魔術師ゾディアス・リブレウスの言問い
水円 岳
シーズン1
第一話 水琴
(1)
人はなぜに魔術の行使を望む? それで全て叶うと思うてか。愚かしいことじゃ。叶えようとする意思さえあれば、魔術なぞ使わなくともほとんどの望みは叶うものを。
私のもとに持ち込まれる依頼のほとんどは、魔術の行使に値せぬ。自力で叶えられることには魔術を使わぬとはっきり宣言しておるのに、有象無象の依頼が引きも切らず押し寄せる。一々断るのがほんに煩わしい。辺境であれば少しはましになるかと、禍々しいガタレの竜が棲まうメルカド山麓のケッペリアに居を構えたが、依頼者の来訪が絶えることはなかったのう。使い魔との詫びしい暮らしであるはずが、身辺がいつもざわついておる。
夢の中でひとしきりぼやいておったら、もう一人の己が苦笑とともにそれを咎めた。
「煩わしいと言うのならば、お主はなぜに魔術士などという因業な商売を長々と続けておるのじゃ?」
◇ ◇ ◇
「ゾディ、朝メシだよーっ!」
使い魔のシアが、私の寝室に頭を突っ込んでいきなりでかい声を張り上げた。
「うーむ」
甲高いコールが容赦なく脳天に杭打ちされ、私の蜜のような眠りは一瞬で木っ端微塵になった。あいつは甲斐甲斐しく働くいいやつなんじゃが、とにかく態度と言葉遣いが全くなっておらん。主人を呼び捨てにするとは何事か。まあ、私がそのようにしつらえた使い魔だから仕方ないか。
寒い冬は、ぬくぬくのベッドの中でいつまでも惰眠をむさぼるのが最上の贅沢じゃ。さりとて、寝てばかりいてもつまらぬ。のっそり上体を起こしてガウンをベッドの上に放ると、大きな欠伸を何度も噛み潰す。
「ふわわわわ。暇じゃのう」
「ねえ。ゾディ」
「なんじゃ」
「暇なら、もっと客の注文受けたら?」
「正論じゃな。しかれど、魔術の安売りはご法度でのう」
「へー。魔術師にはそういう決まりがあるの?」
「別に。私がそう決めておるだけじゃ」
「めんどくさ」
「まあな。魔術なんぞ、使わんで済むならその方がよっぽどよい」
「あーあ」
寝室の戸口で腕組みしたまま、呆れたように私を見下ろすシア。まあ、あいつを支配している気質は母性じゃ。出来のいいやつより、役立たずの怠け者相手の方が世話焼きの血が騒ぐんじゃろう。
燃えるような赤い長髪。切れ長の目。男どもの
「すぐ降りる」
「ほいよ。メシが冷めないうちにさっさとおいで。いつまでもぐずぐずしてたら、尻に噛み付くからね」
これじゃよ、まったく。ぶつくさ文句を言いながら、ゆっくり商売用の服に着替える。
「やっぱり、使い魔をムカデから作ったのは失敗じゃったかのう」
◇ ◇ ◇
「うーむ、うまい! お主は本当に料理の腕がいいな」
「うへへ」
さっきはぐだぐだな私に怒り心頭だったシアだが、料理をほめられてすぐに機嫌を直した。こういうところが、下等生物で使い魔をこしらえる利点じゃな。気性が荒くて人前に出せんのが難じゃが。
「ゾディ。食べ終わったら、さっさと外に行っといで。掃除の邪魔だから」
「はいはい」
どっちが主人だか分かりゃせんな。まあ、いい。今日は、久しぶりに寒が緩んだ。メルカド山も、裾野原は少し雪が薄くなったじゃろう。薬草の新芽でも見てくることにしよう。シアにせき立てられるように戸口に押しやられた私は、外套を羽織って屋敷を出た。
「もし留守中に客が来たら、失礼のないようにな」
「あたしを誰だと思ってるの!」
「失礼の塊、シア」
美女の口から、やっとこのような二本の巨大な牙がにょっきり生えた。
「おい、シア。そいつのどこが失礼でないと?」
「う」
「客の前でそれをやったら、晩飯は貴様の唐揚げじゃからな」
「ご、ごめん」
まったく!
「出かける」
「行っといで」
「行ってらっしゃいませ、じゃろ」
「へえい」
「今日の晩飯はムカデの唐揚げじゃな」
ぴゅん! 旗色が悪いと思ったのか、シアがさっと屋敷の奥に引っ込んだ。
「ムカデに説教したところで始まらんの」
◇ ◇ ◇
「ほう、思ったより
ほんの少し前まで、どこもかしこも分厚い雪のケープの下に押し込まれていた広野原。その所々にぽつりぽつりと穴が空き、その小さな穴から黒い土の匂いがわずかに漂い始めていた。
本格的な雪解が始まるまでは、まだ二ヶ月近くある。それでも、垂れ込める鉛雲に押し潰されるような重苦しい冬の雰囲気が少しだけでも和らぐと、見る者には不安ではなく期待がもたらされる。
「穏やかな春になりそうじゃな」
薄く晴れ上がった空を見上げ、私は白い息をほっと吐き出した。
寒気が緩んでくると、ここや屋敷の近くに人が多く立ち入るようになる。まあ、賑やかになるのは一向に構わぬが、その分揉め事もいろいろ多くなる。面倒なことじゃ。
私がただの隠居じじいであれば騒がしい外界には絶対に触らぬのじゃが、幸か不幸か私は魔術を売りにしておる魔術師じゃ。ごたごたをなんとかしてくれと私に泣きついてくるやつが大勢おる。請けた頼まれごとは粛々とこなせるが、依頼の是非を決める作業がほんに煩わしい。されど、何もかも引き受けるというわけにはいかぬ。仕切りの出来る、有能な執事が欲しいのう。
「シアは家の中のことは万事そつなくこなすが、執事にはまるで向いておらんからの。もう一人、誰かこさえるとするか」
ぶつくさ言いながら穴だらけの雪原を歩き回っていたら、突然足元からか細い声が響いた。
「もし」
「ん?」
それは、人の声というより水音だった。雪解けの水がぽつりと跳ねて奏でる、小さいが濁りのない琴の
足を止めた私の前に、ふっと青白い炎が立った。
「どなたじゃな」
「ニブラと申します。魔術師のゾディアスさま、ですね」
「そうじゃが。何用かな」
声と青白い炎。それが目前ですうっと癒合すると、か細い肢体の女性と化して私の足元に
「お願いがございます」
「願い、ですかな」
「はい」
ニブラが、背後をすうっと振り返った。私もつられてそちらに目を遣った。ニブラの視線の先に、五、六歳くらいの痩せ衰えた女の子が倒れていた。その子はすでに事切れていた。
「冬の間、ずっと雪にさらわれぬよう守ってきたのですが、わたしの時はもう
思わず天を仰ぐ。
メルカド山は、いわゆる
「ふう」
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