人と冥府:4

会話の隙間に小さなうめき声が耳に届く、次いで布の擦れる音と木の軋む音が響いたく。三人が同時にベッドの方を振り返ると廃村で保護した女性が上体を起こしている所だった。

女性はこちらの姿に気がつくと戸惑ったように身を強張らせた、顔をしかめて明らかに警戒している。

レオが女性に対し穏やかに向き直り一礼する。

「よかった、お目覚めになられましたね。私はこの砦の隊長でレオ・ハーシヴァルと申します。」

「…………。」

「とある場所を調査している時に貴女を発見したのです。ご気分はいかがですか?」

(切り替え早いですね~、慣れてらっしゃる。)

女性はレオの丁寧な対応にまだ眉を寄せてはいるが少し警戒を解いたようだ、栗色の髪を手で梳かし身なりを整えてベッドの縁に座り直していた。緑色の瞳が辺りを見回しゆるゆると息を吐き出し、そしてレオの方を真っ直ぐと見つめ返す。

「大丈夫です、ご迷惑をお掛けしたようですね。私は聖堂都から来ましたグレイスと申します、各地を巡礼している最中でした。」

「グレイスさん。……なぜ、あんな廃村にいらっしゃったんですか?」

レオがそのまま柔和な雰囲気を漂わせて尋ねる、するとグレイスと名乗った女性はその質問にみるみる顔色を変えていった。

「そう、歩いていたら女の子が襲われてて助けて……私の近くに居ませんでしたか!?」

「女の子?……いえ、私は見てませんが。」

レオが振り返ってこちらを見てくる、もちろんそんな人物は見ていいないし足音も気配も感じなかった。そもそもあんなに静かだった廃村だ、何かが動く音があればすぐに反応できる。

ハデスの方も肩を竦めて意思を表していた。

「どうしましょう、あんな危険な森に一人だなんて。」

「襲われてた……死霊でしょうか?」

「はい、骸骨のような幽鬼です。すいません、あの子を探しに行ってもよろしいでしょうか! この辺りは物騒ですし、早く保護してあげないと!」

「えっ、ちょっと!?」

グレイスは青白い顔で今にも飛び出して行きそうだ、レオが止めようとすると音もなくイオスが女性の前に歩み進んだ。足音も気配もなく隣を通ったイオスに対しレオの頬を冷たい汗が流れる。

ハデスも隣から消えているイオスに多少の驚きがあったようだ。

「落ち着け、特徴を教えろ。俺達が探す。」

「えっ? え……?」

「今から探しに行けば夜まで掛かる。さっさと教えろ。」

音もなく近くに来た無表情の男にグレイスは開いた口が塞がっていない。

ため息を付いて無愛想なイオスの代わりに説明するためハデスが立ち上がろうとするとその動きがぴたりと止まる、すぐに出入り口の方へ顔を向け険しい表情を浮かべた。

「イオス!」

ハデスの余裕のない言葉と同時に地面が揺れ元診療所の扉が粉々に吹き飛んだ、土埃と木屑が舞い上がり後ろの方で何かが盛大な破壊音を立てる。見れば机に大きな岩が伸し掛かっていた、机は重みに耐え切れず潰れて木の残骸と化してしまっている。

ハデスの言葉に素早く反応しベッドから床に下ろしたグレイスが呆然としている、本人は何が起こったか理解できてないのだろう。

ベッドの影から扉があった場所を覗き込むと遠くまで見晴らしが利く大穴が空いていた。中に攻めてこない所をみると遠くから投げられたものなのだろう、剣を引き抜きながらハデスの方を確認する。

あちらも無事のようだ、木屑と土埃が舞っている先に岩を避けた姿を確認できた、レオの咳き込む姿も見える。

「何が起きたんですか?」

「分からん……悲鳴が聞こえる。ここに隠れてろ。」

グレイスの絞り出した声が頷きに変わった、イオスがベッドを乗り越え壁伝いに穴の方へ近付く。

外が近付くに連れて何かが破壊される音と悲鳴が大きくなっていった、大穴から全体を見渡すと砦の入り口の方から土埃と煙が上がっている、どうやら襲われている事は間違いないようだ。

「戦況は!?」

「入り口の方から煙が上がっている。」

咳き込みながらレオが出入り口までやってくる、無傷な所をみるとハデスがちゃんと守ってくれたようだ。

「私は指揮を取ります! 二人はその方をお願いします!」

状況を把握したレオが猛スピードで煙の方へ走っていく、すぐにその姿は見えなくなってしまった。その姿を見送っていると背後からハデスが肩を叩いてくる、グレイスの方は恐る恐るベッドから顔を出していた。

