第二話 魚眼
(1)
春は名のみ。荒れ狂う風の音だけが屋敷に容赦なく流れ込んでくる。これからひどく吹雪きそうじゃな。外套を二枚重ねてきっちり着込んでから、執務室にソノーを呼んだ。
「ゾディさま、何か御用でしょうか?」
「ああ、これからちと出かける。昼過ぎにテオが戻ってくるゆえ、丁重に出迎えてくれ」
「大事なお客様ですか?」
ソノーが賓客かどうかを確かめる。執事の立ち居振る舞いが板についてきたの。
「いや、この屋敷の同居人じゃよ」
「え? シア姉の他に、そうような方がおられましたか?」
「はっはっは! テオの
ソノーには、テオがどのような者かが想像付かないのだろう。革表紙のノオトを持ったまま、くるくると目を回しておった。そこに、いきなりシアが乱入した。
「ちょっと、ゾディ!」
「なんじゃ」
「ゾディは見かけイケメンの兄さんなんだから、そのじじい口調止めてっ!」
「しょうがなかろう。見かけはともあれ、中身はとんでもなくじじいじゃからの」
「ぐ……う」
「ちなみにソノーも、姿は幼女じゃが中身は立派なオトメじゃ。すぐにぶち切れるガキ頭のお主と一緒にするなよ」
「ぐ……ううー」
シアがみるみる怒りで真っ赤に茹だった。
「まあまあまあ」
ソノーがすかさず間に割って入る。
「お姉さまがとてもお優しいのは、わたしがよく存じております。心より敬愛しておりますゆえ、ここは」
私には容赦なく牙をむくシアも、とことん奉仕体質のソノーには弱い。
「ソノーだけよ。あたしをちゃんと認めてくれるのは。ううう」
そう言って、ソノーをぎゅっと抱きすくめた。口から牙が出ていなければ、美しい姉妹の光景なんじゃがな。上機嫌で執務室から出て行ったシアの背中を苦笑混じりで見送っていたソノーは、すいっと振り返ると再びノオトを開いた。
「まあ、よい。テオが戻れば久しぶりに住人が揃う。晩飯は賑やかに食おう」
「あの、ゾディさま。テオさまはどちらかに出向かれていたのですか?」
「南方の国まで貴人を警護してもらった。道行き何も連絡を寄越さなかったゆえ、無事に送り届けたんじゃろう」
「そうですか。とても腕の立つ方なんですね」
「槍、弓、剣、体術。どれを取っても特級品の偉丈夫じゃ。しかも抜きん出た美男子でな」
「美男子ですか」
「あやつがもし本気になったら、ほとんどの女が陥落するじゃろうて。はっはっは!」
「テオさまは、どなたにも本気にならないのですか?」
「あやつは女が苦手じゃ。いや、違うな。女だけでなく、人を苦手にしておる」
ソノーにはテオの
「まあ、会えば分かる。心身共に鍛えられたとても優れたやつじゃが、よくも悪くも騎士じゃな」
「騎士、ですか」
「そうじゃ」
私はテオではなく、テオを伴わせたこの国の王女の行く末を案じていた。父王が無理強いした政略結婚に絶望し、自ら命を絶つことで抗議しようとした王女セレス。私はセレスを
されど何から何まで侍従や侍女がやってくれる貴族が、その待遇を失っていきなり独り立ち出来るとはとても思えぬ。自由への渇望だけで渡って行けるほど、世の中は甘くない。どこへ行こうと、有力者の後ろ盾がない限り他国からの流れ者は
「ああ、そうじゃ。ソノー」
「なんでございましょう」
「お主は仕事が丁寧で、本当にしっかりしておる。じゃがな」
「はい」
「ちと、依頼人に甘過ぎる」
しゅんとなったソノーが顔を伏せた。
「私に依頼を持ち込む者は、確かに誰もが困っておる」
「はい」
「だが、そのほとんどは自力で解決しうるもの。他力本願な依頼は、しょうのない怠け者のすることじゃ。それは請けぬぞ。決してな」
「……はい」
「もちろん、私のことをよく知る者たちは、私の気性を重々承知しておる。じゃから、卑しい魂胆を何とか隠そうとし、あの手この手で言い逃れを図る。お主はその欺瞞を見抜けるようになって欲しい」
「ううう、とても難しゅうございます」
「はっはっは! まあ、すぐ出来るようになれとは言わぬ。じゃがな」
「はい」
ソノーの頭に右手を置いた。
「お主はいずれ成長し、人としての営みを全うするためにここを出る。出てすぐに悪人どもに食い物にされたのでは、亡くなった子の不幸の二の舞じゃ」
ぴくっ! ソノーが激しく身を震わせた。
「それがな。良いことばかりではないと言うた中身よ」
「……はい」
「お主の底なしの優しさは、必ずお主の幸せに繋がるであろう。ただし」
ソノーの頭をぽんと叩く。
「お主の優しさだけを搾取されなければ、な」
◇ ◇ ◇
厳冬期とはいえ、ここしばらく天候が落ち着いていたケッペリアだったが、午後から猛烈な吹雪になった。ニブラのおったメルカド山の雪原も、また真冬に逆戻りじゃろうな。私は全身雪まみれになりながら、外出先から屋敷に戻った。
「ふう。ここまでひどく荒れるとは思わなんだな」
「あの、ゾディさま。テオさまは大丈夫でしょうか?」
「ああ、まだ着いておらぬか」
ソノーが、心配そうに荒れ狂う戸外を見つめている。
「はっはっは! 当地は荒天が名物じゃからな。テオも当然心得ておる」
「テオさまは、お小さいんですよね?」
「そうじゃ。そうする意味もちゃんとある。そろそろ姿を表すじゃろう」
私が言い終わらないうちに、壁の鼠穴から、きっちり甲冑を着込んだ小さな小さな騎士がひょいと姿を現した。
「わっ!」
ソノーが驚いて、飛び退った。
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