第八話 女性

(1)

「きゃっほほーいっ!」


 親の監視から逃れたジョシュアは、屋敷に着くなり腕白小僧の本性を剥き出しにしよった。とにかくじっとしているということが出来ず、少しでも目を離すとどこに出奔するか分からぬ。屋敷の内外をくまなく駆け回り、甲高い足音と大きな歓声がそこかしこから聞こえてくる。あやつが来てからというもの、それでなくとも暑苦しかった屋敷の中がより一層暑苦しくなってしもうた。


「ううむ。ジョシュアのやつ、とことん騒がしいのう」


 シアの不在で寂しくなった屋敷が賑やかになるのは結構なことなんじゃが、ジョシュアの騒々しさはいささか度を越しておる。ビクセンどのにしては愛息に酷な仕打ちをと思ったが、そういうことじゃったか。

 確かにビクセンどのの教育は行き届いておったが、ジョシュアの節制はあくまでも父の前でという条件付き。あの厳しいビクセンどのですら御し切れぬほど、ジョシュアのやんちゃが桁外れなんじゃろう。これは、まんまとしてやられたわ。ビクセンどのも意外にしたたかじゃのう。


 まあ、ジョシュアだけが特別ということもあるまい。あの年頃の男の子であれば、腕白は誰しもが持ち合わせているしょうじゃ。されど、誰かを重石に付けておかぬと、あやつは何をしでかすか分からぬ。仕方なく、監視役としてテオを伴わせることにした。もっとも、テオはジョシュア配下の騎士ではない。立場を逆にして、ジョシュアにそれをしっかり言い渡した。


「ジョシュア。お主は、テオに何も命ずることは出来ぬ。逆じゃ。お主はテオの小姓という立場になるゆえ、それをよくわきまえよ」

「はーい」


 ビクセンどのの前でその返事をしたら、三食抜きで懲罰牢入りじゃろうな。思わず頭を抱えた私を見て、テオが何度も苦笑いを繰り返していた。されど、テオはジョシュアをとても気に入ったらしい。ほとんど鼠穴の奥に引っ込んだままじゃったテオが、実体を変えずにずっとジョシュアの腕白に付き合っておる。まあ、そうじゃろうなあ。私を除けば屋敷には女しかおらぬ。女はテオにとってもっとも苦手な存在。そこが、あやつにとって大きな弱みになったままじゃ。


「あの朴念仁も、どうにかならんかのう」


 もっとも。シアが産休で休んでいる間は、女はソノーとメイだけで、二人ともまだ子供じゃ。テオにとっては極楽であろう。戸外から聞こえてくるジョシュアのはしゃぎ声を聞きながら、私はつらつらそんなことを考えておった。


「ん?」

「冷たいものをお持ちしました」


 よたよたと大きなすえの器を抱えて部屋に入ってきたソノーが、それを重そうに私の机の上に置いた。


「おう、助かる。今が、一番しんどいからのう」

「ええ」


 手巾しゅきんで額の汗を拭ったソノーが、ジョシュアの歓声を聞いて、ひょいと首を傾げた。


「どうした?」

「いえ、ビクセンさまがなぜジョシュアさまを修行に出されたのかが気になって。親元から離すにはまだ早いと思うのですけど」

「確かにそうじゃな」


 ふう。


「ビクセンどのはよく出来たお人じゃが、善人というだけでは大国を統べることが出来ぬ」

「そうなのですか?」

「そうじゃよ。此度の騒動も、ボルムに通じておった者は残らず公によって捕縛され、処刑されておる」

「うわ」


 ソノーの顔から、さあっと血の気が引いた。


「それが獅子よ。弱みを見せれば他の獅子に食われる。身を清くするだけでは足らぬ。身を剛く保たねばならんのじゃ」

「なるほどー」

「ビクセンどのの息子は、グレアムもジョシュアも父の血を引いてとても優秀じゃ。性格も曲がっておらぬ。良い後継ぎになるじゃろう。ただし」

「ええ。一人だけ、ですよね?」

「そうじゃ。国は長子が継ぐ。ほとんどの国はそうじゃ。もちろん、サクソニアもな」

「そうですね」

「じゃが、王としての資質は、長男のグレアムよりジョシュアの方が上じゃ」

「あっ!」


 ソノーが両手を口に当てて、絶句した。


「ジョシュアは、誰からも愛される。天から授かった陽のしょうを持っておるのだ。それに比べれば、思慮深いが大人しいグレアムはどうしても陰気に見える」

「うわ……」

「二人をいつまでも並べておくと、いずれおみが割れる。ビクセンどのはそれをずっと危惧しておったんじゃろう」

「そうかー」

「ジョシュアに国外でたくさんの経験を積ませ、兄のような思慮深さを身につけさせると同時に、あいつの性の良さを他国に売り込む。サクソニアとの友誼ゆうぎを永く保ちたいと願う国に婿入りさせれば、誰もがさちを得られる。そういうことじゃろうて」

「うーん、それでもあの年で親元から離されてしまうなんて。ジョシュアは嫌じゃないんですかー?」

「はっはっは! 逆じゃ。ジョシュアは喜んでおるじゃろう。見ておればよーく分かる」

「えー?」

「ビクセンどのは早くに奥方を亡くされた。父一人での子育てじゃ」

「あっ! そ、それは」

「大変じゃろうな。いかな実子とは言え、王としての権威を息子の前でだけ捨て去るわけにはいかぬゆえな」

「うー、めんどくさー」

「まあな。母に甘えることも子供としての我を出すことも出来ねば、ジョシュアは息苦しくて仕方なかろう」

「そうかあ」


 私は、外から聞こえてくるジョシュアの歓声に目を細めながら、ソノーの供してくれた飲み物を口に含んだ。


「じゃがの。ジョシュアもメイも、そろそろ子供から少年と少女に変わり始める時期じゃ。おそらく」

「なんでしょう」

「互いを強く意識するようになるじゃろう。それが二人の運命を変えるやもしれぬな」


◇ ◇ ◇


 本来は冷涼なケッペリア。真昼はともかく夜気の温度はぐんと下がるはずなのじゃが、涼しくなるはずの夜まで猛暑が侵食し始めた。朝から晩まで賑やかなジョシュアの声がやっと眠りで塞がり、落ち着いて休めるはずの深夜。その安寧の時間まで暑さに蹂躙じゅうりんされるのはどうにも辛い。


「ううむ。寝苦しい」


 あまりの暑さで眠りが浅くなっておる。真夜中に目が冴えてしまった。寒さの厳しい冬に蓄熱で暖かく保てる寝室。しかし、猛暑の夏はそれが思い切り裏目に出る。


「ふう。執務室の窓を開け、椅子でしばらく仮眠を取った方が良さそうじゃな」


 私は角灯を手に、寝室から執務室までゆっくり歩いていった。確かにうだるような暑さではあるのだが、開け放たれた高窓からかすかに虫の音が聞こえてくる。足を止めて、それにじっと聞き入る。


「永劫に続く夏も冬もありえぬ。今は賑やかな屋敷も、じきに静かになってしまうのう」


 感傷など、なんの腹の足しにもならぬ。それでも。季節が回る軋み音は、同時に心に引っかき傷を作る。わずかににじむ血を残しながら、無情に移ろっていく。


「厄介なものじゃの」


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