(2)

 すたすたと歩いてきた小さな騎士は、私の前まで来るとさっとひざまずいた。


「ゾディどの。無事、セレスさまを先方に送り届けてまいりました」

「大変ご苦労であった。道中、危険なことは起こらなかったか?」

「幸い天候にも恵まれ、主要道を昼間のみ辿りましたゆえ、心配していたようなことは何一つ」

「何よりじゃ。あとは向こうでの暮らし向きだけじゃな」


 跪いていたテオがすっくと立ち上がると、かぶっていた鉄兜を外し、それを脇に抱えた。


「セレスさまは、それがしが思っていたよりもずっと芯が強そうですね。向こうに着いた後、洗濯女せんたくめとして働くと申しておりました」

「おお!」


 ううむ、まさに身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、じゃな。最下層から始めることを受け入れさえすれば、あとは努力次第じゃからの。侍女のレナが、本当にしっかりしておるのじゃろう。実の母親以上に、娘をしつける姿勢になっておる。私の心配は杞憂に終わりそうじゃな。


「それより、ゾディどの」

「なんじゃ」

「その子は?」


 屈強の騎士が、幼女を見上げる。とても滑稽な光景のはずだが、テオにもソノーにも笑みはなかった。


「ソノーという。メルカド山で、口減らしのために捨てられ亡くなっていた幼い娘がおってな。その子の亡骸をニンフがずっと守っておったのじゃ」

「蘇生させたのですか?」

「私は神ではない。それは出来ぬよ。早春の精は、そもそもはかない。亡くなった子への想いを残したまま消滅させるのが不憫ふびんでな」

「なるほど。『寄せた』のですね」

「そうじゃ」


 テオは、淑女レディーに対して行うのと同じ丁寧な拝謁の構えをし、ソノーの前にすうっと跪いた。


「それがし、テオドール・フレデリクセンと申す若輩者。至りませぬが、どうぞお見知りおきくだされ」


 まさか自分が如き泡沫妖精に向かって騎士がかしずくとは思っていなかったらしいソノーは、思い切りうろたえた。


「あ、あのあのあの。わたしはそんな偉い者では」

「いえ、ゾディどののお眼鏡に適ったのであれば、貴女あなたの徳が極めて高いということ。もっと毅然きぜんとなさればよろしい」

「はっはっは! なあ、ソノー」

「は、はい」

「これが、テオじゃ。根っから騎士じゃろう?」


 ぽかんと口を開けて私とテオを見比べていたソノーが、静かに微笑んだ。


「さようでございますね」


◇ ◇ ◇


 夕食の時。シアとソノーの表情は好対照だった。


 シアは私に対しては容赦なく憎まれ口を叩くが、テオはシアを全く相手にしない。シア的にはそれがどうしてもおもしろくないらしい。お高く止まりやがって、と。まあ、それは仕方あるまい。テオは本当に『お高い』のだから。


 ソノーにとっては、自分を淑女レディーと見てくれる美男子が目の前におるわけじゃからな。のぼせて、ぽーっとしておる。もしソノーの肉体がシアと同じくらいの年恰好ならば、即日陥落であろうな。


 そして視線の交点におるテオは、目の前にある魚料理を凝視していた。


「ちょっと、テオ。あたしの料理になんか文句あるわけ?」


 すかさずシアが噛みつく。


「いや、料理はとてもおいしいですよ」

「あ、あら」


 思いがけない返事に、シアが口ごもった。


「ただ、魚の眼が」

「ふうん」


 シアが自分の皿の魚の眼をフォークでえぐり出し、無造作に転がした。


「眼の周りのお肉はぷるぷるしてておいしいけど、眼玉は食べらんないからなー、今度は出す前に取っとくわ」


 いや、テオが気にしておるのはそういうことではあるまい。


 慧眼けいがんという言葉があるが、テオにはその言葉を戴くにふさわしい素養がある。物事の虚実を見抜き、それを私情で曲げない。しかし一方で、ものが見えすぎてしまうと足がすくむ。居ながらにして全天を視認出来る魚眼を持つこと。それは……必ずしも良いことばかりではないのだ。広い視野を誇る良い眼があっても、それを生き方に活かさぬ限り意味がない。今のテオの魚眼は、死んだ魚の眼に過ぎぬ。


 此度の護衛。テオにとっては久しぶりの遠出じゃった。屈強の騎士でありながら屋敷を出たがらぬテオに、半ば強制するような形でセレスの護衛をさせた。新たな生き方を探るセレスの旅に付き添わせたことで、自分以外のものを見る視線に色が着き、他者の眼から自分を見る機会が得られれば。それが、テオの深手を癒すきっかけになると思ったのじゃ。


 眼があることと眼を使うこと。見えることと見ること。同じものが視野に入っても、その意味は全く異なる。その違いを理解するだけではなく、己の生き方に活かせればよいのじゃがな。


 私がテオを見ながらじっと考え込んでおったら、ソノーがテオにこそっと質問を投じた。


「あの、テオさま」

「なんでしょう?」

「いつ……大きくおなりに」

「わあっはっはっはっはあ!」


 思わず腹を抱えて笑ってしまった。


「のう、ソノー。テオの実体は今の姿じゃ。しかれど、超絶美男子が実物大のままうろうろすると、私にもテオにも何かと支障が多くてな」

「ひ、ひええ」


 目をまん丸にしたソノーが、テオをまじまじと見つめる。


「己を小さくして欲しい。それがテオから私への依頼じゃった。それはまっこと妥当であると判断したゆえ、請けて術を使っておる」

「あ、そうかあ。じゃあ、報酬はわたしと同じですね」

「そうじゃ。この屋敷、そして依頼人やその関係者の警護。それをテオから労務の形で払ってもらっておる」

「お体の大きさは自由に変えられるんですか?」


 テオが無表情に答えた。


「それがしは、それしか術を使えません」

「わ!」

「はっはっは! 本来魔術師でない者には術を教えられんのだが、テオにはどうしても必要じゃからな。ああそうじゃ、ソノー。お主にも、一つだけ術を覚えてもらう」

「どんな術でしょう?」


 ソノーがこくっと首を傾げた。


「お主は優しすぎる。自己犠牲があまりに過ぎると、せっかく永らえた生を無駄にする。自分の身は自分で守らねばならぬゆえ、透身とうしんの術を身に付けよ」

「うー。術ですか」

「そう。悪用も出来る術じゃ。お主以外には決して教えられぬな」


 ソノーがゆっくり頷いた。不満そうに私たちの話を聞いていたシアが真っ直ぐ突っ込んできた。


「ねえねえ、ゾディ。それってあたしも出来るの?」

「たわけえっ!」


 全力でどやす。


「おまえに透身の術を使われたら、みんな食われてしまうわっ!」



【第二話 魚眼 了】


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