第五話 双身
(1)
村々の慌ただしい農作業が一段落する頃、屋敷は深い緑の中に埋もれるようになった。浮きたつ春に舞い上がっていたソノーも落ち着きを取り戻し、執務に集中するようになった。やれやれじゃ。
じゃが。住人が一人増えて、本来であれば賑やかになるはずの屋敷は、逆に火が消えたような寂しさの中に封じ込められた。もちろん、その原因はシアの不在じゃ。なんだかんだ言うても屋敷のムードメーカーじゃったからのう。子育て期間に大きなトラブルがなければ秋までに復帰すると思うが、シアの怒鳴り声が聞こえぬとどうにも日々に張り合いが出ん。
屋敷を支配する寂しさの原因は、もう一つある。それは、口の利けぬあの女の子が漂わせる雰囲気じゃ。
シアの留守を預かる形になった女の子には、名前がなかった。親から名前をもらえなかったのか、それとも名前を捨てたのか、それすら分からぬ。しかし名前がなければ日常不便で仕方がない。本人の同意を得た上で、仮の名前ではなく正規に名を決めることにした。
五月であったし、いつか良い便りが届くようにと信書をイメージしてメイリーという名前を提案した。女の子はその名がいたく気に入ったらしく、私の提案をすぐに受け入れてくれた。シアやソノーは短くメイと呼ぶことにして、甲斐甲斐しくその子の世話を焼いた。もっとも、シアは不在期間の仕事をメイに覚えてもらわねばならぬゆえ、密着して細々と指示を出しておったがの。
メイは放浪生活をたくましくこなして来ただけあって物覚えが早く、シアに負けず劣らずてきぱきと仕事をこなした。ただ……言葉を発せないというハンデを抜きにしても、恐ろしく口数が少なかった。肩に留まっているロビンが発するのは、ほとんどがはいといいえだけじゃ。ロビンがそこにおる必要など全くないように見える。もちろん、メイが言葉を発しないことには必ず
産休に入る前日、執務室に来たシアが眉をひそめてこそっと私に耳打ちした。
「ねえ、ゾディ」
「うん? なんじゃ」
「あの子、怖いわ」
シアが怖いと表現したのは、メイの抱えた闇の深さのことじゃろうな。その闇は内向きで、他人を侵すことはない。じゃが、それはいつかメイ自身を壊してしまうのではないか。シアの心配はもっともだった。
「そうじゃな。ただ、メイの心に寄り添うには多くの時間が要る。一朝一夕には解決せんよ」
「そうだよね」
「産休が明けたら、シアにも手伝ってもらわねばならん。よろしく頼むな」
「もちろんよ!」
出産、育児を控えて母性爆裂になっているシアは、最後までメイを案じながら地下に潜った。その直後から屋敷の火が消えた。そういうことじゃ。
◇ ◇ ◇
シアが産休に入ってすぐ。執務室で魔術書を読んでおったら、ソノーが請願文を手に部屋に入ってきた。
「ゾディさま、困ったことが」
メイのことだけでも頭が痛いのに、そういう時に限って厄介な依頼が入る。とことん困惑顔のソノーが執務室に持ち込んできたのは、確かにソノーが可否を判断するには難し過ぎる話であった。
「ふむ。兄弟、か」
血を分けた身内同士で、骨肉の争いになることは決して珍しくない。そして、私はそんなくだらぬことに魔術を関わらせるつもりはさらさらない。裁判でも決闘でも、好きにしてくれていい。茶番を見る気もせぬ。だが
弟のデレクの依頼は『決して兄の依頼を請けないように』。
兄のアレクの依頼は『決して弟の依頼を請けないように』。
そこには、全く同じ内容の牽制の言葉が並べられているだけで、なんら具体的な要請が入っていない。これでは、そもそも魔術をどのように使えばいいかも分からぬ。請けようがない。もちろんソノーはその場で、これでは請けられぬ
私とソノーは全く同じ内容の請願文を机の上に並べて、しばしうなっていた。
「うーむ。これはソノーでなくとも厄介じゃ」
「わたしにはさっぱり意味が」
二人して、腕組みしたまま窓外のメルカド山を見つめる。前代の竜の逝去に際し、私は竜鱗で深い渓谷を刻んでメルカド山を周囲の
戸口でがしゃんと甲冑の鳴る音がして、何事かと振り返る。
「おお、テオか。ここに自ら来るのは珍しいの」
「ゾディどの、お聞きになりましたか?」
「なにをじゃ」
「王が、ガタレの竜の討伐隊を組んでおるそうです」
「懲りぬやつよの。ただ竜に兵を食われるだけじゃというのに」
「それが真の目的ではないかと」
「ぬ!」
私は脳裏に閃くものを感じて、ソノーから受け取っていた二通の請願文を見直した。
「なるほど。そういうことじゃったのか」
◇ ◇ ◇
この国、ルグレス王国は、小国でありながら全くまとまりを欠いておる。なにしろ現国王テビエ三世は、暗愚な上に人望も統率力もない。辺境地方の中には無能な王に見切りをつけ、王国を離脱して独立を果たそうとする動きがあるやに聞く。それは、ここケッペリアもそうじゃ。
じゃが、王が怒りに任せて討伐隊を出せば、内乱に乗じた周辺国の軍事介入を呼びかねぬ。仕方なく、王はない頭をひねったのであろう。辺境の領地から乱を率いそうな屈強な若者を兵として徴集し、彼らを意味のない竜退治に向かわせて滅するつもりじゃな。それは公開処刑となんら変わらぬ。
実の娘であるメレディスやセレスすら政略の駒扱いしたのじゃ。情の薄さは親としても王としても下の下。その冷徹を貫いて国を強固にしておるならまだしも、いつまでも末等国のままではないか。情が薄い上に策が浅く、国を治める能力もない。箸にも棒にもかからぬ阿呆じゃ。その阿呆を諌める者が誰もおらぬというのも、とことん寂しいことじゃな。人材が枯れ切っておる。
のう、王よ。その王令を出せば、却って国が荒れることが分からぬか。死ねという命令を喜んで請ける馬鹿はどこにもおらぬ。それは乱に繋がる火種をあちこちにばらまくだけじゃ。
「仕方ないのう。私が請けるにはあまりに割りが悪いのじゃが、間違いなく妥当な請願じゃ」
「そうでございますか?」
皆目見当が付かぬらしいソノーが、謎解きに挑むが如くに二通の請願文を取っ替え引っ替え見比べる。それをテオがくすくす笑いながら見やっている。テオはとことん気性の荒いシアを苦手にしているが、天然のソノーはかわいくて仕方がないのであろう。そういうところから、心の
「さて。次にどちらかが来た時には、必ずもう片方も呼びつけてくれ」
「承知いたしました」
「ああ、その請願文は置いていってくれ」
「はい」
さっと控えたソノーが、それでもまだ首を傾げながら執務室を出た。
「ゾディどの、厄介な請願ですか?」
「真意が分かるまではな。お主の今の情報で全て見えた。見えれば請願の真意も、それをどうすれば良いかもすぐ導かれる」
二通の請願文をテオに手渡す。それをじっと見つめていたテオが、少し寂しそうにふっと微笑んだ。
「うらやましいです」
「そうじゃな。まさに
「ええ」
「
「はい」
「探さねば唯一つの宝は見つからぬ。そういうものじゃろう」
「御意」
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