「彼女は我が見ています。イオスはレオ殿の手伝いを、あの死霊だ。」

「分かった。」

静かに返事すると剣はそのままにレオの進んでいった方向へと走る、全力で走っているのにイオスの足音はせず土が少し舞うばかりだ。

前方から避難してきたであろう旅人や商人の姿を視界に捉えその走る勢いのまま木へと跳躍し屋根の上を走った、高い場所に移動した所でようやく遠くで起きている異変の目の当たりにする。

巨大な牙を携えた大型の猪、狼のようなものは数が多い、小さな人型の角の生えたモノはゴブリンだろうか、どれも骨の状態で赤く禍々しい目を光らせていた。砦の入り口は壊されて折れた丸太があちこちに散乱していた、兵士は半分がその死霊の足止めを半分が避難誘導をしている。

ハデスのようにどの部分に黒い石があるか分からないが、おそらく分厚い頭蓋骨の中だろう。

双剣の片方を逆手に持ち直し屋根伝いに素早く近付いていく、暴れている猪の動きを見定め屋根から速さを落とさず一直線に跳躍した。

矢のように跳ぶその姿を猪は視線の端の捉えたのかこちらを向いた、合わせて跳躍した身体を空中で捻らせ片方の牙を斬り抜けた。鋭利で硬そうな牙は冷たい金属の残像に驚くほど簡単に切断され音を立てて地面へと落ちる、着地したその猪の額に続けざまに深々とその双剣を貫き押し通した。

兵士達も横合いからきた加勢の早業に槍と盾を構えたまま微動だにできる物は一人も居ない。

猪の動きが止まり仕留めたと誰もが考えたその時、空気を揺らすほどの咆哮と共に猪が片方の牙を地面に突き刺し抉り上げた。

地面は塊のまま空中に浮かび猪自身にめがけて落下する、イオスが避けようと剣を引き抜いた瞬間に猪が大きく横へと頭を振りかぶった、どうやら黒い石に届いてなかったようだ。

支えるものがなくなったイオスの身体は簡単に宙に投げ出されてしまう。

間髪いれず砦の外から来た素早い存在に身体を噛みつかれ腹に激痛が走った、そのまま遠心力も加わり砦の壁が凹むほど叩きつけられ地面に倒れ伏した。

全身の骨が悲鳴を上げ意識を失いそうになるのをなんとか持ち堪える、すぐに視線を巡らせ敵を見据えた。

相手それは巨大な蛇の骨であった、目は赤く今までものと同じ死霊だと分かる。蛇の牙には赤い液体が付着しておりそれが自分の血であることは明確であった、見た目は蛇だが毒はないらしく腹に穴が空いただけのようだ。

大きく口を開けて追撃してくる蛇を壁を蹴って避ける、蛇はその壁に大きな音を立てて激突する。しかしダメージを感じさせず頭をこちらに向け更に襲い掛かってこようとしていた、生前と同じように滑り進んでくる骨に立ち上がる時間は無いと判断し横へ転がりながら相手の動きに合わせて下顎に剣を立てる。

剣は思惑通りに下顎を少し切り飛ばし弧を描いて地面へ落ちた。

それでも勢いは衰えず頭をイオスへと向き直り再度襲いかかってくる。

「こっちだ!!」

立ち上がろうと腕に力を込めた瞬間に横から大声と共に何かが突っ込んできた、それは見事に声に注意が反れた蛇の頭蓋骨に当たり砦の壁に派手な音を立ててぶつかる。

今のはかなり効いたようで蛇の動きが鈍くなった、その隙に立ち上がり体勢を立て直す。

突っ込んできたものは宿屋にいた茶髪の青年だった、槍を片手に飛び蹴りをしてきたらしい。綺麗に着地しイオスの元へとやってくる。

「お、お客さん大丈夫ですか! 怪我、怪我してます!!」

「このくらいなら動ける。」

「何言ってるんですか、血が凄いですよ!?」

動揺している間の抜けた茶髪の青年の声に反応し怯んでいた蛇の鎌首が持ち上がる、双眸はこちらを向いて爛々と輝いていた。

先程の飛び蹴りのお陰か頭蓋骨にヒビが出来ているのが見えた。

チャンスとばかり予備動作無しで走り相手が動く前にそのヒビの部分に双刃を叩き込んだ、脆くなった骨は粉々になり崩れ落ちる、その奥には紫の炎を纏った黒い玉が浮いているのが見えた。

