(2)

 夕刻。屋敷の外で夕日を見ていたところに、メルカド山に出向いていたテオが全身汗まみれで戻ってきた。


「ぶふう」

「どうじゃ。少しは絞れたか?」

「まだまだでございます」

「ほう?」

「竜もすっかり老いました。そろそろ代替わりのようですね」

「なんと!」

「次代の竜と仕合えるかどうかは代替わりが済むまで分かりませぬゆえ、本日の仕合いが最後になるやも」

「そうか……」


 戸口でテオと立ち話をしていたところに、メルカド山の方角から黒衣の老人が足早に近づいてくるのを認めた。


「ぬ?」


 ものすごい瘴気しょうきじゃ。結界を張らねばならぬな。私はテオを急いで室内に押し込むと、屋敷をすっぽり覆うように方陣を張った。


 きいいいん!


「よう」

「竜か」

「そうじゃ。さすがにもうよぼよぼでの」

「私と同じじゃな」

「再生をかけたんじゃろ?」

「側だけはな。中身はじじいのままじゃ」

「はっはっは! お互い、難儀なもんじゃな」

「まあな」

「テオには告げたが、そろそろ代を替える」

「うむ」

「若い竜は血の気が多い。決して巣に近付かぬよう、お主から強く警告してくれ。何かあっても儂は一切責任を持てぬ」

「委細承知」


 竜が、じろじろと私を見回した。


「のう」

「なんじゃ」

「お主がここに居を構えてから、儂の巣はとても落ち着いた」

「ほう」

「お主も、本当に変なやつだな」

「褒め言葉として受け取っておく」

「テオとはさんざ仕合ったが、お主とは久しく仕合っておらぬゆえ、冥土の土産に手合わせを願いたい」

「いやなこった」


 私は、老人の目の前でぷらぷら手を振った。


「私は気に入った依頼しか請けぬし、無報酬では請けぬ」

「どのような依頼なら請ける?」

「私が妥当だと思うもの。お主の先ほどの理由は妥当ではない」

「ぬう」

「生あるものはついを逃れられぬ。それならば老い朽ちるのを是とせず、最後まで力を振り絞り、燃え尽きて往きたい。そういうことではないのか?」


 竜は……しばし黙したのちに少しだけ口角を上げた。


「ふっふっふ。さすがじゃな。生半なまなかなじじいではない」

「何を。私はただの偏屈じじいに過ぎぬよ」


 両手を広げて見せる。


「私に出来ることはほんの僅かで良いし、それで何もかも済ませたい。それが私の商売じゃからな」

「うむ。儂の願いはお主が推し量った通りじゃ。報酬は全ての竜鱗。それなら如何いかがか」


 私はしばし考えた後、請けることにした。


「承知。されど、巣の近くはお主の跡継ぎを刺激する。山の前庭でよいか?」

「真意は如何いかに」

「巣に近付こうとする馬鹿者どもを、前もって除くためよ」


 竜がにやっと笑った。


「お主も本当に変わっておるの」

「それが売りじゃからな」

「承知した」


 老人の姿がかき消えると同時に、私も宙を飛んでメルカド山の山麓に移動した。まだらに残雪に覆われた山の裾野で、竜と対峙する。


 雪が消えれば、覚悟のない者がまたぞろ山中をうろつき回ることじゃろう。じゃが、メルカド山は竜の山じゃ。本来人は立ち入れぬ。棄民に手を染めるような不埒な者は尚更じゃ。そういう輩が安易に足を踏み入れぬよう、これより先は道を狭めておかねばならぬ。


「行くぞ!」


 竜が化身を解き、禍々しい翼をいっぱいに広げて真っ直ぐ突っ込んできた。


「ふん!」


 びしいいん! 私が建てた分厚い氷壁にまともにぶつかった竜は、もんどり打って宙に弾け飛んだ。


「ぐわっ」

「のう、竜よ。魔術には白黒あると聞いておろう。しかしな、私の魔術には色がない。効くか効かぬか。それしかない」

「ぬう!」

「私は、誰のどのような依頼であっても納得すれば請ける。そして、請けた以上は必ず果たす。結果が白であっても黒であってもな。それだけじゃ」


 がああああっ!! 口から激しく炎を吹き上げ、全てを燃し尽くそうとして竜が首を振る。竜の周りに分厚い雷雲が湧き、ずしんずしんと落雷がひっきりなしに地を叩いた。それだけを見れば、誰も御すことの出来ぬ巨大な悪魔の姿だ。


