人と冥府:5
夕日の赤い輝きが消えた頃にノックもされず扉が開かれる、廊下にあるランプの逆光に照らされ静かにハデスが佇んでいた。
暗い部屋にベッドの上で身じろき一つせず横になっていたイオスと目が合い、彼は少し肩を降ろす。
「イオス……何をやってるのかね?」
「待ってた。」
「キミという奴は――まぁいい、明かりをちゃんと点けたまえ。」
確かに部屋の中は薄暗くなっており夜の気配があった、ハデスが指を鳴らすと部屋に備え付けられているランタンの火がひとりでに灯る。
きっちりと扉を閉じてハデスはイオスの向かい側のベッドへと座った、イオスもようやく身を起こしベッドの上に同じように座る。この部屋にもう少し広さがあれば机と椅子を入れる事ができただろうがそれは叶わない、寝て起きるスペースがあるだけマシだろう。
起き上がっても特に目眩も起こらない、血は失ったがまだ動けるようだ。
「おや、その服は?」
「レグルスが無理矢理渡してきた。」
「まぁ血が酷かったからな、後で礼を言わねばならない。」
イオスの騎士団服にようやく気付いたハデスの顔はいつもの柔和な表情だが、やはり何か違和感を感じる。
「さて、報告だ。グレイス殿が怪我人を診てくれたお陰で被害は最小で済んだ、壊れた家屋はどうにもならなかったがな。」
「ああ。」
「過去にも集団で襲ってきた事はあったが砦の中まで被害が出た事はなかったそうだ。あの蛇型の死霊が岩で砦を破壊した跡が見つかった、他の死霊もやけに連携が取れてて守りが固く手こずったそうだ。」
なるほどと納得する、骨達の連携は巨大な猪を中心に取れていた。イオスを吹き飛ばしタイミング良く追撃をしてきた蛇、意思疎通を取ってなければできない行動だろう。あの黒の玉が通信媒体も兼ねている可能性もあるが、はたして獣にその知能はあるのだろうか。群れて行動する獣ならばその可能性があるが、狼以外の存在の連携も気になる所だ。
そもそも騎士団に引けを取らない行動には違和感を覚える。
ハデスが顎に手を当て目を伏せる、考える時の癖なのだろうか。
「それから黒い玉だがこれも変わらず一体に一個、どれも同じだったよ。レオ殿の指揮のお陰で砦の中はそんなにも混乱してない、良い兵達だ。」
「ああ。」
「グレイス殿の話していた少女の捜索だが明日になった。襲撃されたばかりだからな、仕方あるまい。」
肩をすくめ窓の外を見つめる、日はすっかり落ちて星が瞬き始めていた。遠い目で窓を見るハデスに少し首を傾げた。
「行かないのか?」
「……良いのか?キミは少し休んだ方が。」
「問題ない。依頼の障害は取り除く。」
「うむ、そうか。『狂った聖女』とやらの被害が強くなっていく一方のようだからな。」
困ったように笑顔を作るハデス、何をそんなに気にしているのだろうか。
ふと思い出して部屋の中を見回してみた、相変わらず不思議な力が働いて清涼な空気で、静かだ。そんな様子にハデスが気付き今度はそっちが首を傾げた。
「どうかしたか?」
「レグルス、此処を避けていた。」
「避けてた? おかしいな、音避けしか展開していないのだが……。」
しばらく考え込んだが答えを出せなかったようですぐに腕を組む。
「いや、まさかな……。」
「心当たりがあるのか?」
「推測の域だ、確信を持てたら言おう。それからお客樣のようだ、あと五歩で扉の前に来る、我が出ようか?」
「ああ。」
イオスの返事の後にすぐノック音が聞こえた、足早にハデスが扉に向かい開けると栗色の髪が飛び込んでくる。早々と開けられた扉に驚いているようでグレイスが大きな目を見開いていた、慌てて軽く頭を下げて挨拶をする。
グレイスの長い栗色の髪がその動きに合わせて揺れ動いた。
「突然尋ねた無礼をお詫びします。重ねて無礼な発言を、どうか私の力になっていただけないでしょうか。」
「……とりあえず、人の居ない場所で話を聞こう。イオス、それで良いね?」
「構わない。」
グレイスが静かに頷くと宿舎の外へと踵を返す、その後をハデスがすぐに付いて行った。