止める暇もなく走ったイオスに茶髪の青年が慌てふためいていた。

「ちょっ! ダメですって無理して動いちゃ!」

剣を振るうより早く蛇が暴れ始める、長い身体があちこちにぶつかり木々をなぎ倒していった、振り落とされないようしがみつくのが精一杯で黒い玉に攻撃することができない。

「うわわ、どうしよう。」

茶髪の青年も間一髪で蛇の攻撃を避けていて援護できそうもなさそうだ。

背後に壁が迫ってきているのが見えた、どうやら自分を押し潰すつもりらしい。

壁に衝突する寸前で手を離すと頭はそのまま壁に激突し轟音を響かせる、壁に激突したことで動きがほんの少し止まった。

数秒だけだがそれで十分である。

イオスの目の前には頭蓋骨を支える頚椎がある、落下する力に合わせて双剣を振り下ろせば元々くっついていなかったように滑らかに頭蓋骨と離れ離れになった。

重い頭はそのまま地面に落ち土を巻き上げた、身体を失った頭は口を開閉させる事しかできない。頭を失った体、背骨も意思を失ったかのように地面へと崩れ落ちた。

再生する気配がない所をみると黒い玉はこの巨大な骨を動かすだけの代物らしい、そして頭と切り離せば身体は動かせなくなるようだ。

動けなくなった頭蓋骨から黒い玉を取り出し剣を凪ぐ、綺麗に二つに割れると紫の炎が霧散し空気に溶けていった。

「おお、お見事! じゃなくて怪我、誘導しますから安全な所に……。」

「もう一体、大型が居る。」

「それは僕達、騎士団がやりますから。レオ様に任せてください!」

背中を押しながらなんとか誘導しようとしている、腹からは止めどなく血が流れているがイオスの表情は相変わらず動かない。

向こうでは大型の猪を中心に小型の骨が陣形を組んでいるのが見え、その周りを騎士団が包囲していた。騎士団の後方でレオが指揮をとっているのが確認できる。

骨達は砦の壁で争っていたこちら側には見向きもしていなかった、奇襲をかけるならいい状況だ。

「……手伝う。」

「えぇぇぇ!? だからダメですって!!」

怪我をしているにも構わず進もうとするイオス、茶髪の青年が進ませないようにイオスの腕を引っ張るが力はこちらの方が上のようでそのまま引きずられ二本の線を地面に作っていった。レオもその押し問答に気がついたようで顔色を変えていた。

騎士団の槍や剣は当たっているものの骨の切断には至っていない、骨が硬過ぎるのか刃が弾かれ難儀しているようだ。イオスが剣を持ち直そうとするとレオの後から誰かが走ってくるのが見えた、白い服に見慣れた黒い貴族服。レオも気がついたようで止めにはいる、何かを話していたが流石に声はここまで届かない。

静止するのを振りきって白いシスター服の女性が前に出る、グレイスだ。

彼女が腕を振ると光り輝く手のひらサイズの長方形が空中に浮かび上がる、紙のように見えるそれは何枚も浮かび上がってグレイスの前に綺麗に整列した。もう一度腕を降れば整然と並んでいた長方形は地面と並行になり目にも留まらぬ早さで骨に降り注いでいく、長方形に触れた骨はその部分が光になって消えた。

突然の加勢に驚いたのか骨の陣形が崩れ始める、だが大猪だけはその巨体を貫かれながらもグレイスの方へ突進していった。

だが、攻撃が届く前に前足が長方形に当たり消え失せ大きな身体と牙が地面をえぐりながら倒れた、すぐに長方形が取り囲み光の柱を作る、大猪はなすすべなくその光に溶けていった、大猪は苦しそうな咆哮を上げながら黒い玉を残し完全に消滅する。

