Ⅵと冥王

泰楽 小櫻

プロローグ

目隠しをされた人々が一箇所に集められる、元は劇場だったか政をする場であったか古ぼけヒビの入った円形の石の広場にこれまた石が階段状に積んであり観客席のように回りを囲っている。

はたまた、この場所は殺し合いの場だったのかもしれない。

天井には神々の争う姿が描かれており相当古いのか色が所々剥げていた。

広場には毒々しい赤色の魔法陣が描かれており仮面とローブを被った人間が次々と目隠しをされた人々をその魔法陣の中に座らせていく。人々は男、女、子供、老人と区別はなく人数は多い、誰もが目隠しはされているが縛られておらず手足は自由だ、しかし抵抗する者は誰一人現れず言われるがまま、なすがままに魔法陣の中に座り項垂れていた。

ローブの人間達が燭台を配置し階段の方まで魔法陣を描いている最中、あきらかに取り仕切っている豪華な装飾を施したローブの人間が魔法陣の傍らに祭壇を築いている。顔が見えないほどローブを深く被っているが口元のシワから歳を経た人間だと分かる。

夜空に輝いている月は満月、円形の広場は建物の奥にあるため光はここまで届かない、これほど条件が合致している場所を見つけられたのは幸運としか言いようがなかった。

祭壇に神像を置いて作業を終わらせると同時に柱の暗闇が揺らぐ。

「……侵入者かね?」

「ああ。1人だけ、どうする?」

「契約通りだ、時間がくるまで私の組織以外の者は排除しろ。」

暗闇から笑い声が聞こえる、しばらくして気配が消えた。

ここまで来たのだ、何者だろうと邪魔される訳にはいかない。









時を遡って森の中、一つの黒い影が音もなく木の間を縫って草むらを進んでいる。草は踏みしめ擦れているのに音を鳴らさない、目的地を見渡せる丘陵まで到着するとやっと影は足を止めた。丘陵からは遺跡がよく見渡せる、石造りの柱に建物は崩れている部分が多く古い時代のものだと容易に想像できる。

情報によれば遺跡の奥にとある邪教組織が集まって何かをするらしい、目的はその組織の壊滅と本の回収。

一見神父服に見えるような首元から膝下まで伸びた紺色の長袖の服、ベルトには簡素な刃渡り二十センチの短剣が鞘に収められ服には色々と暗器を仕込んであり様々な状況に応じて対処できるようになっている。

音を立てず崖縁の岩をブーツで踏みしめた、下からそよ風が短い黒髪を揺らしなびかせる。

遺跡では見張りの人間が規則的に動いているのが見える、剣を引き抜きいつでも戦闘を出来るよう準備しておいた。丘陵から遺跡までは直線距離30メートルもちろん崖が立ちはだかっており崖壁には木やむき出しの岩が顔を覗かせていた、崖に少しも躊躇わず身を投げ空中へと舞う、重力に逆らわず落下し崖壁に足を付けて走り抜ける、勢いはそのままに人間では到底出せぬ速度で遺跡へと侵入を果たした。

見張りが小さな物音に気づき後ろを振り向く、しかし何が起こったか理解する前に目線が地面へと落ちた。一拍おいて鮮血が地面を濡らし身体が崩れ落ちる、黒い影はすでに去り彼らの最期を見届ける者は居なかった。

あれだけの速度で走り抜けたのに影は一つも息を乱していない、短剣についた血を腕の一振りで払い鞘へと戻した。髪も服も暗い色で統一されているため遺跡の暗い闇へと完全に溶け込む、足音も少し耳を澄ませばようやく聞こえるほど小さく影が手練である事は容易に想像がつくだろう。

夜目の効く青い瞳で遺跡の内部を確認する、所々欠けてはいるが崩壊の様子はない。石の重みでバランスが取れており雨風、戦争があっても現在まで存続することができたのだろう。

音のしない暗い通路を進んでいく。

遺跡内部に侵入したのは良いが先程から嫌な視線を感じている、纏わりつくように何処からか見ている感覚、しかし視線だけで物体の気配が感じられなかった。

気にしても時間の無駄と判断し音もなく遺跡の先に進めば広い中庭のような場所へと出た。

木はすでに枯れており池があったであろう場所に水は張っていない、土がむき出しになっているが草一本生えておらず所々に大きな石が転がっている、放置されてかなりの年月が経っているはずだが苔も見当たらない。

満月に照らされている明るい中庭に一つの大きな影が持ち上がり人の形を作る、ソレは徐々に黒から色づき人間になった。

体格が分かるようなスッキリとした服で地面につきそうな腰布を巻き、肩には鳥の羽で作ったであろうマフラーが見える、口元は布で隠されており頭は鳥をモチーフにした兜に水色の髪が一つ束ねられ飾られている。目元しか色がなく影の時と変わらないような全身が真っ黒で奇抜な格好をしていた。

