第三話 羊群

(1)

「やっと寒さが緩んできましたね」


 目を細めたソノーが、窓の向こうを期待混じりに見やった。


「そうじゃな。草萌えが進めば、シアの作る料理もこれからどんどん賑やかになってくるじゃろうて」

「うふふ。楽しみです」

「依頼の方はどうじゃ?」


 ぱらぱらとノオトをめくったソノーが、弱ったという表情で何度か首を横に振った。


「まだ……」

「諦めんのか。あの馬鹿者どもが」

「困ったものですね」

「依頼の理不尽さが分かるようなら、国政がもう少しマシになっておるじゃろう」

「ですよね」


 人を悪し様に言うことのないソノーでも、ここのところ足繁く通ってくる無礼な依頼人にはつくづく手を焼いているらしい。私が直接相手をすればおととい来いで終わるのじゃが、ソノーの客あしらいの訓練も兼ねておるからな。


 せっかくの春の風情を台無しにしたくないと思ったのか、ソノーがふっと話題を変えた。


「あの、ゾディさま」

「なんじゃ」

「テオさまはどちらかにお出かけされたのですか? 最近、日中お見かけしませんが」

「ああ。テオにとって、今は大事な季節でな」

「は?」

「騎士としてもっとも大切なことは、心技体をきちんと鍛えて整えることじゃ。冬の間はどうしても体を鍛える機会が減る。今は格好の訓練期間なのじゃ」

「そうなのですか」


 窓の向こう、まだ頂に厚く雪を被っているメルカド山を見やる。


「ソノーは、メルカド山の裾野にしかおらなんだろう?」

「わたしが如き弱いニンフは、決して山には上がれません。上の方はそこかしこ竜鱗だらけですし」

「はっはっは。そうじゃろうな。いただきの向こうには何があるか知っておるか?」

「竜が……ガタレの竜がいますよね?」

「そうじゃ。めったに居所きょしょから動かぬ竜と言っても、気性は極めて荒い。きゃつの影響圏に入れば、それが何者であっても餌食になる」


 ぶるぶるぶるっ。ソノーが縮み上がった。


「テオは、その竜を狩りに行っておる」

「うっそおおおおおおおっ?」


 滅多に大声を出さないソノーの絶叫。シアが、すわ一大事とばかりぶっ飛んできた。


「ちょっとっ! どうしたのっ?」


 真っ青になっているソノーを見て、さすがのシアも慌てた。


「はははっ! テオが竜狩りに行っとるという話をしただけじゃ」

「!!」


 どろん。さかさかさかさかっ! 人形ひとがたを保つ余裕もなくなったのか、部屋を飛び出た途端に大ムカデの姿に戻ったシアが、全速で離脱した。豪放磊落ごうほうらいらくなシアですら、ガタレの竜を心底怖がっている。もちろん里や町の住民たちは言うまでもない。メルカド山のいただきに近付くには命を捨てる覚悟が要るのだ。


「竜狩りって、そんなこと可能なんでしょうか?」

「出来ぬよ。テオは一介の人間に過ぎぬ。狩られることはあっても、狩ることは決して出来ぬ」

「ですよね」

「じゃが、ガタレの竜はあやつを、テオを認めている」

「ええっ?」


 絶句するソノー。


「ふふふ。すごいであろう? 世界広しと言えども、ガタレの竜と単騎で対等に渡り合えるのはあやつくらいじゃ」


 私は、窓の外のメルカド山を指差した。


「厳冬期はテオも竜も動けぬ。春を越すと竜は繁殖期に入る。たとえ豪腕テオでも、警戒して荒れ狂う竜をさばけなくなる」

「ううう、竜とやり合うなんて信じられないですぅ」

「まあな。このほんの一時のみ。テオにとっても竜にとっても、冬の間に錆びた体を研ぎ直すのにぴったりの相手がおるということじゃな」

「それにしても、なぜガタレの竜なんかと」

「あいつには、もうそれくらいしか実力の見合う相手がおらぬからじゃ」

「うわ」

「もし、あいつに野心があれば世界を手中に出来る。それほどの男よ」

「うーん、でもぉ」

「そのようなつよい気を一切感じぬであろう?」


 こくっ。ソノーが頷いた。


「そこがテオの比類なき良さであり、同時に限界でもある」


◇ ◇ ◇


 野暮な話は早めに済ませてしまわぬとな。腰の低いソノーの代わりに、私が無礼な客にさっさと引導を渡すことにする。執務室に木っ端役人どもを招き入れ、直接応対しよう。ソノーには記録を残してもらえばよい。


「お主らもしつこいの。何度ここに足を運んでも、請けられぬものは請けられぬ」

「そこをなんとか」

「だめじゃ。そもそもお主らは町役人などではなかろうが」


 ぎょっとしたように、陳情に来た男どもが後ずさった。


「メルカド山の奥に逃げ込んだ野盗どもがおるから、魔術で召喚せよだと? ガタレの竜の餌食にならずに戻ってこれた者が、これまでただの一人でもおったか?」

「そ、それは」

「王の気に入らぬ腐れ魔術師をガタレの竜にぶつけて互いに反目させ、同士討ちさせよう。大方そんなことじゃろうて」


 うろたえている連中に引導を渡す。


「よいか? 王が何をしでかそうが、私の知ったことではない。私は依頼を受けてしか動かぬゆえ、それ以外のことには一切興味はない」

「うう」

「王にはそのように伝えよ。それでも懲りずに余計な手出し口出しをしてくるようであれば」


 私は窓の外のメルカド山を指差して、にやりと笑った。


「ガタレの竜を、王宮にけしかけてやるからな」

「ひいいいっ!」


 木っ端役人どもが、脱兎のごとく屋敷を逃げ出していった。


「全く。阿呆どもに付ける薬はないな」

「あのー、ゾディさま」

「なんじゃ」

「ガタレの竜をけしかけるって、本当にそんなことが出来るのでしょうか?」

「出来るかどうかと問われれば、出来る」

「うわ」

「じゃが、それには何の意味もない」


 ほっとしたように、ソノーが小さな肩の力を抜いた。ノオトを閉じたソノーに椅子を勧めて、座らせる。


「国というのは、羊の群れじゃ」

「羊の群れ、ですか」

「そうじゃ。そこにおるものは、一頭一頭を取り出せばどれも羊に過ぎぬ。たとえそれが私であってもテオであっても、だ。所詮羊なのだ。じゃが、羊群を束ねる者が羊たちをどこかに導けば、それが国という形になる」

「なるほどー」

「国という入れ物が最初からあるわけではない。あくまでも羊が先にあり、羊たちを束ねられればそれが国になるというだけじゃ」

「ええ」

「束ねる者すら羊である以上、国は羊以上に強いものにはなりえぬ。それが狼や竜と化すことはない」

「うわ」


 ソノーが、驚いたように私の顔を見つめる。


「じゃがな。羊の長になった者は、時々とんちんかんな夢を見る。己が最早羊ではなく、狼や竜になれたような夢をな」

「夢、かあ」

「はははっ! 羊は永劫に羊じゃ。それ以外のものには決してなり得ぬ。身の程を知れい!」


 私が突如吐き出した毒に驚いて、ソノーが慌てて椅子から降りた。


「ゾディさま。これにて失礼いたします。御用があれば改めてお申し付けください」

「うむ。済まんな」


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