聖職者が使える霊術なのだろう、死霊には有効のようだ。

残りの小さな骨達も指揮官の猪を失って次々と統率された騎士団の手で黒い玉を壊されていく、決着が付いた。

逃げ惑う残党は騎士団に任せてハデスの方へと向かう、茶髪の青年も心配しながら後ろに一緒に付いてきた。

「イオス、ありがとうございました!」

「蛇の骨があっちに転がってる、後始末を頼めるか?」

「分かりました、人を回します。グレイス殿も助力を感謝します!」

「いえ、聖職者として当然ですわ。怪我人も診ましょう。」

騎士団の方も不意打ちだったようでかなりの被害が出ていた、怪我をした兵士を別の兵士が助け出している。ある者は岩の下敷きに、ある者は鋭い牙にやられ呻いていた、しかし混乱した様子はなく皆役割を分かっており迅速に動いている。

グレイスがレオに案内され怪我をした兵士の元へと駆けていく、それを見送って近くの木へ寄りかかった。

「イオス、どうした?」

「……あ、あの怪我をされてて。」

「何っ!?」

ハデスが慌てて近寄ってくる、それを制してボロボロの服を広げた。蛇に噛まれた腹から血が流れ出て黒い服に染み込んでいる、前回刺された傷よりは小さいが応急手当はしておいた方が良いだろう。

眉一つ動かさないイオスに何か言いたそうなハデスが眉を寄せて口を結んだ、やがて小さなため息をつくと怪我の部分に手をかざす、少しぼんやりとした光が灯ると怪我の痛みが引いていった。

ほんの数秒で手が離され怪我をした部分は跡形もなく消えて綺麗になっている。

「回復術、魔術師の方だったんですね。」

「服は直せないぞ、そんな術はない。」

「助かった。ありがとう。」

礼を言えばなぜか頭を軽く叩かれる、首を傾げればハデスが苦笑した。

穴が空いた部分は適当に縫えばなんとかなる、血も乾けば黒い服ならば目立たないだろう。

「さて、そこの……えーと。」

「あ、自分はレグルスであります!」

「レグルス殿、イオスを休ませて来てもらえないか? 怪我は治っても血は戻らんのでな、頼めるか?」

「了解です、お任せください!」

レグルスと名乗った兵士がいきいきとイオスに肩を貸す、血液は少し失ったが動けない程ではないのだが――。肩越しにハデスを見るといつもの変わらない柔和な表情を浮かべてこちらを見送っている、どことなく違和感を覚えたがそのまま宿屋の方へと向かった。

レグルスは見た目通りお喋りなようで道中に聞いてないような事を色々と話してくれた、まぁほとんどが関係ない事ばかりなのだが。

「少し待っててください!」

宿屋に戻り受付横の椅子に座らされるとレグルスが奥に消えて行った、何かあったのかと考えればすぐに戻ってくる。その手に服を何着も持っている。

「サイズが分からないので全部持ってってください。」

「別にいい。」

「何言ってるんですか!そんなボロボロで血だらけの服のままにしておけませんよ!」

「いや、別に……・。」

「騎士団服の予備ですから動きやすいですよ!」

こちらの言い分を聞いてくれない、笑顔のレグルスに呆れながらもまたその肩を貸してもらい部屋へと向かった。

部屋の扉を開ければ出てきた時と変わらない光景が広がる、少し間をおいてイオスをベッドの場所まで連れて行ってくれた。服をその横に置いてそして騎士団の敬礼をビシっと決めた。

「それでは、僕はレオ様のお手伝いに戻ります! 失礼します!」

そう言い残して踵を返し足早に出て行った。

普通の人間だったなら気付かなかったかもしれない、この部屋に入る時にレグルスが少し身を強張らせた事を。

部屋に置いた荷物は解いておらず荒らされた様子もない、しいて言うならハデスが何かした程度だがアレは話し声を外に漏らさない為のものではなかったのか。

とりあえず服を脱いだ、元の黒い服は蛇の牙の形に綺麗に穴が開いていた。乾ききっていない血の臭いが漂ってきて部屋の中に充満する、壁につかないように突起している木の棒に掛けておいた。噛まれた腹の状態を確認しても傷は無く跡も見当たらない、魔法というのは便利なものだ。それ以前の傷跡はもちろん消えていない、色が薄くなっている傷跡は背にも腕にもあちこちに残っている。

半裸のまま時間が経ち少し肌寒くなってきた、強引に持ってきた服を見てみる。黒い長袖のアンダーに暗い赤色の詰め襟のベスト、ご丁寧に革製の手袋まで用意してある。サイズの合うものを選んで着替える、余った服は横の棚の方へとずらしておいた。

流石は騎士の服、腕を回しても動きに違和感はなかった。

扉の方向を向きながらベッドに横になる、そのままハデスの帰りを待つ事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る