(2)

 角灯を机の上に置いて戯れに書を読んでいたところに。ことりと扉を開いて、メイが顔を覗かせた。


「どうした、メイ? 寝苦しかったか?」


 メイはうんと頷いたが、どうも寝苦しいだけではないようじゃ。付いてきてほしいという素振りを何度も見せる。私は角灯を手に、廊下に出た。先を歩いていたメイは、メイが使っている寝室に私を導いた。それから、ベッドの上を指差した。


「おやおや」


 屋敷には、子供用のベッドなどというものはない。詰めれば子供が四人は並んで寝られるほど大きなベッド。そのど真ん中に、ジョシュアが大の字に寝ておった。


「はっはっは! さすが男の子じゃのう。寝姿が豪快じゃ」

「ナゼ ワタシノ トコロニ?」


 メイの肩に留まったロビンが、ジョシュアを起こさぬよう小声でさえずった。


 何も悩みなぞないという無邪気な表情で寝ているジョシュアを見下ろし、その額の上に手をかざす。


「ジョシュアは寂しいんじゃよ」

「サビシイ デスカ?」

「そうじゃ」


 メイに向き直って、尋ねた。


「お主を傷つけたのは、父であろう?」


 しばらく間があって。メイがゆっくり頷いた。


「母がお主に何もしてくれなかったわけではないが、母は父には逆らえなかった。違うか?」

「ハ イ」

「やはりな」


 ふうっ……。


「じゃから、お主は男が怖い。男は、それが誰であっても自分を傷つけるように感じてしまう」


 メイが、じっと俯向いた。


「お主がそう感じてしまうのは仕方あるまい。お主には何もせきはない」


 ほっとしたように顔を上げたメイに、改めて確かめる。


「寂しいゆえ、本当は隣に誰かおって欲しい。じゃが、それは優しい母であって欲しい」


 こくこくと、メイが二回頷いた。


「そうであろうな。そしてな、それはジョシュアも同じじゃ」

「!」


 驚いたように振り返ったメイは、大の字に寝ているジョシュアをじっと見下ろした。


「こやつには最初から母がおらぬ。それゆえ母の愛に飢えておる。ひどく寂しいのじゃ。母の存在に無上の憧れを抱いておるが、屋敷には母になぞらえることが出来る女がおらぬ。お主以外はな」


 角灯を足元に下ろし、もう一度ふうっと大きな溜息をつく。


「お主やジョシュアがソノーほど幼ければ、一緒に寝かす。決して友以外にはならぬゆえな。じゃが、今はそうは行かぬ」

「ハ……イ」

「お主とジョシュア。寂しいところと母恋いは同じじゃ。しかれど、お主は男が怖い。ジョシュアはお主に女ではなく母を見る。どうしてもうまく噛み合わぬな」


 私は、項垂れてしまったメイを執務室に呼び戻すことにした。あと少しだけ、メイから聞いておきたいことがあったからだ。


「のう、メイ」

「ハイ」

「ジョシュアがお主の勉強を見てくれておるが、教え方はどうじゃ?」


 俯いていたメイが、顔を上げてにこりと笑った。


「ヤサシイデス」

「そうか。あのやんちゃ坊主も見かけによらぬの。怒ったり、馬鹿にしたりはせぬのだな?」

「シマセン。スゴクシンセツデス。テイネイニ オシエテクレマス」

「ふむ。さすがビクセンどのの息子じゃ。獅子の子は、やはり獅子であったか」


 まあ。今からあれこれと考え過ぎても仕方あるまい。


「そうじゃな。メイはいつもしっかり家のことをやってくれておる。シアもきっと安心することじゃろう。その分、少しだけじゃがお主の依頼を果たしておくことにするか」

「イライ デスカ?」

「独り寝は、嫌であろう?」


 黙って俯いたメイが、ゆっくり頷いた。


「はっはっは。男の苦手なお主が、それでも一人で寝ずとも済む方法がある。今宵だけじゃがの」


 角灯を机の上に置き、小さく呪文を唱える。


「ア……」

「これならよかろうて」


 メイがくすっと笑って。それから私の腕をぎゅっと抱え込んだ。


「ウレシイ デス」


◇ ◇ ◇


 明かりが消えたメイの寝室。ベッドの真ん中に横たわった私の両脇で、メイとジョシュアの軽やかな寝息が響き合っている。誰かが隣にいてくれる安心感。それは寝苦しい暑さをも打ち破る特効薬なのであろう。私が見てくれを女性にょしょうに変えたところで、その意味までは写せぬ。所詮しょせんは、母親の粗末な代用品にしかならんのじゃ。そのような粗悪品であっても、必要な夜があるということなんじゃろう。


「うむ」


 熱病のような夏はもうすぐ終わる。独り寝の寒さが心を冷やす季節が、ひたひたと近付いて来る。


「その時までの間にどうなるかじゃな。いずれにせよ、私がここで寝るのは今宵限りじゃ。そうせぬと、後でひどく厄介なことになるからのう。ぬ!」


 いや。後で、ではない。今になってしもうたか。

 私の頭上に、悪魔のような顔をしたシアがふうっと現れ、目を細めてにたあっと笑った。


「シアめ、戻ってきよったか」

「ただいま」


◇ ◇ ◇


 翌朝。食卓の雰囲気は異様だった。


 熟睡していて何も覚えておらぬジョシュアはぽかあんとしておるだけじゃが、メイはどうにもばつが悪そうだし、ソノーはこれ以上ないというほどへそを曲げていた。


「なんでわたしだけ仲間外れにするんですかっ!」


 いや、決してそういうわけではないんじゃが。なんとも説明しずらい。


 出産、育児明けのシアは、産後のリハビリネタにはぴったりだと思ったようで、いいように私をいじり倒した。


「希代の大魔術師ゾディが、女装してロリコンの世界に浸るなんてさあ」


 ……。こやつ。いつか唐揚げにしてくれるわ!



【第八話 女性 了】


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