その黒から映えた目で全身を隅々と見られている、敵意を向けてこない目の前の人物を観察していれば急にマスクで覆われた口に手を当てた。

「ふふっ、顔は中々好み。その冷たい目も色もいいわぁ……殺すのが勿体無い。」

てっきり体格からして男だと思っていたのだが、誤認だったのだろうか。

しかし声は野太く話し方は女性のそれだ。

「あら私の姿に驚いているのかしら? まずは自己紹介、私はサーウィン殺し屋家業をやっているわ。趣味は目玉集め、絶賛彼氏募集中よ。」

「……ここの組織に雇われたのか。」

「あら声も素敵! 音がずっと残る貝を買っておくべきだったわね。私は長髪の方が好みなんだけど、黒髪短髪も良いわね、クールな性格も得点高いわぁ。」

話の噛み合わなさに押し黙っていても相手は構わず1人でペラペラとよく喋った。

「短剣なのね、貴方のスタイルからしてもうちょっと長めの得物の方がいいと思うけど。そういえば貴方の名前は?」

「……言う必要ないだろ。」

「あら、ずっと貴方じゃ味気ないじゃない。これから殺りあおうって相手にそれは寂しいわ。」

「……Ⅵだ。」

名乗り構えるがサーウィンは未だ何の動作もなく佇んでいる、全身が影と同じ色なので対象的な満月の光が照らしているその姿はそれだけでも絵になった。何か切り札があるのだろうと考えていると背後で何かが動くのを感じた、体勢を低くし同時に後ろに足払いを仕掛ける、普通の人間ならば反応出来ない速度だが思惑は外れた。

背後に居たのは光の反射しない真っ黒の帯だった、くねくねと揺らいでいるソレは見た目と反して風の影響も受けずしゃがみ込んだⅥに襲い掛かってくる。身体を捻って躱しても次々と帯が現れⅥに降り注いでくる、どうやらその帯は暗闇から生えているようだった。

避けながらでも声が耳元まではっきりと聞こえてくる。

「Ⅵ……Ⅵって変な名前ね。珍しくはないけど――本当に勿体無い。侵入者は殺せって契約するんじゃなかったわ。」

サーウィンはその場から一歩も動かず暗闇の帯だけがⅥを襲ってくる、帯と言っても石は綺麗に切り裂かれ表面が鏡のように輝くほど斬れ味がいい、少しでも当たればひとたまりないだろう。

帯の数は多いが速さは大した事ない、帯の隙をついて隠し持っていた白木の針で余裕綽々のサーウィンに抜き放つ、軌道は確実に急所を狙っていたが足元から伸びてきた帯が伸びて針を止めてしまい届かない。

今、影はサーウィンの視界を遮ってⅥを隠している、迷わずサーウィンへと向き直り影を飛び越え腰を中心に捻り込みそのまま相手を力いっぱい蹴り飛ばして向こう側に着地した。

手応えはあった、腕を押さえていたサーウィンはⅥを驚いた顔で見つめてくる。

顔と言っても目元しか見えていないのだが。

「排除する。」

「……Ⅵ、Ⅵって言ったわよね。」

突然背後から首を締められた、振り向きざまに短剣を力の限り突き立てる。

ナイフは深々と相手に刺さったがダメージを負ったように見えない、首を締めている存在は光も吸い取るように真っ黒な蛇だった。顔の部分に金色の見た事ないような模様が描かれている、それは縦に開いた目のように見えた。蛇は徐々に締める力を強めⅥの自由を奪って動けなくしていく、何度も蛇にナイフを刺すが効果が無い。その間にも一歩一歩サーウィンがこちらへと近づいてきていた、蛇はその身体を長く伸ばしていきナイフを遠くへ弾き飛ばした。

