人と冥府:3
門の開ける音で目が覚める。
木で作られた門は軋み音を響かせながらゆっくりと上がっていく、日は少し昇っていて薄暗く夜明け前だと分かった。完全に開けてない目で上体を起こせば足音がこちらに近づいて来るのが聞こえる、条件反射に剣で斬りつければ刃がピタリと止められた。
力の限り押そうが引こうがビクともしない。
もう一本の剣を引き抜こうと手に掛けた時、慌てた声が返ってくる。
「待て待て、起きろイオス。我だ、ハデスだ。」
「…………ん。」
「起きてない頭でとりあえず攻撃するのは危ないぞ。ほら、目を覚ませ。」
「…………んー。」
「朝が弱いのは玉に瑕だな、ヒュプノスかねキミは。とりあえず剣を引っ込めてくれないか?」
ようやく寝ぼけた頭がはっきりしてくる、目を徐々に開ければ指2本で白刃取りをしているハデスと目が合った。ゆるゆると剣を鞘に収めると安堵のため息が聞こえる、方向転換してベッドから降りようとするとハデスが手を差し伸べてきた。
「さて、まずは何処に行く?」
「……外、昨日の所。」
「よし分かった。その前に――。」
ハデスの手を取ろうとした瞬間に指先に痛みが走る、驚き手を見たが怪我も見当たらなかった。
「少し荒いが目は冷めたかね?」
「あぁ、ありがとう。」
「しかしキミは何に対しても反応が希薄だな。」
ハデスはとうに身支度を整えている、そのままで寝た服のシワを伸ばし部屋を後にした。受付には誰もおらず砦の住人も寝静まっていて自分たちの足音しか聞こえない。見張りの兵士が何人かすれ違うがこちらに対して気にも止めてないようだ。
砦の外に出れば薄暗い街道が広がっている、夜明け前とあって人影がない。
「明かりを出そうか?」
「夜目は利く。」
「分かった、昼間の場所には歩いて行くのかね?」
「こっちを見ているなら手の内は晒さない方が良いだろう。」
「うむ、それもそうだな。」
少しがっかりとしたハデスがイオスの前を歩いて行く、余程犬好きなのだろう。しかし、あんなに巨大な犬が現れては色々と大変だ、主に説明が。
足早に道を進めばすぐに昨日の場所に到着した。
骨はそのまま残っている、邪魔にならないように街道からは動かされており草むらの上に転がっていた。近付いて骨を調べるが昨日のような紫の炎は見当たらない、隅々まで見ればおかしな所をいくつか見つけた。
まず、鋭かった牙や爪が艶を失って普通の骨になっている、それどころか何年も前から雨風に晒されていたかのように風化してボロボロだ、昨日は真っ白の骨だったのに変色して今にも崩れそうになっている。
そして、骨の下に生えていた草はどれも枯れていた。
次に森の中に入り怪しい人物が居たと思われる場所を調べてみた、草が踏みしめられ倒されていた。足跡ははっきりしないがかなり小さい。
「人間の女……歩幅が広くて強い、若い。幽霊じゃない。」
「ほう、追跡魔法か何かかね?」
「魔法じゃない経験だ、基本はゴードンから教わった。ここからはその黒い石の出番。」
「はいはい、神使いが荒いな。」
ハデスが懐から黒い石を取り出して何かを唱える、それは人の言葉ではなく上手く聞き取れなかった。黒い石に影が纏わりつくと徐々に形を変えていく、翼を形成するとゆっくりと羽ばたき始めた。人の歩く速度にあわせて森の奥へと進んでいく、足跡も同じ方向に進んでいるという事は件の聖女なのかもしれない。
整備されていない草も泥も剥き出しの荒れた道を足跡と黒い石を追って進んでいく、イオスは山慣れしているので問題ないがハデスはよろよろと危ない足取りだ。
「大丈夫か?」
「久しくこんな荒れ地を歩いてなくてね、しばらくすれば思い出すさ。それより前を見たまえ、村が見えてきたぞ。」
言われた通り前に向き直れば木々が開けた場所に屋根のようなものが見え始めた。
藁で出来た家の屋根は所々崩れ去っており、木も腐り折れている。窓も扉も朽ち落ちて草むらの一部になっており、井戸は蔓が絡みついており水が枯れていた。
人が居なくなって長い年月が過ぎたのだろう、地面には膝ぐらいまで草が伸び風に揺らいでいる。
この廃村まで来て足跡が消えていた。
