人と冥府編

人と冥府:1

女の子が木を避け草をかき分け逃げている、息は切れ足はもつれ今にも転びそうだ。

それでもなんとか走り続けられているのは恐怖に対する拒絶の為だ。

背後を見れば相手がこちらの何倍もの速さで追ってくるのが見える。骸骨のように見えるそれは輪郭がはっきりしていない、骨の周りを闇が纏っていてその細い腕をこちらに向けて追ってくる。

足場が悪くても浮いているモノには関係ない。

宛もなく薄暗い森の中を彷徨い続け体力が現界に達しとうとう女の子は膝をついてしまった、音もなくやってくる幽鬼に覚悟を決め目を閉じ震える自分の身体を抱きしめる。震える指は冷たく真っ白になっており、逃げる時にあちこち傷つけ擦り剥け血が滲んでいた。

背後に声無き声が近付いてくる、奴らに殺されたら奴らの仲間になってしまうのだろうか。

「そのまま顔を上げないでください!」

どこからか凛とした女性の声が木霊する、言われた通りにそのまま地面に伏せていると瞼を閉じても分かるくらい周囲が光りに包まれた。

この世のものとは思えない金切り声が辺りに響き直ぐに静かになる。

草の分ける音がこちらへ近づいてきて恐怖に身体を強張らせ震えるのを抑えることができなかった。

「もう大丈夫です、怖かったでしょう? 立てますか?」

目を開ければそこには真っ白なシスター服を着込んだ女性が立っており、手を差し伸べている。救世主に見えたその女性の手を取り安堵の涙を流し続けた。












のどかと言えるほど争いのない海沿いの街、宿屋の木窓を開ければ潮風が部屋の中に満ちる。

真っ白な家々が立ち並ぶ街は太陽を反射して明るく、遠くではカモメが鳴いている。

まだ寝ぼけている頭を叱咤しラフなシャツとズボンを着込んで階下へ降りた、食堂が一階にあり泊まった客や街の人々が食事をするために利用できる。食堂は海が近いこともあって魚料理が中心だ、捕れるものによってメニューが変わるのは亭主の気まぐれだろう、今日のおすすめを見れば先日たまたま通りすがり仕留めた大猪がメニューに加わっていた。朝飯なのでその肉を使ったシチューにしておく、しばらくすると温かい皿にシチューと固いパンがすぐに目の前に並べられた。

食堂は人気らしく人が多い、その朝の賑わいの中でいつもの無表情のまま朝食を食べる。

しばらくすると老人が小走りで近付き大きめの瓶を目の前の机にどんと置いた、かなりの重さがあるのか少しシチューに波ができた。

「イオス! 残りの金を集めてきたぞい!」

「……あれだけで良いと言った。」

「そうもいかん! 畑を荒らしまくった大猪を倒してくれた恩人にアレだけの謝礼じゃあ示しがつかん、受け取ってくれ!」

頭を深々と机に着きそうなぐらい下げる。この老人はこの街に長年住んでおりまとめ役やご意見番として人徳のある人物だ、町長とはまた別で年の功として信頼がある。歳相応のシワだらけの顔、鼻の下のヒゲは左右に分かれていた。

ここの村に来る少し前、あてもなく街道を行く道すがら、身の丈が何倍も大きい猪が突如襲い掛かってきたのだ。しかし、身体が大きいだけの猪に苦戦をするはずもなく切り伏せる。それをこの港街に持っていくと街を上げて感謝されたのだ。お陰で宿にありつけたのはありがたかったが。

ちなみにイオスと呼ばれたのはそう名乗っているからだ、イオリティスだと長くて咄嗟の時に呼びにくいというハデスの提案によるものである。

「……分かった、受け取る。ありがとう。」

「こっちがお礼を言わなければならんわい。」

パンをちぎりシチューに浸す。

「そういえば、あの大猪はかなり大きかったが……ここの地方特有か?」

「とんでもない! あの大猪は一年前からここいらに出るようになったんだ。畑は荒らすわ、人を襲うわで手がつけられなかったのよ。動ける者を集めて討伐にも行ったが無理じゃった。海の方にも――。」

