(2)


 両手を腰に添え、改めて空を見上げる。


「のう、ニブラどの」

「はい」

「この子の魂はすでに身体からだを離れておる。朽ちてゆくだけの肉体を親に返したところで、それは彼らにとって塵芥じんかいと何ら変わらぬ。そのようにしか扱われぬ。お主の優しい心遣い。それが……もっと早くこの子か私に届いておればな」


 ニブラは、そっと顔を伏せた。力のないはかないニンフに出来ることは、ほんのわずか。それは私にもよく分かっている。


「それにな」

「はい」

「魔術師は神ではない。在るものを別の形にすることは出来ても、無いものをこしらえることは出来ん。この子に再びの生を与うることはあたわぬのじゃ」

「そうなのですか」

「ははは。魔術師はしょせん出来損ないの存在じゃからな」


 寂しそうに顔を背けながら、ニブラがわずかに微笑んだ。


「そしてな。私は商いとして魔術を使うておる。報酬なき依頼を請けることは出来ぬ」

「……ええ」

「じゃからの」

「はい」

「もし、ニブラどのがこの子のことを本当に不憫ふびんに思うのであれば、お主がこの子の分まで生きてみぬか?」

「は?」


 提案の真意がすぐに飲み込めなかったのじゃろう。怖じたニブラが少し後ずさった。


「先ほど言うたように、魔術は無から何かを作り出すことは出来ぬ。だが、それぞれの形を変えて合わせることは可能じゃ。そして、私は執事を募集しておる。その執務をもって、お主が支払うべき報酬に振り替えられる。どうじゃ」


 しばらくじっと考え込んでいたニブラが、ひっそり笑った。


「そういう……ことでございますか」

「もちろん、あくまでも提案に過ぎぬ」


 私は服を全て脱ぎ捨てて足元に放ると、両手を高く天に突き上げた。


「先に私自身の再生を済ませておくゆえ、その間にしばし考えられよ」


 ぬん!


 生命の扉が開き始めたこの時期にしか執り行えない、肉体再生の魔術。まじないを唱えて、雪原に漂っている早春の気を一点に集め、それを一気に体内に取り込んだ。


 ぱん! 早春の息吹がしわだらけの身体を薄茶けた粉塵とともに吹き飛ばし、そのあとには青年の身体に変わった私が。


「わ!」

「再生は滅多にやらんのじゃが、魔術には体力の必要なものもある。じじいの身体だとその点が不便での」


 全裸の私を見て少しく頬を赤らめたニブラがこそっと微笑み、提案を受諾した。


「この子の分まで、生を全ういたしとうございます」

「商談成立じゃな。請けた」


 私の足元にかしずいたニブラの頭に右手を乗せ、魔術を発動させる。転位は、私が久しぶりに全力を注ぎ込む大技だ。気合いが入る。


すいひょう! 全て同一なれどなりたがえる。割れて在る不全を今こそ整えよ! アグアス!」


 水琴を鳴らす小さな水滴。その一つ一つは、己の身を崩して音を為すことしか能わぬ。だが、水は全ての根源。寄り集まれば、岩を砕き、山をも飲み込むことが出来る。

 春を迎える前に消え去る定めの早春の精エフェメラル。じゃが、その優しい想いを決して無駄にはせぬ。水瓶は、お主の心でいっぱいに満たされた。今こそ生命の息吹となりて流れ出でよ!


 ニブラの姿、青白い炎、倒れ伏していた娘の遺体。一瞬のうちに小さな光点にこごり、それが寄り集まったかと思うと、美しい音色と共にぱあっと広がった。


 しゃあああああん……。

 響きが雪原に溶け落ち、静けさが戻る。私の足元には、先ほどのニブラと同じ姿勢で女の子がうずくまっていた。


「うまく移せたようじゃな。さて」


 私の声で背を叩かれたように立ち上がった女の子は、きょろきょろと辺りを見回した。


「丈が縮んだからな。しばらく視点が下がって不便じゃろうが、慣れてくれ」

「は……い」

「呼び名は、お主の方の名前でよいか?」


 女の子はしばらく思案していたが、こそっと微笑んだ。


「ゾディアスさまに、こうして新しい姿をちょうだいしました。名もそれに揃えとうございます」

「はっはっは! 確かにそうじゃな。お主の美しい声にちなんでソノーというのはどうじゃ」

「ありがとうございます。わたしには恐れ多いのですが」

「いやいや。生命をかこつというのは良いこと、楽しいことばかりではない。自らを輝かせるものが一つはないと身が保たぬからな」


 こくんとソノーが頷いた。いつまでも素っ裸だと寒くてかなわん。服を着直し、ソノーを促す。


「では、屋敷に戻ろう。お主には執事として、仕事を覚えてもらわねばならぬ」

「はい」

「それにの」

「ええ」

「屋敷には、一人しょうのないやつがおる」

「しょうのない、ですか?」

「そうじゃ。根はいいやつなんじゃが、ものすごく粗暴でな」

「う……」

「仲良くやってくれ。家の中の些事は、そいつ、シアが全部仕切るゆえ、ソノーは手を出さぬともよい。客扱いだけしっかりやってくれ」

「承知いたしました」


◇ ◇ ◇


「帰ったぞ」

「ちょっと、ゾディ! どこほっつき歩いてたの!」


 だから。それが主人にかける言葉か! たわけっ!


 私を全力でどやそうと思っていたらしいシアは、ドアを開けて私を見るなりどすんと腰を抜かした。


「ちょ、ちょっと! あんた、誰っ?」

「誰も彼もなかろう。私だ」

「げ」

「まあ、滅多にやらんのじゃが、時々は再生せぬと大きな術を使えなくなるからな」

「あ、あの。ゾ……ディ?」

「他に誰がおる?」

「後ろの子は?」

「ああ、ソノーという。メルカド山で行き倒れておった。親に捨てられたんじゃろう。すでにんでおったが、ニンフがその亡骸なきがらを身を挺して必死に庇っていたのじゃ」


 私の説明を聞き終わらぬうちに、シアの怒気が大爆発した。


「親はどこのろくでなしだあっ!」


 寝食を断ち、自らの生命を懸けて子供達を守り育てるムカデの母親。シアは、自分の実子を粗末に扱った鬼畜が絶対に許せないのであろう。怒り狂うシアの様子を見て、ソノーが納得したようにわずかに微笑んだ。


 な? いいやつじゃろう? 乱暴者じゃがな。


「この子自身を生き返らせることは出来ぬゆえ、この子を庇っておったニンフが代わりに中にいる。ソノーには執事をやってもらう」

「ふうん」


 じろじろと無遠慮に見下ろすシアに向かって、ソノーがぴょこりと頭を下げた。


「シアお姉さま。どうぞよろしくお願いいたします」

「まーあ、なんてかわいい声! 食べちゃいたい!」


 にいっと笑ったシアの口元に、二本の牙がにょきっと。


「よさんか! ごるああああっ!」



【第一話 水琴 了】

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