いよいよⅥの前までやって来るとこっちの顔をまじまじと覗き込んでくる。

「私に攻撃を当てるなんてやるじゃなーい! 益々いい男、物静かでこんな状況にも冷静でしかもイケメン!それになんと言っても強さがないと男じゃないわよね~。」

サーウィンが嬉しそうに笑みを浮かべている。

「召喚者か。」

「そうよ~この子はアポピス。私と一番相性が良かったの、蛇は嫌い?」

「何も感じないという事は嫌いじゃないんだろう。」

「ふふっ、契約主に相談して貴方の命を救ってもいいのよ?」

遠くからバタバタとうるさい足音を響かせて数人の男達が雪崩れ込んでくる、男達はローブを羽織っていて特徴は無いが体格、顔つきからして男である。

「もう、何なの?折角いい所だったのに~。」

「予定変更だ、そいつも生け贄にするそうだ。」

「……え―。」

本当に残念そうにサーウィンが目を細める、自分で殺し屋と言っておいてなぜこんなにも表情豊かなのか。アポピスの身体から解放されたが次は鎖でぐるぐるに巻かれ武器も全て取り上げられる、ご丁寧に手首にも何重にも鎖を巻かれ自由が奪われる。歩かせるため足に鎖は無いがサーウィンが反撃を許さないだろう、前後をローブの男が挟み隣にサーウィンをつけられ更に遺跡の奥へ連れて行かれる。

「貴方不思議ね……召喚者と分かっても動揺もしない。今だって動揺するどころか逃げる算段すらしていない。」

「……逃げるチャンスがあれば逃げる。」

「ふーんなるほど。思ってたけど貴方、意欲が無いのよね。そこはマイナス点だわ。」

「変な話し方のお前に言われたくない。」

「あら?こんな人間と会ったの初めて?」

からかわれている、それでも怒りや罵倒する言葉も湧いてこない、そんな反応に呆れたのか関心が無くなったのかサーウィンが正面を向き同じ速度で歩いていた。




しばらくして遺跡の最奥部に到着する、ロウソクの明かりで満たされた円形の古い広場。広場には人間が何人も座らせられており、ソレを囲むように階段状の石の上には同じようにフードを目深に被った人間達が等間隔で綺麗に並んで立っていた、一目で何かの儀式をするのだろうと理解できる。

前のフード達が散開する、サーウィンに促され広場の先にある祭壇の前に連れて来られた。

祭壇の前に立っている豪華な装飾のローブの人間が首謀者なのだろう。足を蹴られ両膝を地面に着けさせられる、ローブの男達はすでに定位置についたようだ。

サーウィンだけがⅥの隣で佇んでいる。

「ご苦労、準備ができたのでな。」

「お早いことで。」

「さて侵入者よ、どこの組織のものか教えてくれれば我らが邪神の力で楽園の住民にしてやってもよいのだぞ?」

嫌な笑顔を浮かべて教祖が口を歪める、もちろん話すつもりは毛頭ない。そのまま口を噤んでいれば、そのシワのできた口元がへの字に曲がった。

「無言か、まぁいい。邪神樣を呼べば我らも力を得る、そうすればあの忌々しいオラクルの連中を黙らせる事もできるのだ。」

ローブの男達から次々と同意の声が上がる、どうやらこの教団の総意でこの儀式を起こすつもりだったらしい。視線を巡らせこの状況を確認する、魔法陣には人が1000人くらいだろうか、更にその周りにローブを被った教団の人間が100人ほど、この円形の部屋の外に見張りはおらず全員この部屋に集まっているのだろう。

口の中に隠しておいた通信用の水晶に小声で話した。

その間にも教主の口上は続いており信者達がその言葉に声を発さず聞き入っている。

「召喚には命を千と月食の時、血で描いた魔法陣が必要である。同志達よ我らの神は扉を通り我らの声を聞き届けるだろう!」

祭壇に乗せられていた古めかしい革表紙の本を教祖が掲げる、あれが目的の『本』なのだろう。

「さて、サーウィン。君の仕事はここまで、これが報酬だ。」

「え、ちょっとちょっと!この子を捕まえただけで終わり!?」

「本当はオラクルの妨害が来る事を見越していたのだが、来たのはこの小僧のみ。後は教団のみで行う神聖な儀式、君は部外者だ。」

「えー……まぁしょうが無いわね。あんた達もオラクル絡んでんならさっさと畳めばいいのに、百害あって一利無しよ?」

投げられた小袋を拾いながらサーウィンがため息をつく、殺し屋とは思えないほど飄々としている人間だ。

「あ、それからこの子どうするの?欲しいんだけど。」

「儀式の生け贄にする。何処の組織か知らんが見せしめにすれば我らの力を思い知るだろう。」

「…………そう。なら仕事が終わったなら私は退散させてもらうわ。」

サーウィンがわざわざⅥの前に片膝をついて視線を合わせてくる。

「折角のいい男なのにね~。また会えるといいわね。」

「変な事を言うな?」

「あら、私死ぬ前の気配がなんとなく解るのよ?じゃあねⅥ。」

そう言い残すと静かに立ち上がる。

その瞬間、腹部に鈍い衝撃が走った。

ゆっくりと視線を下に向ければ黒い帯が腹部に何本も突き刺さっていた。帯が身体から離れると鮮血が地面に飛び散り色を作る、次いで首の方にも鋭い痛みが走り全身の力が徐々に抜けていった。