装備はまったく外してない、腰のベルトの剣を確認しハデスの後を追った。宿舎の受付にはレグルスが戻っておらずとても静かだ、外に出れば宿舎からそんなに離れていない樹の下に二人は居るのが見えた。物見櫓からはかろうじて見えない位置、ハデスが軽く手招きをしていた。
近寄れば沈痛な面持ちのグレイスがまた会釈をする。
「では、詳しく聞かせてもらえますか?」
「……女の子の捜索が明日になったのはご存知ですか? あんな小さな子が夜の森に
一人だなんて危険過ぎます。しかし、私一人では探す範囲は限られてきます。どうか私と一緒にあの女の子を探していただけないでしょうか。」
簡潔に話すとグレイスはまた深々と頭を下げた。
「……何故我々に?」
「レオ様はお忙しそうですし、何より騎士団で決定された事ですから……。他に頼れるのがお二人だけなのです。」
ふむと小さく呟きイオスの方へ目線を移してくる、返事を求めているのだろう、軽く頷くとハデスがにっこりと柔和な表情を浮かべた。
「良いでしょう。我々も内緒で抜け出そうと思っていたところです。」
「あ、ありがとうございます!」
「さて、善は急げと言う。早速移動するかね?」
ハデスの問いに返事をすれば移動し始めた、砦の外側の壁で木の影に隠れている場所にたどり着くと指を鳴らす。すると黒いモヤが砦の壁に現れて人が通れる大きさに膨み真っ暗な空洞が開いた、揺らめきもしない黒い闇は光を通していない。
「さて、コレを通れば廃村の近くに出れる。しかし、どうしても五秒ぐらい歩かなくてはいけなくてね、その間息をしてはならないし後も振り返っては駄目だ。守っていただけるかな?」
グレイスがハデスの出したこの異様な黒いモヤに少し青い顔をしている、何か感じるものがあるのだろう。
イオスにはただの空洞が開いたようにしか見えないのだが、念のため先に歩み出て顔だけ中を覗き込んでみた、黒いモヤの中は同じく真っ暗で離れた場所に一箇所だけ光っている場所が見えた。そこまで遠くはなく、形もこの空洞と同じように見える。
モヤから顔を出してグレイスに振り返った。
「中は特に問題ない。先に行くぞ。」
「……あ、はい。」
イオスの臆していない様子に少し戸惑った様子も見せつつもグレイスが頷く、こちらに歩いてくるのを見届け先に中に入った。
中は先程と変わらず光が一箇所だけ見えている状態だ、ハデスに言われた通り息を止めその光に向かって歩き出した。
地面も空も真っ暗で自分の身体すらも見えない、何かを踏みしめている感触はあるが靴音も一切しない。もしコレが光のない場所であればあっという間に迷ってしまうだろう、もしくは闇に溶けてしまうのかもしれない。
そんな事を考えながら歩けば光の場所はすぐにたどり着いた、光を潜れば森の中へと出る。木々の生い茂る森の向こうに朝に調べに来た廃村が月明かりの中に不気味に鎮座していた。
背中に衝撃があり目線を移せばグレイスが背中にぶつかっていた、出入り口で立ち止まっていたせいだろう。
両手で口を覆ったままイオスを見上げている、数歩前に出て黒いモヤから離れると両手を降ろしてグレイスが一息ついた、続いてハデスも何事もなかったかのように出てくる。
「ちゃんと出てこられて何より。お二人共、真面目で助かった。」
「何なんですか、さっきの通路は。恐ろしい気配があちこちに……。」
「我が使っている転送魔法なんですが、他の人間を通すとなると色々と面倒な事をしなければならないんですよ。」
「か、変わった魔法をお持ちなのですね。」
グレイスが少し顔を引きつらせながら笑いを作っている、事情を知らないのならこんな反応になるのだろうか。そういえばハデスが何者かもまだ聞いていなかった事を思い出す、この依頼が終わったあとにでも質問しよう。
廃村に再度意識を集中させても風と草の音しかしない、相変わらず小さな動物のかすかな物音すら聞こえなかった。
しばらくすると辺りが少し明るくなる、原因の元を見るとハデスが小さい光源を作っている姿があった。
光源が出来た事で周囲が見やすくなり遠くの闇が濃くなる。
「さて、この村を手分けして探そうか。イオス、こっちへ。」