「皆の者! 手伝ってくれ、大きな魚を獲ったんだ!」

ばたばたと足音を響かせて夜空の髪色をした男が食堂に駆け込んでくる。食堂の主人や客が興味津々に浜辺の方へ走っていった。

イオスも老人と一緒に浜辺の方へ向かう、見れば夜空の髪の男が人混みの中心で笑顔で大きな魚を獲った事を自慢していた。

「おお! あれじゃ、あれが沖合に出始めたヌシじゃ! 大猪に続きヌシまで退治してくれるとは……なんと言ってよいか!これで安心して漁が出来る!」

「……それは良かった。」

見たこともないような巨大な魚は街の漁船より大きい、どう見ても釣り竿一本で釣れる大きさではない。それが浜辺に打ち上げられその巨体をさらしていた。漁師の人間がシメて身を見学に来た街の人達に分け与えている、その合間を縫って夜空の髪色の男が隣まで戻ってきた。釣りをしていたので麦わら帽子にシャツ、動きやすいズボンでかなりラフな格好だ。

「ハデス……目立つなと言われた気がするが。」

ハデスと呼ばれた人物がいつもの優雅な笑顔を見せる、肌は青くなく目の色も人間の色だ。

「すまんな、釣りが中々面白くて! あの大きいのが襲ってきたから捕らえただけだ、こちらの世界は興味深いものが溢れているな! それにしてもこの肌の色は慣れてないから落ち着かん。」

「大猪の礼も貰った。」

「では、大きな街に行かないか? 服装を変えた方がいい。追手の影は無いが用心に越したことはない。」

「そうするか。」

準備をするためにこっそり宿屋の食堂に戻ればシチューに浸けておいたパンは柔らかくなっていた、残さずそれを全部平らげる。

すっかり頭の片隅にあった机の上の瓶が目に入り持ち上げてみる、瓶はかなり重さがあり金属の擦れる音が響いた。

「ほほう、これは凄い量だ。で、金額的にはどうなのだ?」

「銅貨、銀貨、金貨も見える。しばらく困らない額だ。」

「そうか、この街を離れるのは寂しくなるな。気さくな人々ばかりだった。」

部屋に戻って少ない装備を確認する、持っている物といえば剣が二本に着ていた黒の服ぐらいだ。切られた部分は一応直してみたが裁縫などした事がなく縫ってある部分はよれよれだ、穴が空いてなければ問題無いだろう。

剣はホルスターが合わないのでベルトに挟んでどうにか持ち歩いている、確かに新しくこの剣を装着できる装備を探した方が良いだろう。

「イオス、都までは歩いて四日掛かると聞いた。」

「食料も買い込んだ方が良いか。」

「ケルベロスで移動したら楽なんだがな……。どれ、金を袋に詰め替えてやろう。」

「あんな大きい犬が居たら警戒される。あと目立つ。」

ハデスが肩をすくめて残念そうにする、指を鳴らせばいつものスーツとフリルタイの姿に変わった、肌はそのまま人間の肌色だ。

「あの大きな獣達は一年前からここら辺に表れるようになったらしい、ハデスの獲った魚も。」

「突然変異みたいなものか? いやに凶暴だったからな。魚に至っては釣り竿が壊れそうになって矛まで使ってしまったよ。」

話ながら宿屋の一階に降りれば丁度帰ってきた宿屋の主人と鉢合わせした、身支度を整えた二人を見て驚いた表情を浮かべる。

「おや、お二方何処に?」

「そろそろ行こうと思う。世話になった。」

「そんな、ヌシのお礼だってまだなのに!」

「魚は道楽で獲ったのだ、気にする事はない。」

「じゃあせめて日持ちの良い食材をお持ちします。少々待っててくだせい。」

主人が食堂の厨房に引っ込む、しばらく待っていると先程の老人がまた入ってきた。

二人の雰囲気に察したようで眉を少し下げた。

「なんじゃ、もう行くのか?」

「ああ、世話になった。」

「世話になったのはこっちじゃ。礼を言っても言い尽くせぬ。」

「お待ちどう、干し肉と干しパン、チーズに真水だ。」

「助かる。」

「また近くに来たら寄ってくれよな。」

このまま時間を掛ければ住人に取り囲まれるかもしれない、何よりもそういう事には慣れていないのだ。挨拶も簡単に済ませ宿屋の主人と老人だけに見送られてその街を後にし街道へ向かった。