とうとう身体を支えきれなくなり地面に倒れ伏す、顔を強打したが指の一本も動かせない。

「な、何をするんだ!?」

「サービス。早く儀式しないと怖い人達が雪崩れ込んでくるかもよ? じゃあね~。」

サーウィンが瞬く間に暗闇の中に溶けて消える、広場の人間にざわめきが起きるもすぐに教主が制した。

「まったく、腕は良いが考えの読めぬ奴よ。さて諸君、いよいよ月食だ!」

赤い魔法陣が光り始める、ロウソクの火は明るく照らしているはずなのに室内が段々と暗くなっていった。次第に魔法陣の光が強くなり風が吹き荒れ魔法陣の中に居た目隠しをされた人間が次々と倒れ始めた。

首と腹から血が流れ出ていく中、虚ろな目でその様子を見つめる。

目の前で人が命を失う瞬間を見ても何ら思う所はない、自分が失敗なら第二部隊が此処に来ることになっている。一人で暗殺、偵察、失敗なら情報を送れば良いだけだ。

血が少なって瞼が重くなってくる、このまま目を閉じれば死ぬ事ができるだろうか。

しばらくすると状況が一変し始める。

赤黒い風は段々と竜巻になり部屋を染め上げた、広場に居るフードの者達が次々と苦しみだし魔法陣の中に居た人々と同じように倒れ始める。叫び声も竜巻に吸い込まれよく聞こえない。

「な、なんだこれは!? 呪文も時間も書いてあった通り……ぐがっ!」

教主も真っ青な顔で苦しみだし胸を押さえながら倒れた、目を見開き身体は動かず一目で命が消えた事が解る。

次々と人が叫び地獄のような騒ぎの中、Ⅵの意識も次第に遠くなっていく。

やがて静かに瞼を閉じた。



















「…………――――い、おい大丈夫か? 起きれるかな?」

目を開ければ若い男が自分を覗き込んでいる、肌は青紫の薄い色、前髪を真ん中で分けておりウェーブのきいた長髪は夜空のように紺色から水色のグラデーションになっている、それを後で一つに束ねていた。上品そうな貴族服はピッタリと身体にフィットしており、首元のフリルタイには赤い宝石をはめ込んだブローチが輝いていた。その男の目の白い部分は真っ黒で瞳は金色、明らかに人間ではない。

いつの間に仰向けに寝転がされていたのかバッチリとその男と目が合う。

しばらくぼぅっと見上げているとその男が苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

「ふむ、そう見つめられては照れるな。どうやらキミが契約、いやキミだけが契約対象なんだがどうするね?」

「契約?……とはなんだ?」

「あぁ、やはりキミが喚び出そうとした訳ではないのだな。この惨状を見れば想像はつくが。」

貧血で重い上体だけ起こし辺りをを見回す、広場に居た全員が地面へと倒れ転がっていた。

気を失う前に見えた光景とは明らかに違っている。

全員の身体に切り傷が無数に刻まれており、そこから血が流れ海を作り魔法陣を消していた、全員が苦悶の表情で目や口を見開いて死んでいる。

そして、その中に自分とこの青紫肌の男だけが生きて動いていた。

拘束も取れており鎖はバラバラに砕け散って地面に落ちている。

「己の願いや思想を叶える為に我らを喚び出し契約するのだ。まぁ我の召喚条件が特殊過ぎてそうも言ってられないが……やはりこの本にも載ってないな。」

いつの間に持っていたのか対象の本を読んでいる、どこか気品ある動作はそれだけで只者ではないと感じられた。一通り読み終えたのか本を閉じてこちらへと向き直る、雰囲気は柔和なのにどこか重圧を纏っていた。

