(2)

 午後になって、私はシアの代役をどうするかでまた悩むことになった。ソノーはまだ体が小さい。いちに買い物に行かせるのは無理じゃ。テオは、残念ながら家事には一切理解がない。そこが騎士の融通の利かぬところじゃな。シアがあまりに有能な分、そこが欠けると屋敷の生活水準が極端に低下する。どうしたもんかの。

 シアには言うたが、素材があればどんな使い魔も作れるというわけではない。それぞれの使い魔に個性があり、その色が屋敷に噛み合わぬとどちらも不幸になるからのう。


「ううむ」

「ゾディさま、どうなさったんですか?」


 歌い疲れたのだろう。ソノーが、少ししゃがれた声を出した。


「いや、シアがそろそろ産休入りでな」

「ええっ?」


 ソノーがのけ反って驚いておる。


「だ、だって、お腹」

「ああ、シアは使い魔。本体はムカデじゃ。卵を産み、子供がかえればかいがいしくその世話をする」

「えええええっ?」


 絶句しておるな。


「子育て期間は三ヶ月ほどじゃが、その間に激しく消耗するゆえ、もう少し余裕を見ねばならん」

「知らなかった、です」


 今まで気付かぬとは、まっこと天然じゃのう。


「こんな国外れの寂れた屋敷に来ようなどというやつは、よほどの訳ありだけじゃ」

「う。わたしもそうかあ」

「はっはっは! まあ、私は執務以外の指図はせぬゆえ、過ごしやすいと思うが」

「はい!」

「問題は、シアの産休期間をどうしのぐかじゃ」

「あ、そうか。炊事とか洗濯とか」

「まあな。もちろん、魔術でちょいちょいと出来ぬこともない」


 ソノーが、こそっと私の顔をうかがう。なぜそうしないんだろうと思っておるな。


「私は、魔術なしで出来ることには極力魔術を使いたくないのじゃ。使い魔も、人でまかなえるのならば作りたくない」

「そうなんですか」

「シアは、元が何であってもシアじゃ。唯一無二。じゃから、信用して家の中のことを全て任せておる。あやつもそれによく応えてくれる。たまたまうまく行ったということ」

「ええ」

「そのたまたまを、これからは減らしていかぬとな」

「意外でした」

「はっはっは! 偉そうにああせいこうせいと人に言えるような、立派な生き方はしておらぬ。いつまで経っても半人前のままじゃな」


 私の自虐にどう答えていいのか分からなかったのだろう。ソノーがそっと顔を伏せた。


「ん? 誰か来たな」

「あ、わたしが出ます」

「頼む」


 重苦しい空気を嫌気したソノーが、ほっとしたように執務室から駆け出していった。


◇ ◇ ◇


「ただ……いま……戻り……まし……てん」


 私は、冗談抜きに頭が痛かった。一昨年買い物に行かせたきり戻ってこなかったハンスが、干からびたジャガイモとニンジンの入ったバスケットを引きずりながら、ようやく帰還したのだ。いかにナメクジがベースだと言っても、あまりにとろ過ぎる。牛歩どころの話ではない。二年もあれば世界を一周出来るぞ。まったく!


 そして。ただ遅いだけであれば、仕方ないで済むことだったんじゃが。


「ハンス。お主が連れているのは誰じゃ」


 そう、ハンスは粗末な身なりの女の子を連れていたのだ。十二、三歳くらいのひどくやせ細った少女。藁色の短い髪、そばかすの多い日焼けした顔、悲しげな緑色の瞳……容姿は整っていたが、手足にも顔にも無数の傷跡があった。その上、少女は一言も口を利かなかった。


「お……おでも……しら……ない。迷って……たら……こっち……だって……案内して……くでた」

「どこで迷った?」

「わから……ない」


 おいおいおい。私だけでなく、シアもソノーもテオもがっくり。ハンスに悪気はないんじゃろう。だが正当な理由なく少女を連れ去れば、それは事実上の誘拐になってしまう。


「ううむ。どうしたもんかの」

「近くの村で、この子のことを誰か知らないか探してみる?」

「そうじゃな。シア、頼めるか?」

「いいよー。買い物もあるし」


 行動の早いシアは、外出の支度を済ませるやいなや、私の用意した娘の絵姿を手にさっと屋敷を出て行った。


「うわ。さっすがシア姉さん。はやーい」

「あれだけ何でもきびきびとこなせるやつは、そうそうおらんのじゃ」

「ですよねー」

「それがしも探しましょうか?」


 女の子をじっと見ていたテオも、さっと腰を上げた。


「助かる。頼めるか?」

「御意」


 テオも軽装に着替え、すすで顔を汚してから屋敷をあとにした。私はハンスにかけていた術を解き、くたびれ果てた様子のナメクジを床下に放した。


「ご苦労であった。さて」


◇ ◇ ◇


 すぐに分かったこと。女の子は黙っているのではなく、口が利けなかったのだ。ハンスをきちんと道案内したのだから、精薄児ではないじゃろう。所謂いわゆるおしということになる。ただ、病気などで声が出せなくとも他の手段で人との交流を果たそうとするはずじゃが、女の子はそういう素振りをほとんど示さなかった。おそらく誰かに激しい虐待を受けて心が傷付き、話せなくなってしまったということなんじゃろう。

 ハンスは愚鈍だが、どこまでも正直で邪気がない。彼女は、ハンスにだけは心を開いたんじゃろうな。牛の歩みのリズム。その中でしか行き来出来ぬ心もある。そういうことか。


 私の読みは、戻ってきたシアとテオの報告から裏付けられた。この女の子は幼い頃に親から捨てられて長い間放浪を重ねていたらしく、行き着いた先々の村で瑣末さまつな雑用を引き受け、そのわずかな駄賃で糊口をしのいでいた。女の子の身の上を不憫に思う心優しい者たちがわずかにでもおったから、これまでなんとか生き延びてこれたんじゃろう。


「ねえ、ゾディ。どうすんの?」


 シアがずけずけと突っ込んでくる。


「仕方あるまい。屋敷での仕事はあるゆえ、シアの産休期間、家政婦として雇うことにしよう」


 ずっと俯いていた女の子が、ぱっと顔を上げた。居場所が確保出来てほっとしたんじゃろう。


「ただ、言葉が交わせぬのは不便ゆえ、ちと小細工をする」

「小細工ぅ?」

「普通は、依頼と報酬があって魔術を使う。じゃが、雇用は報酬の先受けじゃ。その分、私がこの子の依頼を何か請けぬと道理が通らぬ」

「まあた、そんな堅苦しいことをー」

「はっはっは! まあ、そんなもんじゃ」

「いいけどさ。で、どうすんの?」

歌鳥うたどりを。ロビンを呼ぶことにしよう」


 ぴゅいっ! 私が口笛を鳴らすと同時に、女の子の肩に青い小鳥が留まった。


「こやつは、お主の言いたいことを代弁してくれる。お主自身が口を利けるようになるまで、こやつと仲良くしてくれ」


 女の子が頷くと同時に、小鳥が軽やかにさえずった。


「ハイ」


 言葉を取り戻すことは、いずれ叶うだろう。じゃが、失った心を取り戻すためには時間がいる。焦らず、牛の歩みのようにゆっくりと。


 ……時間をかけぬとな。



【第四話 牛歩 了】


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