石畳が引いてある道が終わり土道へと徐々に変わっていく、街道はやはり交易の要になっているため荷物をのせた馬車や人が多い、道は整備されておりとても歩きやすいようになっていた。

そのすれ違う誰もがハデスの姿を見て驚いた表情を浮かべ通り過ぎていく。

「なんで皆、我の姿に驚いているんだ? 普通の格好で大差ないと思うが?」

「……旅人の格好に見えないからな。」

「あぁなるほど、しかしマントを羽織れば普通の人間は卒倒するかもしれないからなぁ。」

ハデスが歩きながら悩んでいるのを尻目に街道で行き交う人々の話し声に耳を傾けた。街道は商人や旅人など色々な人間がいる、噂話や情勢などの話題も出てくるだろう。

「聞いたかよ、また出たってさ。」

「これで何人目だ?前はジプシー全員だっただろう?男共は草むらに転がってたらしいが……。」

「騎士団も警備を強化してるらしいが村も街道もやられてるからな。長引きそうだ。」

「野宿はしない方が身のためだ、くわばらくわばら。」

「狂った聖女か……。」

小声で話しているもイオスの耳には関係ない、口々に出てくる話題はこの街道の不穏な状況だった。

「……もう少し歩けば小さな砦があったな。」

「なんだ?気になる事でもあったか?」

「街道で何か事件があるらしい。男は殺されるそうだ。」

「なんだ物騒だな。……なんとかしないのか?」

「何故?」

「……まぁいい、その砦とやらに向かおう。」

街道は整備されてるとあって道が平らだ、木々も片側に揃えられており鳥の声や日陰が丁度いいぐらいに街道に落ちている。晴れ渡った青い空には雲がゆっくりと流れていた。

「のどかだ、冥府とはやはり違うな。」

「冥府、どんな所なんだ?」

「興味を持ってくれて嬉しいよ。そうだな~月も星もない暗い空に溶岩の明かりだけの世界と思ってくれればいい。溶岩は街の周りを囲っていてな、その上に我の城と門がある。」

「暑そうだ。」

「あまり熱くないぞ? 他の皆は露出の多い服を着ているが。」

(暑いんだな。)

日も高くなってきて木陰で休憩する事にする、干しパンをかじりながら景色を眺めた。木々の奥に水平線が見え波間に光が反射してとても穏やかだ、座っている草むらは涼しく潮風が気持ち良い。

余程日光が気持ち良いのかハデスも緩くなっている表情をさらに緩めている。

「ケルベロスのブラッシングをしたいな。でも門番の仕事中だしな~。」

「一旦帰っても良いんだぞ?」

「我の召喚は特殊と言っただろう。何回も行き来していると怖い奴が来るのでな、ずっとこちらに居なくては。我が呼び出す分は問題ないからな。」

「王様も大変だな。」

ほのぼのと休憩しているその時、幾重もの叫び声が遠くから聞こえた。

目線をそちらに移すと遠くで騒ぎが起こっている、流石に遠すぎて詳しい状況は見えないが何かに襲われているようだ、。構わず干しパンをかじっていると向こうから逃げてきた人々が足早に通り過ぎていく。誰もが恐怖におののき青い顔をして、息を切らせて走っていった。

「……助けないのか?」

「何故?」

「……その性格なのは後から聞かせてくれたまえよ?」

眉一つ動かさないイオスにそう言ってハデスが立ち上がる、襲われている場所に向かおうとするようだ。

「助けるのか?」

「我は冥王だ、全ての生は死という平等の線に乗っている。それだけでどの生も慈しみたいと思うのだよ。」

「……よく分からない。」

「ははは、難しかったか? では、イオスに引き止められないなら少し行ってくる。」

ハデスが行こうとするのを服の裾を掴んで止めた。

そのままイオスも立ち上がり武器を抜く、綺麗な刀身は日光をよく反射した。

「分からないが助けたいんだろ?」

「……あぁ。ああ、もちろん。」

騒ぎが起きていると思われる場所へ目にも止まらない速さで走りだす、混乱して逃げ惑っている人の間を一気に潜り抜け元凶の正面へと飛び出した。

紫の炎を纏った動物の骨が旅人を襲っている、骨なのに爪や牙だけがいやに鋭く眼球が無いはずの空洞に赤い目が爛々と輝いていた。そして何よりも身体が大きい、人間などすっぽり入るような大きな口を開け、存在しない喉で咆哮を上げた。