「さて、対価が支払われ我は此処に喚び出された。キミは我と契約する気はあるかね?」

「願うものがない。」

「だろうね……。せっかく来たのに戻るのか~。」

「契約しなければ帰るのか?」

「そうだ、用無しは元の国へお帰りって事だよ。」

「……契約する、いいぞ。」

青紫肌の男が柔和な表情を崩して驚きに目を見開いた。

「良いのか? こう言ってはなんだが、我は良き神ではないぞ?」

「神格なのか。別に構わない、お前が残念な顔をしてるから。」

そこまで言い終えて青紫肌の男が抱きついてくる、そのまま無反応でいれば髪をわしわしと崩れるくらい撫でられた。相手の方が背が高く完全に子供扱いである。

「我のためになんてキミは優しいな! 本に書いてあった通りの優しい人間なのだな!」

「引きこもりか?」

「では時間がない、名前を聞かせてくれるか。」

「Ⅵだ。」

「?……それは名前なのか? 数字に聞こえるが?」

「それ以外に呼び名はない。」

男が困ったように顎に手を当てる、少し考えこんでⅥの右肩に人差し指を当てた。

少し熱くなったかと思うとすぐに熱は引いていく、指はすぐに離れていった。

「さて、さすがに数字が名前だと契約できない。誰か親しい者に名前を貰ってくれるまで仮契約としよう。じゃないと我の力が尽きて帰らないといけないからな。」

「召喚される方も大変だな。」

「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいよ。さて……何やら大勢来たな、我は姿を隠してキミの側に居よう。ただ、仮契約だから我の力もそんなに使えないんだ。だがキミの身は守ると誓う、キミの怪我も治しておいたよⅥ。」

そう言いつつ空間の裂け目を作りそこから銀色の兜を取り出す、一角獣の角に見える装飾を中心に冠を思わせる鳥の翼が流れるように後頭部まで覆っている美しい兜だった。

確かに服は裂けていたがサーウィンにやられた傷が跡形もなくなっている、道理で問題なく動けるわけだ。

「お前の名前を聞いてない。」

「おっと我とした事が……我は『冥府の王 ハデス』だ、よろしく頼む。」

「ハデス……聞いた事は――――後で調べておく。」

「我の名を知らぬとは益々面白いなⅥ。では見えなくなるとしよう。」

貴族の礼みたいなものをして銀の兜を被ればハデスの姿が掻き消えてしまった、タイミングよく広場にⅥと同じ服に外套を羽織った集団が雪崩れ込んでくる。

誰もが広場の惨状に驚く事も恐れる事もせず辺りを確認している、その中で一際大柄な人物がⅥへと近付いてきた。顔を隠しているフードを上げればやけに明るい笑顔を見せる、浅黒い肌にプラチナブロンドを刈り上げにした無精髭の男、Ⅵの部隊の隊長でもある。

「Ⅵ、通信を聞いた時は捕まったのかとヒヤヒヤしたが、見事任務を成し遂げたようだな。」

「本はそこに落ちてる。」

隊長は死体の傍らに目を向けまっすぐに本に近付き何のためらいもなく拾い上げた、中身をパラパラと確認すると布の袋へと仕舞いこむ。ベルトにその袋を括りつけるとまたⅥの前まで戻ってきた。

「うむ、確かに。それでは撤収する、合流地点まで移動するぞ!」

隊長が号令をかければ一糸乱れず外套の人間達が広場の外に去っていく。

転がっている死体はそのままで広場には誰もいなくなった。

「それでは戻ろうかオラクル本拠地へ。」











合流地点である草原まで到着すると金糸で装飾が施してあるに明るい緑色のローブを羽織った女性が立っていた、こちらの姿を確認すると一礼する。隊長だけが女性に近付き短く会話すると女性が光球を空中に浮かべた、光球は少し離れた所に移動すると地面に魔法陣を描き消えた。

魔法陣は淡い光を放っており作動していることが分かる、外套の人間達がその中に歩み出ると次々とその場から姿が掻き消えていった。

Ⅵの順番が回ってきた時に耳元でハデスの声が聴こえてくる。

「Ⅵよ、これから何処に行くのだ? 本拠地と言っていたが。」

「……居たのか。」

「流石に飛んでついてきたぞ、足が早いなⅥは。」

「姿が見えないだけなのか?」

「そうだ。我の防具の一つ、姿も力も隠すことが出来る。ずっとⅥの後ろに居たのだぞ。」

「そのままの意味だ、俺の組織の本拠地に転移するだけ。」

魔法陣に入ると景色が一瞬で変わる、真っ白な部屋で一切の家具がない。この転移する為だけにあるような部屋だ。ハデスも問題なく転移できたようで嬉しそうな声が背後から聞こえている。

最後に隊長と女性が転移してくる、全員転送したようで魔法陣は自然に消滅していった。

「さてオレぁ上に報告してくる、部隊はここで解散。Ⅵは念の為に怪我ないか診てもらえ、じゃあな。」

豪快に号令を出すと外套部隊が自然に解散していく、隊長はⅥの頭を軽く叩いて足音を響かせながら出て行った。女性に向き直ると緑のフードを降ろし笑顔を見せる。黒い艶のある髪は綺麗に揃えられ肩にかかるくらいに伸ばしてある、鳶色の瞳にキメの細かい肌に似合う薄ピンクの唇をゆっくりと微笑ませた。