ハデスの近くに来ると空中に浮いている光源が三つに分かれそれぞれの近くに漂い始めた、自分の周り物がはっきりと見えるくらいに明かりが確保される。
「これで良いだろう。何かあれば呼んでくれ。」
「ありがとうございます!」
グレイスがお礼を言って足早に廃村の方へ探しに行く、イオスも念のために全ての家屋を回る事にした。
「あ、イオス。」
「なんだ?」
「油断はするなよ。」
ハデスの忠告に素直に頷き廃村へと進む、ハデスはその場から動かず腕を組んだままであった。
廃村は朝に来た時と何も変わらず崩れそうな家屋ばかりが並んでいる、埃も崩れた跡もそのままで自分達の後に訪れた者の痕跡もない。そう、床に積み上げられた土埃や草は自分が踏みしめた跡しかないのだ。
村を隈なく探しても何かが襲ってくる気配もない、夜ならば死霊の独壇場だが一向に現れる様子もなく静かだ。ハデスもそれを不審に思っているのかもしれない、別れる時に穏やかな目つきが少しばかり鋭くなっていたのは気のせいではないだろう。
どのくらい時間が経っただろうか、月が傾き始めた頃にグレイスが草を掻き分けてこちらへ向かってくるのが見えた。
長く白いシスター服には泥があちこち付いており相当歩き回ったのだろう、足をもつらせながら近付いてくる。イオスの近くまで来ると息を切らせながら奥の方を指差して立ち止まる、苦しいのか若干前かがみになっていた。
「あ、あのっ。……向こうに、怪しい、ところが。」
「落ち着け、息を整えろ。」
「はい――……あの、向こうに洞窟がありまして、かなり深そうです。」
「見てみよう。」
息を整えたグレイスの案内でその洞窟へ向かう事にする。
足場が悪い森の中を掻き分けて進んでいく、洞窟から流れている空気のせいか近付くにつれて周りの気温が下がっていくのが感じられた。前を歩いているグレイスも白い息を吐き出している。
廃村の奥の更に奥、森を抜けた先の山の岩肌に面した場所にその暗く大きな穴がぽっかりと口のように開けていた。
風はその洞窟に吸い込まれるように流れていき冬のように寒い、まるで息をしているかのようだ。
「私はこの先を見てこようと思います。」
「……装備も整えてないぞ。」
「ええ、貴方は外で待っていてもらうだけで構いません。私だけで行きます。」
青い顔をしているがグレイスの決意は本物のようで一人で洞窟を進むつもりなのだろう、いつもならこのままグレイスの言うとおりに1人で行かせる所だが、この聖女の事件を解決するのならばどんな小さな情報も揃えなければならない。
「俺も行く。その方が手間も省ける。」
「まぁ、助かります。イオス様でしたね、貴方に神のご加護がありますように。」
心底嬉しそうに微笑みグレイスが胸の前で手を組み、祈られた。
廃村では何も手がかりを見つけられなかった、ならばこの洞窟に情報がある可能性はある。
「あいつも呼ぶ。少し待って……。」
「近くに来ましたよ。」
背後に気配を感じさせず呼びに行こうとしたハデスが佇んでいた、いつの間にとツッコミを入れたい所だが神格ならなんでも有りなんだろう。無反応のイオスに反してグレイスは身体が飛び上がるほど驚いているのが見えた。
「失礼、驚かせてしまいました。こちらに移動しているのが見えたので追いかけて来ましたよ。」
柔和ないつもの笑顔を浮かべ一礼する、ついでに呼びに行く時間も省けた。
「ハリーさんは気配を感じさせないのがお上手なのですね。」
「よく言われます。」
冗談交じりの笑顔にグレイスも釣られて引きつった笑いを浮かべていた。
ふと、ハデスの背後の森の中で何かが動いた気がした。あまり顔を動かさないように目を凝らして見回してみるが、暗い森が広がるだけで何も居る様子がない。
「では、行きましょう。」
イオスの様子に気付くことなくグレイスとハデスが先に洞窟の中へと進んでいた、気にはなるが今はこちらを優先せなばならない。
洞窟に入る前にもう一度背後に何も居ない事を確認し、二人の後を追った。
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