翼の生えた黒い石はその廃村の奥へと進み苔の生えた石碑の前で止まった。石碑は装飾が豪華に作ってあるが文字の部分が崩れて読めない、意図的に削った痕跡は見当たらず風化で崩れたのだろう。
「ここが件の廃村か、彷徨っている者は居ないな。」
「黒い石はここに来た。」
「うーむ……この石碑が犯人?には見えない、この石碑からは何も力を感じられないしな~。戻っていいよ。」
旋回していた翼が霧散して黒い石が地に落ちる、ソレをハデスが胸ポケットにしまった。
イオスがその石碑の回りを丁寧に調べるが隠し扉もスイッチなどの怪しい部分も無い、更には動物が行動している痕跡も見つけられなかった。生き物のいない廃村、騒ぐのは草の音だけで鳥の声もしない。
森の薄暗さが更に不気味さを演出し目に写った。
「……死霊は居ないのに、変だな。」
「何かないか探す。」
「何か……とは?」
「書物、石碑、手紙とか『聖女』の痕跡だ。」
「人手はあった方がいいかな?」
少しウキウキしたようにハデスが訪ねてくる、余程仲間を紹介したいのだろう。
「小さい村で二人でも大丈夫だが――……そろそろ出てきたらどうだ?」
壊れかけた家屋に目をやると人影のような物が隠れる、すかさずハデスが腕を降れば水色の糸がその人影を引きずり出しその身を明かりに晒した。軽装でフード付きのマントを被っているが金髪にアイスブルーの目、レオだ。
「おや、レオさんでしたか。」
「……ど、どうも。」
「心配しなくても仕事はする。」
「い、いえ疑っているとか見張っている訳ではなくて! 私も何かお役に立てないかと。」
慌てて首を振って否定している、砦では威厳たっぷりだったのが嘘みたいに歳相応の反応だ。
目線の隅にハデスの胸を撫で下ろしてる姿が見えた。
「砦の方はいいのか?」
「はい、二人に任せてきました。問題が起きればすぐに駆け付けられますので大丈夫です。」
「隊長が居なくても大丈夫とは……。」
「私よりあの二人の方が実戦経験は豊富ですし、指示は出してありますので。」
「そうか。じゃあ手伝え、話は聞こえてただろう。」
「は、はい!」
背を正し廃村の家屋の中へ入っていく、軽装なのもあるが一見して砦の隊長をやっているとは思えないだろう。
「イオス……レオにかなり甘いですね~キミは。」
「?……そうか?人手は多い方が早い。」
ハデスとは他の家屋を調べるために別れる、手前の廃屋から調べる事にし入り口を開けた。
長年の放置のせいで扉は開けた途端に崩れ去り埃が宙を舞う、家具が朽ちて散乱しており食器だっただろう物も割れていた、あちこちに蜘蛛の巣が張っていて薄暗くジメジメしている。棚には本がいくつか鎮座しておりひとつひとつ調べていく、放置され雨風に晒されていたため状態は良いとは言えない、読める文字だけを解読すると日記や教典、野草の図鑑のようなものまであった。
教典には所々に聖女の文字がある、繋げてみればレオの話していた話と同じ事が書かれているだけだった。
家屋も広い所を見ると村長の家だったのだろうか、奥の部屋へ行くと寝室だった。
特に目ぼしい物がなく机とベッドだったものの残骸があるだけだ、歩いて調べている内に一箇所だけ違和感が足元から伝わる。床を叩けば空洞音が響いた、よく調べれば少し隙間があり指を入れる事ができそうだ、床板を持ち上げてみれば地下へ続く暗い通路がぽっかりと現れた。木で作られた階段も備え付けてあり人が乗っても壊れなさそうだ、ゆっくりとその階段に一歩足を掛けてみた。
一方、違う家屋を調べていたハデスとレオは女神像らしき彫像を見つけていた。らしきと言ったのは人型に見えるが完璧に掘られてない未完成の石像だったからである。
「紙の物はありませんでしたね。そちらにもこの石像がありましたか。」
「ええコレだけです。レオさん、お聞きしたい事があるのですが…ここら辺の石像はこんな造形なんですか?未完成に見えますが。」
「そんな事は……美術工芸品は完成しているものばかりですし。例の聖女を模しているとか?」
「推測の領域ですね、聞けば手っ取り早いんですが…。」
