日も今日とて、シアがジョシュアの尻を引っ叩く音が響き渡っておる。


「ごめんなさーい!」

「ごめんで済むなら、捕り方は要らないよっ!」

「ええーん」


 ダメんず大好きのおせっかいシアが、ジョシュアのしつけに手を抜くわけがない。ビクセンどのは、息子を叱ることがあってもせいぜい説教、飯抜きと反省房くらいじゃろう。じゃが、シアの躾は容赦のない実力行使じゃ。ジョシュアの尻は倍ぐらいに腫れ上がったんじゃないのか? ジョシュアのよわいとおをいくつか過ぎておる。幼児ではなくもう少年なのに、委細構わずひん剥いて尻を叩くのは如何いかがかと思うが、それでも懲りずにいろいろやらかすジョシュアの方が問題じゃ。私も頭が痛い。ビクセンどのも罪作りなことをしよる。


 やれやれという表情で尻叩きの音を聞き流しながら、苦笑を浮かべたソノーが執務室に入ってきた。


「ジョシュアも懲りませんねえ」

「ははは。本当にやんちゃじゃのう」

「ゾディさまも、ご幼少の頃はああだったんですか?」

「さあなあ。あまりに昔のことで忘れたわ」


 私の返事を聞いて、ソノーがひょいと首を傾げた。


「あの、ゾディさま。ちょっと立ち入ったことを伺ってよろしいですか?」

「なんじゃ」

「ゾディさまは、おいくつであられますか?」

「お主の見た通りじゃが」

「ハタチくらい」

「うむ」


 ぶうっとソノーがむくれる。


「そんなわけないでしょーっ!」

「はっはっは。そりゃそうじゃ。とんでもなくじじいよ」

「ううー」

「そうさな。ガタレの竜の代替わりを三回見ておる」

「えっ?」


 ソノーが、ぱっくり口を開いたままで固まった。


「確か竜の代替わりって、百年に一度って」

「そうじゃ」

「じゃあ、すっごいお年ってことですか?」

「ああ。お主と会った時のように時々再生をかけるゆえ肉体は若返れるが、精神はじじいになっていくな」

「ううー、わたしにはよく分かりません」

「はっはっは。まあ、生命の長短を是非にして論じても仕方なかろう」

「……そうですね」

「お主と最初に会うた時に言うたはずじゃ。永らえても、それは良いことばかりではないとな」

「はい」

「それでも。私は、自ら命を絶つことも永遠に命を保つことも望まぬ。魔術で出来ることがあり、それを私が為しうるうちはここに在ろうと思うがな。それだけじゃ」


 納得顔で、ソノーがふわっと笑った。


「ただな」

「はい?」

「長く生きると、どうしても避けられぬことがある。それは、別れじゃ」

「ええ。分かります」


 広間の方角に目を向ける。扉を閉めてあっても賑やかなやり取りが聞こえてくる。その喧騒が、いついつまでも続けばいいんじゃがの。そうは行かぬ。


「シアは。保って、あと一期じゃな。それがあやつの寿命じゃ」

「あっ!」


 ソノーが、どすんと腰を抜かした。


「使い魔であれば、本体の寿命はむしろ短くなる。大きな負担をかけるゆえな」


 口にしたくはないが、心の備えは必要じゃ。ソノーにだけでなく、己にも重ねて言い聞かせる。


「あやつはそれを知りながら、シアになることを承けてくれた。乱暴者じゃが、あやつは余人を以って代え難い。シアは他の誰でもない。シアじゃ。こういう時だけは、生命のはかなさを恨む」


◇ ◇ ◇


 ソノーと微妙な会話を交わした日の午後。生まれたばかりの赤子を抱いたひどく痩せた娘が、依頼を携えて私を訪ねてきた。いつもであればソノーが応対に当たるのじゃが、娘の様子がおかしいことに気付いて私に直接引き合わせることにしたらしい。


 見た目はまだ十代の娘じゃが、金色こんじきであるはずの髪はすでに色が褪せ、真っ白になっていた。顔立ちは整っているが、年齢に不釣り合いなほどひどく老いて見える。そして、重いやまいを抱えているのであろう。しきりに激しい痛みを堪えるような仕草を見せた。娘は、声を絞り出すようにして私に訴えた。


「わたしは、ロノ村のエレアと申します。娘のエルスとともにお願いに上がりました」


 む。エルス……その他……か。なんとも嫌な名じゃ。


「どのような依頼かな?」

「ご覧の通り、わたしはもう長くございません。ゾディさまの魔術で、余命の正確な日数を計っていただきたいのです」

「……。それを知ってどうするのじゃ?」

「その間に、この子の後をどなたかにお願いせねばなりませぬ」

「ご夫君は?」

「おりません」


 それは、依頼を請けずとも告げられる事実であった。私は医師ではないが、エレアの余命は医師や私でなくても分かるだろう。それほど危うい状態であった。


「請けるが、少々時間をいただきたい。そうじゃな。半刻はんときほど待たれよ。それまでベッドで休んでくだされ。薬湯を供しまする。痛みが軽くなるはずじゃ」

「お気遣い、ありがとうございます」


 エレアは、苦痛に顔を歪めながらそれでもわずかに微笑んだ。エレアの世話をソノーに任せ、執務室を走り出て、屋敷のすぐ側に立つ大樹の陰に駆け寄る。


「シーカー! おるか!」

御前おんまえに」

「大至急、ロノ村のエレアという娘のことを調べてくれ。猶予がない!」

「ははっ! 承知いたしました」


 数匹のあぶが、羽音高く飛び立っていった。


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