「Ⅵ、話は聞いているわ。来なさい。」

「はい、博士。」

緑のローブを翻し真っ白な廊下を進んでいく、その後をⅥは静かに付いて行った。

入り組んだ白い廊下は次第に硬質な鉄板を張り巡らされた研究所みたいな場所になっていく、廊下に並んでいる窓から見えた先に水槽や色々な薬品の棚が並んでおりその中で白衣の人間が何やら忙しそうに作業をしている。

廊下の奥のひときわ質素な扉を開けて女性が明かりを付ける、女性が奥の机に行くのを見届けてから同じく部屋に入り扉の鍵を閉めた。

部屋は薬品棚や机、本などが棚に整理整頓されて入れられており掃除が行き届いていて清潔感がある、性格がよく表れていた。唯一異質なのは部屋の真ん中に診察台が鎮座して居る事だ。

「さてと、そこの診察台に座って。ゴードンったら心配性なんだから、Ⅵはちょっとぼーっとする事があっても無茶はしないのにね~。」

「……博士、実は腹を刺された。」

診察台に座りながらそう話すと脱ごうとしていた緑のローブを投げ捨て慌てて女性が駆け寄ってきた、服の上から傷を確認しようとしているのかあちこち触ってくる、黒い服で血の色が見えないのだ。ローブの下は白いシャツに新緑のロングスカート、いつもの服装だ。

「ど、どこ!? なんですぐに言わないの!」

「落ち着いてくれ、刺されたが今は治っている。」

青い顔をしていた女性が顔を上げ不思議そうな顔をしていた。

「どういうこと?」

「治してくれた人がいる。……人じゃないか、あの教団の儀式は成功していてその喚び出された神に助けてもらった。」

「え……ええ!? ちょっと待って、頭が追いつかない。」

耳元にも焦った声が聞こえてきた。

「Ⅵよ、流石に唐突すぎるぞ。この女性は信頼できる者なのか?」

「大丈夫、俺の教育係で長い付き合い。目もないから出てきても大丈夫だ、鍵も閉めた。」

いつの間にとハデスが呟きながら兜を外す音が聞こえる、突然現れた男に女性が飛びのき後にあった椅子に派手に蹴躓いていた、辛うじて転んではいない。

「アイリ博士、この人が助けてくれたハデス。あっ神様。」

「ハデス、アイリ博士だ。さっき言ったとおり小さい頃から世話になっている。」

「ちょっと待ちなさい、ハデス!? あの冥王!?」

「あぁ知っている者か、紹介の通りだ我は冥府の王ハデス。お見知り置きをアイリ殿。」

驚きのあまり開いた口が塞がらないアイリ博士の手を取り一礼をする、ハデスとはそんなに有名な神なのかとⅥは首をかしげた。

ようやく驚愕から戻ってきたアイリ博士はぐったりと自分の椅子へと腰掛けた、Ⅵとハデスの顔を交互に見てこめかみに指を当てて考えこんでしまう。

「とりあえず、どうしてそんな状況になったか順序よく簡潔に話しなさい。」

「任務で潜入したが殺し屋に捕まった、そのまま儀式が行われ気を失いハデスが居た。」

「殺し屋に? 貴方が遅れを取るとは思わないけど。」

「召喚者だった、闇が武器のようで変な話し方をする。」

「召喚者なら仕方ないか。で、儀式の方はハデス樣が喚ばれたわけね。」

「その通りだ。で、唯一生きていたこのⅥが契約対象となる。」

目を伏せ何か考えこむと直ぐにアイリ博士が立ち上がる、奥の壁に何かを唱え手を当てると壁から重厚な長い箱が出てくる、それをⅥの座っている隣に置くと蓋を開けた。中には不思議な光を放つ四十センチ程の片刃の剣が入っていた、ゆるやかな曲線を描く刃は斬れ味の良さそうな色をしており、その背に淡い光を放つエメラルド色の線が走っている、片方にしかない鍔の部分には同じ色の大きな宝石がはめられていた。柄は控えめに輝く銀色の滑りにくい素材で作られているようだ。

その剣が二本。

「いい? 今すぐ此処から逃げなさい。オラクルに捕まらない内に。」

「……アイリ博士、なぜだ?」

「なぜあの本が回収されたか、ハデス樣を喚び出すためよ。同じ人間と重複して契約することは出来ない、つまり貴方はボスがやろうとした事をやってしまって適合しちゃったわけ。」

「なるほど。」

「アイリ殿……Ⅵを見ていてずっと疑問だったが、こんな性格なのか?」

「まぁ私の教育も悪かったけど、詳しい事は後でⅥに聞いて。この剣はⅥ専用に作っておいたの、刃は折れないオリハルコン、宝石はドラゴンハート、使い方は研究して!」

「うむ、なんか納得したぞアイリ殿。」

剣を鞘に収めⅥに渡す、剣帯の大きさが合わないのでとりあえずベルトに引っ掛けておいた。アイリ博士は投げ捨てていた緑のローブを拾い羽織って身支度を整えている、Ⅵは気付いたように診察台から降りた。