「……骨格からして虎。」

「死霊の類か。」

いつの間に移動したのかハデスがイオスの横に佇んでいる、指先に光が灯るとソコから水色の糸が幾重にも表れた。ハデスが力を感じさせないほど優雅に腕を振るとその骨の巨体が一瞬浮き上がり地面に叩きつけられる、地響きを立て地面に押しつけられた頭蓋骨に大きく踏み込んだイオスが剣を深々と突き刺さした。甲高い咆哮の後に身を捩らせ暴れ始める、剣を軸にその骨にしがみついて離さないようにした。

「頭蓋骨の中心だ!」

ハデスの声が聞こえもう片方の剣で骨の眉間に力の限り突き立てる、骨の厚さなど感じさせず滑らかに刃が食い込み何かを砕いた感触を剣を通して感じた。途端に暴れていた骨がぴたりと止まり紫の炎が霧散していく、骨を支える筋肉も無いので次々に骨が地面に地響きを立てて落ちていった。

受け身を取って着地すれば周りの旅人から拍手喝采が湧き上がる。

そんな雑音を無視して頭蓋骨に刺さりっぱなしの剣を引き抜こうと力を込めた時、旅人とは違う視線を感じ取り素早く目を向けた。

街道沿いの森の木の影から誰かが覗いている。

薄暗くてよく見えないが白っぽい服が見える、こちらが見ているのに感づいたのか更に森の奥の方へと走り去って見えなくなってしまった。

改めて剣を引き抜き刃こぼれを確かめるがまったく見当たら無い、アイリ博士はかなり良い剣を作ったみたいだ。

鞘に納めると遠くからフルプレートの仰々しい集団がこちらにやってくるのが見えた。

疲れが見えない余裕綽々のハデスの元に戻ると同時にその周りを囲まれる、半分はこちらにもう半分は骨の方を調べに行っているようだ。

馬に乗った隊長らしき人物が前に出る、紋章を金糸で刺繍してある赤いマントをなびかせ獅子の形をした特徴的な銀色のフルプレートだ。イオス達の目の前で馬から降りその兜を取って一礼する。

顔を上げれば歳は若くイオスと同じか少し上に見える、清潔感のある短く切られた跳ねた金髪にアイスブルーの瞳が印象的な好青年だった、整えられた顔は真面目そうな印象である。

「遠くからお手並み拝見させてもらいました。私はレオ・ハーシヴァル、この先の砦で隊長をしております。この度は我々の代わりに化物の討伐をしてくださいありがとうございました。怪我人はこちらで責任をもって診ますのでお二人にはお礼も兼ねて砦にお招きしたいのですが。」

「申し出感謝します。我々も砦に寄るつもりだったので丁度良かった。」

「では、そちらの従者の方もご一緒に……。」

「あ、主人はこちらです。我がこの方に仕えております。」

ハデスが手のこちらの方へ向ける、イオスはごく自然に応対しているハデスを眺めていた。

驚いたようにレオが二人の顔を見比べ、慌ててイオスの方へ向き直り頭を下げ直した。

「失礼しました! 身なりから判断した事をお許しください!」

「別に。こいつとは対等だから気にしなくていい。」

「イオス……。」

「で、ではご案内します。各隊報告は怠るな!」

再び兜を被り直すと統制された返事が返ってくる、怪我人を確認し幌馬車に乗せる者、街道に散らばってしまった骨の報告をまとめている者、兵士達が自分の役割をそつなくこなしていた。

レオと兵士数人に案内されて砦へと向かう、道中に街道を行き交っていた人々にお礼の言葉を投げかけられる。

しばらく道なりに歩むと遠くに丸太を何本も壁のように作り上げた立派な砦が見えてくる、近づくにつれてその外壁に無数の切り傷があるのが分かった、それはこの砦がどんな状況なのか一目で理解できるほどに。

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