残りの家も似たような石像が置いてあり紙媒体のものは風化してしまったのか一切見当たらなかった。生活レベルはどの家も同じだったようで特筆して目立った所は見当たらなかった。
「百年前の石像だけが収穫ですか。あとはイオスの方だけですが……。」
「私が見てきましょうか?」
「いえ、一緒に行きましょう。」
イオスの入って行った家屋に近付けば何やら埃が充満し外にまで流れていた、中を覗き込めば更に酷く視界が悪い。その埃と土煙が充満した奥からイオスが下から這い上がってくるのが辛うじて見えた、その背には何かが乗っている。
「イオス!? 何をやってるのだ、早くこっちに来なさい。」
「……ちょうど良かった、手伝ってくれ。」
どうやら出入り口が狭いのか難儀しているようだ、地下室から持ち上げるのを手伝い埃の無い外に連れ出す。
イオスの服には埃の他に木くずが大量に付着しており黒い服が白くなってしまっていた、背負っているものを草むらに横たえた後にハデスが見かねてイオスの服の埃を払ってあげた。
レオがその背負われていたものを険しい顔で凝視している。
「女性? この方、聖職者に見えるのですが。」
「白いシスター服に十字のネックレス……酷似はしている。」
「い、生きているのですか?」
「息はしている、怪我もない。話は聞けるだろう。それから本、教典がそこの家にあった。」
イオスの背負っていたものは女性だった、少し汚れているが聖職者が着ている法衣で真っ白な布に金糸で控えめな装飾が施されている、長い鳶色の髪はよく手入れされているのかサラサラで草むらの上に広がっていた。メガネの奥にある目は固く閉じられており動く気配はない。
意識を失っているが顔色は良くレオが駆け寄って脈を確かめる、ちゃんと動いていたのかほっとする表情がすぐに表れた。
「それで、その女性はどうしましょうか?」
「このままにはしておけませんよ!」
「……得体の知れない人間を砦に入れてもいいのか?」
「わ、私が全ての責任を持ちます! 騎士として見捨てるわけにはいきません!」
普段より凛とした力強さでレオが声を上げる、ハデスとイオスは一瞬呆気にとられ首を傾げた。
レオの瞳も譲らないといった強さを宿しており2人をまっすぐに見つめていた。
「……なら連れて行く、依頼者はお前だ。調べ物も砦でやる、いいか?」
「はい! ありがとうございます!」
「何故礼を言う、変な奴だ。ハデ……ハリー、この女を運んでくれ、俺とレオは本を運ぶ。」
「ええ構いませんよ。」
いつの間に用意していたのか、イオスは懐から荒縄を取り出し関連のありそうな本を素早くまとめていく。あまりの手慣れた動きにレオが今度は呆気にとられていた。ハデスは女性を軽々と持ち上げ衝撃があまり伝わらないように正面で横抱きにする。
本をまとめる作業も数分で終わり二つ分の荷物になる、劣化の激しい物が多く案外少なくなった。
「動かせるものはこのくらいですね……あとは崩れてしまいます。」
「充分だ、戻ろう。」
利き腕の反対側で本を持つ、そうしてまた草に覆われた荒れた道を降り街道を目指した。
下り道で足場が悪いのにイオスとハデスはすいすいと進んで行く、レオも鍛えているのだがソレ以上に二人が早いのだ、その後をレオが付いて行くのがやっとだった。
街道に再び戻ってきたのは一番日が高くなった時間だ、涼しかった森の中とは違いじりじりと太陽が照りつけて陽炎が揺らめいている。
特に妨害もなく砦へと到着する。
「では、奥の方に使われてない小屋がありますのでそこに。」
「分かりました。」
昼間とあって人通りの多い砦の中心を通らず隊舎の奥にある小屋の前に到着する、使われていないと言ったが埃などなく綺麗にされていた。ベッドがいくつも並べられ、棚と机があり元診療所という感じだ。
ベッドの一つに女性を横たえるとレオは空気の入れ替えのためか窓を開けていた。
女性は未だに身じろぎせずに眠り続けている。
「医者……居ないのか?」
「先日亡くなりまして。都の方に要請はしているんですが、未だに……。」
少し声を落としてレオが言う、拳を握っているのが背中の隙間から見える、余程悔しい思いをしているのだろう。
