第四話 牛歩
(1)
里の各所で春祭りが行われ、屋敷の周りも浅緑と花で彩られて賑やかになった。
本来ならば厳しい冬と春の兆ししか知ることの出来ぬ早春の精、ニブラ。ソノーとなって初めて春爛漫に触れ、その華やかさと匂い立つ生命の息吹に包まれて、完全に舞い上がっておった。
「まあまあまあ、こんな世界があるんですねえ。もうもうもう、なんと言ったらいいんでしょう。るんるんるん」
だめじゃ。頭のネジが何本かすっ飛んでおる。屋敷の内外をスキップしながら走り回っているソノーを、シアが呆れ顔で見ていた。
「ねえ、ゾディ。あの子、大丈夫なの?」
「まあ、春というのはそういうもんじゃ。ソノーの年齢ならば、本来あれが当たり前じゃぞ」
「あ、そうかあ」
走り回るソノーを仕方ないという表情で眺めていたシアが、突然振り返った。
「ねえ、ゾディ」
「なんじゃ」
「あたしは、もう少しで産休に入る」
「おっ! そうじゃったな。三ヶ月くらいか?」
「そう。代役を早めに決めといてね」
「いかんいかん、すっかり忘れとった」
「見かけいいオトコでも、中身はやっぱりじじいなのね」
ったく。事実だから反論も出来んしのう。
「まあよい。問題は誰を使うか、じゃのう」
「リプリーは?」
「鼠……か。確かにちょろちょろとよく走り回ってこなしてくれる。適任ではあるが……」
「何か?」
「盗み食いがひどくての」
どてっ。シアがこける。
「ううー、手癖が悪いのね」
「己の食欲に忠実ということじゃな」
「ハンスは?」
「一昨年、買い物に行かせたんじゃが、まだ戻ってこん」
「はああ?」
目をぎょろっと剥いたシアが、窓の外を睨みつけた。
「そんな性格の悪いやつには見えなかったけどなあ」
「いや、あやつはまじめじゃ。ただ……」
「うん」
「とろ過ぎる」
シアが頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。
「ううー」
「元がナメクジでは致し方あるまい」
「ねえ、ゾディ。もう少し考えてから
「はっはっは! まあ、そういうのも私の訓練じゃからな」
「ええー? ゾディならなんでも出来るじゃないかー」
「そういう意味ではない」
「は?」
椅子を少し動かし、シアに向き直る。
「のう、シア。私が、なんでも魔術で解決出来るように見えるか?」
「見えるけど」
シアからの即答に、思わず苦笑する。
「だと楽なのじゃがな。そういうわけにはいかん」
「ええー? そうなの?」
「形を変える。物を動かし、集めて、散らす。魔術は、それを人の営みよりは少し大きくやれるというだけに過ぎん。たとえばな」
「うん」
「ガタレの竜を退治することは誰にも出来ん。この私にもな」
「そうなの?」
「そうじゃ。退治した者が次の竜になってしまうからな」
「うそお!」
シアが呆然と立ち尽くす。
「それでは退治する意味がなかろう?」
「そっか、確かにー」
「竜の脅威を減じ、動きを封じるには、
単純思考のシアにも、私の言いたいことはよく分かったんじゃろう。
「そうかあ。どうやってのところしか違わないんだー」
「そうじゃ。じゃから私は、依頼人が自分で出来るはずのものは請けん」
「ふうん。でも、それじゃほとんど請けられないんじゃないの?」
はっはっは。さすがシアじゃな。その通りだ。
「まあな。私の訓練は、全てそこじゃ」
「どゆこと?」
「物を動かすのは魔術で出来る。じゃが、魔術で心を動かすことは出来ん」
「ふうん」
「魔術で心を操ることは出来るぞ。それは魔術師でなく、人間も同じことをする」
「ううー、そっかあ」
「じゃが、それは私にとっての最大の
「ん」
シアが固く口を結んだ。
「私が依頼を請けられるかどうかは、全てそこに依存する。私自身にとっても益のある依頼以外は決して請けぬ」
ぴっ! シアを指差す。
「魔術で使い魔を仕立てることは造作無い。じゃが、使い魔の心までは支配出来ぬ。シアが大ムカデであっても、シアだから側に置いておる。お主がムカデだからではない」
にいっと笑ったシアが、ぐんと胸を張った。
「ありがと。あたしも働きがいがあって嬉しいわ」
「はっはっは! 子育てが済んだらまた来てくれい」
「そうね」
シアがさっと部屋を出て行った。その後ろ姿を見ながらしばし思案する。
いかにシアが強靭な精神を持っていても、ムカデはムカデじゃ。子育ての間は飲食を断ち、命がけで卵そして子女を守り続ける。攻めることが出来ず、守る一方になる。無事に……戻ってきて欲しいものじゃがな。
「ふう……」
訓練、修行というのは因果なものじゃ。初心者の立場であれば、訓練を積むほどどんどん実力が上がる。成果が分かりやすい。じゃが腕が上がれば上がるほど、その先に達するには気が遠くなるほどの研鑽を重ねねばならぬ。それは、まさに牛の歩みに等しい。そうまでして、いかほどのものが得られる? 魔術師としてまともであろうとすればするほど、己が窮屈になる。ほんに厄介じゃな……。
窓の外から、鈴を振るような美しい歌声が聞こえてきた。
「ふふふ。ソノーのやつ。とうとう歌い出したか」
春は楽しいことばかりではない。愁いもまた連れてきてしまう。まあ……少しは悩み事がないと呆けてしまうからな。私は椅子に深く座りなおし、机の上に肘をついてソノーの歌声に耳を傾けた。
「らーらららー、ららららー……」
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