第七話 獅子

(1)

 盛夏。元気なのは、日がな一日照りつける灼熱の太陽だけで、屋敷の面々は私も含めてほとんど蒸し焼き状態じゃった。


「今年は、これまでになく暑いのう」

「蒸発してなくなりそうですぅ」


 初夏の段階ですでにへたばっていたソノーは、朝から晩までぐだぐだ。それでも暑さに対処する方法を見出したことで、なんとか難局をしのいでいた。

 対処法。それは水浴びじゃ。屋敷裏を流れる川は、水源が山ではなく地下から湧く泉水で、年中水温が低い。それに元々の属性が地性であるソノーは、地の気が満ちた泉水とは相性が良いのであろう。寸暇を惜しんで川に入り、体を冷やした。


 じゃが、メイはソノーほど川に向かわなかった。暑さに対してはソノーよりも強い上に、少々の辛さは我慢してしまう。私が休めと命じぬ限り、仕事の手を休めぬ。確かに頼りにはなるのだが、どうにも心配じゃ。


 そして、テオはほとんど隠遁生活に入った。騎士としては特級品の偉丈夫の男が、何を好き好んで鼠穴の奥で思索三昧か。まったく。かと言って、私があれこれ口出し指図することでもない。


 シアが出産と子育てを終えて戻って来るまでは、ひたすら忍の一字じゃ。余計な依頼を持ち込むやつがおらぬといいんじゃがのう。しかし、私の懸念はやはり現実のものとなった。極めて厄介な依頼が飛び込んできたのだ。


「このくそ暑い時に!」


◇ ◇ ◇


「ううむ。どうするかのう」

「はい。不思議な依頼ですよね?」

「そうじゃ。依頼自体は極めてまともじゃ。出処でどころは言うまでもない。依頼の理由もはっきりしておるし、報酬もきちんと支払われるじゃろう」

「ええ」

「ただのう」


 きれいに清書された請願書に改めて目を通し、何度も首を傾げる。


「なぜサクソニアに獅子がおる?」


 かつておちこちに大きな帝国があった時代には、獅子を飼い、それを権力の象徴として誇示する者がおったのは確かじゃ。獅子は時に罪人の処刑に使われ、時に戦士の戦いの相手に駆り出され、愛玩動物というよりは凶器として用いられた。それは、獅子からしてみれば不本意なことであると思うが。されど、昨今いかな国でも獅子をそのように扱うことはなくなった。飼育も繁殖も難しく、飼い慣らすには相当の経験が必要じゃからの。


 そして此度の依頼者であるサクソニア公国国王ビクセンどのは、素晴らしい名言を発しておる。


『人を養えぬ者は、獅子を飼えぬ』


 民草の信頼を得られぬ者は、国の舵取りを担える勇者や賢者を召し抱えることが出来ぬ。そういう厳しい戒めじゃ。それは単なる例えに過ぎぬが、言い得て妙であろう。獅子を自戒の言辞に使うたビクセンどのが、その獅子をこっそり飼っていたとはとても思えぬのだ。


 私はソノーに請願書を渡し、もう一度音読してもらうことにした。文字を目で追うのと耳から聞くのとでは印象が変わることがある。何か感じ取れるものがあるやも知れぬ。


「すまんな。頼む」

「はい。では、読み上げますね」

「うむ」


 顔の前まで請願書を掲げたソノーが、美しい声で朗々と内容を読み上げた。


「サクソニアの王宮内で飼育されていた獅子の幼獣二頭が、王宮から逃げ出してしまいました。領民に被害が及ばぬよう二頭とも連れ戻していただきたく、伏してお願い申し上げます。貴殿に支払う報酬は、二頭のうち一頭でございます。サクソニア国王ウィレム・ビクセン記す」


 ううむ。


「ゾディさま、どこかに裏があるのでしょうか?」

「それがのう。うちの腐れ国王と違い、ビクセンどのは極めて高潔なお人柄じゃ。領民にも慕われておるし、国情も安定しておる。それが見せかけのしょうとはとても思えぬ」

「うーん、でもどう見ても変な依頼ですよねー」

「獅子の子を探し当てるのは造作ないこと。わざわざ魔術を使うまでもない。そして、それはビクセンどの自身に出来ることじゃろう?」

「わたしもそう思います。本来であれば、ゾディさまが引き受ける筋のものではありませんよね?」

「ビクセンどのが、それを知らぬはずはないのじゃが」


 ん?


 私は、拳を固めて己の頭に拳骨を一つ見舞った。ごん!


「いかんな。暑さで頭がすっかりなまっておる。なに、ひどく単純なことではないか」

「はあ?」

「この依頼は、テオに手伝わせることにしよう。屈強な青年騎士が、陽気もいいのに鼠穴の奥で隠遁いんとん生活を送るなぞ不健全極まりないからの。ナメクジでもあるまいし」


 苦笑交じりで私の雑言を聞き流していたソノーが、諾否を確認する。


「では、先方には受諾すると伝えてよろしいのですね?」

「ああ、少しだけ待ってくれ。受け入れるには準備が要る」

「準備、ですか?」

「お主が朝目覚めた時、横に獅子が寝そべっていたらなんとする?」

「絶対にいやあああああああああああああああああっ!!」


 真っ青になったソノーが、脱兎の如く執務室から駆け出して行った。


「はっはっはっはっは! じゃが、いずれそうなるやも知れぬぞ」


 椅子から降りて、テオを呼ぶ。


「これ、テオ! いつまでナメクジの真似をしておる!」


 ほどなく、だらしなく無精髭を伸ばしたテオが少し不機嫌な様子で執務室に現れた。


「お呼びでしょうか」

「ああ、ちと聞きたいこと、そして頼みたいことがある」

「なんでございましょう」

「お主はサクソニアに入国したことがあるか?」

「ございます。民心穏やかで治安が良く、とても過ごし易い国でした」

「そうであろうな。隣国との関係はどうじゃ」


 テオの表情が曇った。


おおむね友好国ばかりでございますが、西隣りの大国ボルムだけは」

「やはりな」

「なにか?」

「ボルムのグルク大公が、ろくでもないことをしでかしたようじゃな」


 私は、ビクセンどのから送られて来た請願文をテオに掲げて見せた。文面を目で追ったテオは、すぐに真意を探り当てた。


「なるほど」

「獅子の奪還はすぐに出来るが、グルクにきゅうを据えておかぬと再々同じことが起きるじゃろう」

「さようですね」


 ふっと。テオが短い吐息とともに顔を上げた。


「それがしに頼みたいこととは、なんでございましょう」

「メルカド山におもむき、竜鱗を何枚か仕入れてきてくれ」

「!!」

「抱卵期は明けておるし、山裾じゃ。ガタレの竜を刺激することはあるまい。されど、瘴気しょうき塗れのものは常人じょうにんには扱えぬ」


 ぎん! 目に力を込めて、テオに強い警鐘を鳴らす。


「それはお主にとっても同じことじゃ。食われるなよ」


 私の警告を、テオが笑いながらさらっとかわした。


「ははは。それほどのことで狂うようならば、竜との仕合いなぞとてもこなせませぬ」

「ふっふっふ。さすがじゃな。頼むぞ。それが揃い次第、ビクセンどのに受諾証を届ける」

「承知いたしました」


 拝礼したテオが、さっと執務室を後にした。


「あやつは仕事が早い。すぐに戻るじゃろう。どれ、私も準備するか」


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