 だが、竜は泣いていた。


 生きて命を繋ぐための営みは、人間であろうが竜であろうが変わらぬ。そして役を終えれば、いつかは生命を返さねばならぬ。生きている間に成し得たこと、成し得なかったこと。終焉の時にそれをつらつら思い出さねばならぬのは、まっこと辛いことよの。


 私の建てた氷壁を力任せに砕こうとして、竜が炎の塊となって突っ込んできた。私は、氷壁を立ち並ぶやいばに変えて迎え撃った。


 ぐしゃあっ!! 刃に切り裂かれた竜の体は粉々に砕け飛び、赤黒い血が溶け残っていた雪原を汚した。


「さ……すが……だな」


 もし竜が若ければ、肉塊はすぐに寄り集まって、元の竜形を取り戻したであろう。だが、飛び散った肉塊のほとんどは、おびただしい腐臭を放ちながら溶け、残雪の間に虚しく吸い込まれて行った。


「のう、竜よ」

「なん……じゃ」

「力比べはつまらぬ。何一つ残せぬからな」

「ぬ……」

「お主が親身にテオを鍛えてくれたことにあつく礼を申す。あやつは、なりは人間じゃが、心が竜じゃ。どちらかを捨てねば、いつか身が砕ける」

「う……む」

「あやつも、お主と仕合ってそれを悟ったであろうからな」


 辛うじて老人の姿をかたどった竜が、竜鱗をざらざらと私に手渡した。


「使い方は知っておろう」

「まあな。じゃが、ほとんどは今使う。残すのは一枚だけじゃ」

「今、使うじゃと? 何に?」

「メルカド山は竜の山じゃ。おそれを知らぬ不浄な者を入れてはならぬ。ここを断ち切る!」


 私は一枚を残して、残りの竜鱗を全て宙に放った。その一枚一枚が黒く巨大な剣と化し、大地に突き刺さってそこを勢いよく突き崩していく。岩が砕ける轟音が止んだ時には、どこが底か分からぬ深い峡谷で山が隔てられていた。


「おおお……」

「力とはな。このように真っ当に使うものじゃ」

「まっこと化け物じゃな」

「お主に言われたくないわ!」

「残る一枚はどうするのじゃ」

「テオに授ける」

「うむ」

「あやつは誰かを護ることに己を注ぎ込む。じゃが、あいつを護れるものはどこにもおらぬ。テオが竜であれば、それでいい。じゃが、あいつは人だ。誰かに護られねばならぬ」


 竜は、静かに笑った。


「なるほど。力はそうやって使うものか」

「じゃろう?」

「まあな。ならば儂もそうしよう」


 最後の竜鱗をじっと見下ろしていた竜が、ふっと顔を上げた。


「のう、ゾディアスよ」

「なんじゃ」

「お主は、人か? 竜か?」


 私は、高笑いでそれに答えた。


「はあっはっはっはあ! 私は魔術師じゃ。それ以上でもそれ以下でもない」

「なるほどな」


 竜は最後の力を振り絞るようにして私の掌上の竜鱗に触れ、その直後に実体を失った。


「多謝!」


 その一言を残して。


◇ ◇ ◇


 屋敷に戻り、結界を解いて中に入った。真っ青な顔で、ソノーがすっ飛んできた。


「ゾ、ゾディさま。先ほどのものすごい物音は?」


 シアも、戸の陰に半分隠れるようにしておそるおそる顔を出した。テオは落ち着いていたが、顔色は冴えない。


 まあな。いろいろな能力があっても、結局我々は羊の群れじゃ。いくら望んでも竜にはなれぬし、なる意味もない。


「大したことではない。メルカド山に住まうガタレの竜が代替わりした。それだけじゃ」



【第三話 羊群 了】

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