「博士、俺に名前が欲しい。」

「名前?」

「名前が無いと本契約出来ないらしい。」

「そうか、そうね……ちょっと待ってⅥって呼び方に慣れてたから。こういうの苦手なのよ~。」

「博士頑張ってくれ。」

「とにかく道中考えるわ、急いで脱出の用意よ。」

薬品棚の下の棚をあさって黒いローブを取り出して渡してくる、これなら目深に被ればよく覗き込まないと誰か判別ができない。

「私とはぐれても二番ドッグまで来ること、捕まえに集まってきたら私に構わず行きなさい。」

「それは嫌だ、博士を待つ。」

「貴方って子は……とりあえず行きましょう。下手したらゴードンの報告で気付いてもおかしくないわ。」

「では、我はまた兜を被って姿を消しておこう。」

「ええ、お願いするわ。」

部屋の鍵を開け廊下を見渡す、今のところ異常はなく白衣を着た人間もまばらだ。なるべく目立たないように自然に廊下を進んでいく、先程とは逆に機械的な場所から白い廊下へ。更に先に進めば貴族の館のような豪華な装飾を施された吹き抜けのオペラハウスのような広場が見えた、そこは色々な人々が行き交っており騒々しい。

その広場を通らず裏の通路に向かおうと足早に進む。

「お! アイリ博士! 呼びに行こうと思ってたんだ。」

後から呼び止められ振り返る、隊長ゴードンがその大柄な体躯で足早に近づいてきた。

Ⅵの前に庇うようにアイリが移動する。

「ゴードン。早かったわね、報告は終わったの?」

「ああ、ボスが報告と本を確認したらⅥを連れて来いと言ってな。今から呼びに行こうと思ってたんだ。……どこ行こうとしてたんだ?」

「Ⅵが体調が悪いと言うので、部屋まで送ろうと思ってね。」

「むぅそれは困る。ボスの命令は絶対だ、Ⅵ付いてきてくれ。」

アイリ博士の後ろにいたⅥの目が細められ剣に手が掛かりそうなその時、ゴードンの身体がぐらりと揺らいだ。倒れそうになるのを見えない何かが支える、ゴードンは白目を向いており気絶しているようだった。

「ボスとやらは随分察しが良いようだ。ちなみに捕まったらどうなるか教えてもらえるか?」

「ハデス……助かった。」

「……良くて廃人にされて力だけ行使出来るようにされるわね。悪くて契約印を自分に移す禁術かしら。」

「ははは、アイリ殿の言うとおり逃げた方が懸命だな。」

ゴードンを柱の陰に隠し関係者以外立ち入り禁止と注意喚起してあった通路を進んでいく、通路は薄暗く遺跡のような石造りの部分とそれを補強するかのような機械的な壁が入り混じっている。

しばらく歩いていくと広い倉庫のような場所へと出た。倉庫には木箱が積み上げられており飛竜が檻の中に鎮座している、飛竜達はⅥやアイリ博士が入ってきた物音を感じ取り各々の首を持ち上げこちらの様子を伺っていた。

「えっとパラシュートはこれね。」

「飛竜は使わないのか?」

「一匹居なくなったら直ぐにバレるでしょ。鍵も無いし。」

「移動手段ならケルベロスを呼ぶぞ?後でタナトスとヘカーテに怒られるかもしれないが。」

「やめてくださいお願いします。」

アイリ博士に止められハデスの落ち込んでいる声が聞こえた。

棚に積んであるパラシュートを取り出そうとした時にサイレンが響き渡る。つんざくようなサイレンにアイリ博士が身体を強張らせた、Ⅵも構えるが直ぐにこの倉庫に来る気配はない。

青い顔をしたアイリ博士がⅥにパラシュートを背負わせる、ベルトを全て固定し非常口となっている扉の前へ移動した。

「いい? 私が時間を稼ぐから貴方は遠く逃げて隠れなさい。」

「博士を置いて行く訳にはいかない。」

「……これでも一流の魔術師だしオラクルにも長いのよ?大丈夫だから。」

「Ⅵは我がいかなる時も守ると誓おう。だからアイリ殿も……安心して後を追ってくると良い。」

銀の兜を取りハデスが姿を現す、その強い眼差しに博士は安堵の表情を浮かべた。

Ⅵをしっかりと抱きしめた後に非常口のレバーを引いた、頑丈な分厚い扉が開けば地面は遥か遠く雲が下に流れている。雲の合間から見えるのは木々に覆われた山々で遠くに月の光を反射した海が見えた、風が強いが飛ばされるほどの速度で飛んでいるわけではないようだ。

