(2)

 さんざ水遊びをして、疲れたのであろう。服を着て木陰に横たわった二人が午睡に入り、小さな寝息を立てている。私も男のなりに戻って身なりを整え、座して葉の隙間から初夏の日差しを見上げる。


 私が何もせぬこと。それは世界が平穏であることのあかしじゃ。商売として魔術師をやっておっても、何もせんで済むのが一番理想なんじゃがの。世の中は、それほどうまく出来ておらぬ。どうしても、私が何かを請けぬとはかどらぬことがある。それは、天下を動かすような大きなはかりごとではない。人一人が生を全うする、たったそれだけのことじゃ。それだけのことすら許されぬ者が大勢おる。そして、私がその全てに手を差し伸べることは出来ぬ。


「因果なことじゃな」


 見上げていた日差しが、ふっとかげった。


「やはりな。来よったか」


 招かれざる客の来訪じゃ。やれやれ。私が木陰から出た途端に、上空から数本の光矢こうしが飛んできた。盾を構えてそれを跳ね返す。


 ぴしいん!


 白衣を着た髭面の男が、太陽を背にして偉そうに私を見下ろしておる。客としての礼儀も何もあったものではないな。黙っておれば聖職者に見えるが、中身はどうしようもなく俗物よ。相変わらず性根が腐れきっておる。


 にこりともせず、男がずけずけと言い放った。


「腕はなまっておらぬようだな。リブレウス」


 私を姓の方で呼ぶやつは、一人残らずろくでなしじゃ。むかむかするわ。


「ふん。なまくらばかりのお主らと一緒にするな」

「なんだと?」


 男が気色ばむ。


「儂らがなまくらだと言うのか!」

「違うか? 徒党を組まねば白黒決められぬような、腐った腑抜けどもと同列に並べられるのは極めて不愉快じゃ。とっとと立ち去れい」

「卿が招集をかけておる。儂とて、不遜なお主のところになど足を運びたくはない。あくまでも伝令じゃ」

「つまらんのう、クレウス」

「なにぃ?」

「お主らの中の誰か一人でも、ガタレの竜と単騎で渡り合える者がおるか?」

「ぬう」

「ギルドの総員を挙げても竜は御せぬ。お主らは所詮それほどの力しか持たぬ。自惚れの過ぎる半端者どもと交わると、私まで腐る」

「く……う」

「得た力をまともに使えぬ者は、いくら白だと主張しても黒じゃ。己の無能をわきまえるがよい」


 私は懐から巨大な竜鱗を出し、それをクレウスに向けてかざした。


「そ、それは」

「竜が代替わりする際に、前代の竜と仕合った。前代の竜は最後まで見事な生き様であったぞ。私もかくありたいものじゃ」


 クレウスは、先ほどまで剥き出しにしていた敵意を慌てて引っ込めた。そこが、お主らの限界よ。魔術師ではなく、もどきに過ぎぬがゆえにな。


「クレウス。同じことを何度も言わせるな。私は依頼しか請けぬ。その依頼者が、王であっても卿であっても一介の農夫であってもじゃ。その依頼がまっこと妥当で、かつ報酬を伴うならば、ガタレの竜退治であろうが国家転覆であろうが何でも請ける。そこに白も黒もない。じゃが、私が妥当だと認める依頼はほとんどない。それだけじゃ」


 とっととね。愚か者め!


「お主らのは依頼ではなく、めいじゃ。私は命は請けぬ。それが誰のものであってもな」


 クレウスは、無言のままきびすを返した。


◇ ◇ ◇


 先ほど光矢を跳ね返した時の音で目が覚めたのであろう。青ざめたソノーがぶるぶる震えていた。


「ゾディさま、あのお方は?」

「出来損ないの魔術師もどきよ」

「もどき、ですか」

「魔術であってもなくても、力を持てばそれを使いたくなる。じゃが、その力が強いほど使い方は難しくなる」

「そっか……」

「それを理解出来ぬ阿呆が、世の中にはいっぱいおってな。お主のように、出来ることを小さく見積もる方が幸せに暮らせる」

「はい」

「じゃが、そうかと言って力を使わねば、すぐにめっされてしまう」


 私は、川底に転がっていた沢蟹さわがにの殻を拾い上げた。


亀甲きっこう蟹甲かいこう。同じように見えて、実は違う」

「どういうことでしょう?」

「亀は、手足を引いて甲羅の中に潜めば身を守れる。じゃが、そこから動けなくなる」

「あ、そうかー。かにさんは、甲羅で身を守りながら動けるってことですね?」

「はっはっは。そうじゃ。どちらも自分を守ることに力を使っておるが、蟹の方が融通が利く」

「融通、かあ」

「亀甲の中に隠れると、外敵が去るまで事態が変わらんじゃろう?」

「なるほどー」

「蟹は同じように甲で外敵の攻撃を凌ぎながらも、耐える、逃げる、攻める……いろいろな行動を起こせる。基本、護身の姿勢で構わぬが、次にどうするかを考えて行動に移す。それだけで随分動ける範囲が変わるゆえな」

「うーん、すごいなー」

「まあ、お主も追々おいおいそういうのを身に付けてくれ」

「はい!」

「お主は、臆病とは言え素直で前向きじゃ。私は何も心配しておらぬ」

「えへへ」


 ソノーが照れて頭を掻いた。


「問題はメイと……テオじゃな」

「えっ!?」


 メイはともかくテオの名が出たのが意外だったのか、ソノーが大きく目を見開いて私の顔を凝視した。


「テオは、力と心の間が甲で切り離されておる。心が亀甲の中に入ったまま出て来ぬ。極めてバランスが悪い」

「そ……んな」


 夏空と呼ぶにはまだ若い蒼空そうくうを見上げて、嘆息する。


「ふうっ。じゃが、厳しい自律を旨とする騎士であればそれでもやって行ける。そこが騎士としてのテオの長所であり、限界ということよ」

「ああっ!」


 私が前に言ったことの真意を理解出来たのだろう。ソノーが言葉を失って立ち尽くした。


「まあ、メイにもテオにも時間が要る。時にしか解決出来ぬことがあるのは確かじゃからな」

「はい」


 私とソノーの話し声で目が覚めたらしい。木陰を出て歩み寄ってきたメイが、ソノーの隣に立った。


「おお、ちょうどよい。そこで二人並んでおれ。お主らの心中の依頼を少しだけ叶えよう。些少なれば、報酬は求めぬ」


 二人の目の前に等身大の姿見を出して、それを覗かせる。


「わっ!」


 ソノーがのけぞって驚いておる。ソノーとメイの目には、正装した美女が見えているはずじゃ。


「はっはっは。それは、お主らが先々娘になった時の姿じゃ。見目みめ相応ふさわしい幸福を取りに行けよ」

「うわあい!」


 それは嘘偽りの姿ではない。ほんの一瞬、時を先取りしたに過ぎぬ。抱き合って喜んでいる二人を後目しりめに、私はもう一度青空を見上げ、去っていったクレウスに向かって憎まれ口を叩いた。


「ど阿呆が。魔術というのはこのように使うのじゃ!」



【第六話 蟹甲 了】


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