「あ、戻ってきた事を報告してきます。お二人はここで休んでてください。」
振り向いて見せた顔はいつも通りの好青年で憂いた雰囲気は感じさせない、笑顔を向けると一礼して小屋の外へ出て行った。取り残されたイオスは近くの机に持ち帰ってきた本を置く、ハデスも適当に椅子に座り小声で話した。
「で、どうだ?」
「普通の人間だ変わった所もない、不自然にな。……どうする? 無理にでも起こすかね?」
「別に良いだろう、本読むぞ。」
置いた本の縄を解きパラパラと捲り始める、ハデスは軽くため息をつくと続いて本を調べ始めた。
本は日記も混じっており日々の出来事や行事などが書かれていた、何気ない日常を感じさせるモノもあり平和だった事が分かる。
いつからか魔物と呼ばれる巨大な獣が村に出るようになり何人も犠牲者が出た、紫で斑模様に蠢く体に大きな肉食獣の牙、赤い目は夜でも光輝き恐怖をばらまいたと言う。村人はなけなしのお金を集め聖堂都に助けを求め霊力の高い1人の女性が村にやってくる。女性は苦戦しながらも魔物を倒し、その遺体を清めるために何処かに埋めたようだ。だが、その女性は…。
「お待たせしました! 食堂のおかみさんからミートパイを頂きましたよ! 美味しいんですよ、これ。」
元気な声と共に扉が開け放たれ良い匂いが流れ込んでくる、顔を上げた二人に片手にバケットを携えた笑顔のレオと目が合った。バケットから取り出されたのは焼き立てのミートパイ、熱々と分かる湯気に混じって食欲をそそるような香りが小屋の中に充満する。
「ほう、これは美味しそうだ。休憩がてらいただきますかイオス。」
「あ、本を調べられていたんですね。何か解りましたか?」
「大体は話の通りだ。目新しい情報はない。」
いつも通り無表情のイオスは机の上に並べられたミートパイを無造作に放り込んでいく、確かに焼き立てでぱりぱりの生地、中に挟んである肉は良い塩味が付いており噛む度に旨さが口の中に広がる、美味しいのだが無反応だ。
「お口に合わなかったでしょうか。」
「いや、美味しい。」
「すいません、何やっても顔に出ないんですよ。確かに美味しいですね、家庭的な味が素晴らしい。」
黙々と食べるイオスの代わりにハデスが笑顔で受け答えをする、レオも笑顔でミートパイを食べはじめた。口調は敬語だがこうしている動作を見ていると年相応である、威厳のかけらもない。
「美味しそうに食べますね、レオさん。」
「あ、すいません。旅人の方にこんな姿をお見せして。」
「いえいえ、なんだか我々にお会いした時から嬉しそうな顔をしてらっしゃるので。」
ハデスの言葉に思わずレオがむせる、何か図星をつかれたらしい。
数分間の咳込むと顔を真っ赤にして笑顔のままのハデスへと向けた。
「そう……見えますか?」
「ええ、顔に出てますよ。」
「わぁぁぁこれは恥ずかしい所を……、いえ、実際かなり嬉しかったんです。」
レオが少し目を伏せる、その表情は少し寂しそうに見えた。
「私の歳ぐらいだと本当は騎士見習いのはずなのに隊長を任されて。貴族だから同い年の友達もほとんど居なくて……少し浮かれていただけです。」
「無理矢理隊長を? なぜそんな状態に?」
「まぁコレは家の問題もありまして――とにかく、旅しているお二人に羨ましさと嬉しさでこうなってた訳で……。」
しどろもどろになっているレオの言葉尻がしぼむ、こっちが素のレオなのだろう。
「敬語は無くていいぞ。」
黙々と食べていたイオスが突然話す、二切れ目のミートパイを口に運んでいる最中のようだった。表情にまったく出していないがミートパイを結構気に入ったらしい。
その言葉にレオが驚いた表情を浮かべていた。
「え、いや、しかし。」
「イオスもこう言ってますし、兵士達が居ない所であれば敬語無しで良いのでは?歳の近いイオスの話し相手になってやってください。」
「……ありがとう。」
ございますと続けそうになるのを堪えて笑顔を浮かべた。
立場や家柄に関係なく笑えた時間だった。
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