「空を飛んでいるのか! 面白いなこの本拠地とやらは!」

ハデスは扉の外を眺めて興奮している、アイリ博士はⅥに向き直ると静かに微笑んだ。

「名前……イオリティスなんてどう? 貴方の青い瞳の色にそっくりな宝石の色――ごめんなさい想像力がなくて。」

アイリ博士が悲しそうに微笑むと倉庫の扉に固いものがぶつかったような強い音と衝撃が何度も起こった。Ⅵが即座に身構える、アイリ博士とハデスが目を合わせ頷くとハデスだけがⅥの襟首を掴んだ。

「行きなさい!」

反論も言えずそのまま扉の外へと放り出された、空中で身を反して扉の方を確認する、出口から見えてい

たアイリ博士はすぐに厚い雲で隠れて見えなくなってしまった。

そのまま落下していると同じように落下しているハデスが近付いて来る、ハデスが何かに気付いたらしく上空に目線を移していた。

「さっきの飛竜を何体か放つようだ、早いな。」

「……迎撃には不向きだ。」

「名を貰ったのだろう? ここで契約しよう。」

「どうすればいい。」

「我の文言の後に名乗れ、いいな?」

飛竜の咆哮が耳に届く、上を見れば三体の飛竜が追っているようだった。

雲から抜け次第に木々が地面が近づいて来る、迎撃するにしても一体ぐらいでパラシュートを開かなければ地面に激突する力の方が増すだろう。

風の流れる音にはっきりとハデスの声が届いた。

「“贄に応じ開いた道に無垢なる者 我は冥府の王ハデス 契約する者の名を―”」

「イオリティス。」

思った以上に早く飛竜がこちらに近付いて来る。

口を開けその鋭利な牙が眼前へと迫ってきた。

「これで契約は完了した。」

静かな声と共に光る線が幾重にも現れ飛竜3体が同時にバラバラに切断される、肉塊と化した飛竜は襲う事もなくそのまま自分を通り越し下の森の中へと落下していった。

またもや服を掴まれると落下が急に止まった、見ればハデスが赤黒いマントを羽織っていて空中に静止している、肩まで覆っているモサモサの黒い鳥の羽が風になびいてとても似合っていた。

「今の飛竜だけか……第二波が来る前に出来るだけ離れよう。」

「助けに行く事は?」

「やめとけ。アイリ殿は頭がいい、その彼女が『逃げろ』と言ったのだ。」

「……。」

確かにその通りだった、教育係として過ごした日々の中でアイリ博士が間違った事はひとつもない、自分が知らない組織の情報も持っている上で逃げる事を結論付けたのだろう。

そのままの体勢で森の中に降りていく、木々の天辺が近付いてくるとぴたりと止まった。

「イオリティス、パラシュートとやらを開け。それで少しは囮になるだろう。」

「……分かった。」

ハデスが手を離しパラシュートのレバーを引く、直ぐに風吹かれて広がり木に引っかかった。ベルトだけ外して降りようとした所を空中に浮いたハデスにまた掴まれる。

「ふむ、この位置だな。」

ハデスが左手をかざして圧縮した風を撃ち込む、枝が次々と折れて落ちていき下の草むらに何かが落ちたような後が出来た。その上にゆっくりと着地する。

「さて、少し待っててくれ。」

「……あぁ。」

そのまま動かずにハデスの様子を眺めていると巨大な魔法陣が現れ大きな犬が飛び出してくる。見上げるほど大きな犬は黒く毛艶が良い、赤い目をぎょろりと動かすとハデスの前に伏せた。

「ケルベロスだ、何よりも早く走れるぞ。」

「さっき言ってたな。」

『……ハデス樣、その男は?』

犬が話す事は珍しくないが、こちらを警戒して敵意を向けられているのでは話は別だ。流石にこの大きさの生き物を相手にするのは骨が折れる。

「私と契約した者だ、焼き殺したら駄目だぞ?」

『御意。』

「さてイオリティス、乗って休め。適当に遠くの街に行くぞ。」

言われるがままにケルベロスの背に乗れば木々を縫って風のように走り出す、流れていく景色を尻目に空を見上げてもソコには雲一つない星空が広がっていて異変も何もない。

揺れる温かい背中に今日起きた出来事の緊張から解放された事を知る。

自分でも気づかずに疲れていたのだろう、安堵を感じながらやがて睡魔に呑まれ目を閉じた。

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