6

 月曜の練習が終わると、五日間セッションはおあずけ。自主練はするけど、それにしたって退屈極まりない。

 だからアタシは授業中、ずっと頭の中で思い描いていた。彼女が――エレン・ホワイトがフロントマンとしてアタシたちの前に立つ姿。アタシたちのバンドが、よりいっそうCDの向こう側に近づいていく。ホンモノらしさを帯びていく瞬間を……。朝読書の時間も。一時間目の国語も、二時間目の理科も。そのあとの給食の時間だって。


 昼休み、アタシたちの教室を真哉が訪ねてきた。そのときちょうどアタシとクリスは、彼女の話をしているところだった。ホワイトさんのことを。

 給食の食器を片づけて、ちょうど一息入れてるところだった。中庭に出て、ちょっと涼もうとかそんなことを考えてた。だけど、真哉のやつはそんなこと考えてなかった。

「探しに行くぞ」

 座席に座るアタシとクリスに、あいつはいつもの仏頂面で言った。

「探しに行くって?」

「決まってんだろ。ボーカルをさ。片っ端からクラスを回るんだ」

「マジに言ってんの?」

「大マジさ。ってか、オレよりも先にお前がそういう提案をしてくるもんかと思ってたぜ」

「まあ、考えてたけど……。じゃあさ、三人で手分けして探す? あー……でも、彼女にはなんて説明すればいいの? 『一緒にバンドしない?』って言えばいいのかな」

「そっくりそのまま『ボーカルにならねえか』って言えばいいだろ。歌詞見せて、歌ってみねえかって。歌詞カードとかは?」

「TAB譜に付いてるのなら、このあいだプリントアウトしたけど」

「じゃあ、それもって捜索開始だ。行くぞ」

「ずいぶんやる気あんじゃない、アンタ」

「オレは、やるからにはとことんやる主義なんだ」

 そういうと、アイツはアタシのクリアファイルから『トミーガン』のTAB譜をひったくっていった。


「……探せとは言ったけどさ」

 アタシはボヤいた。

 教室と教室をつなぐ廊下。その一番はじっこ。体育館につながる連絡路への入り口。アタシとクリスはその壁に寄りかかって、廊下を行き交う人の波を見ていた。

 真哉のヤツは、さっさとどっかに行ってしまった。クラスを見て回るとか言って。

 一方アタシはというと、クリスがどうしても一人でウロウロするのは怖いというので、こうして一緒に人間観察をしている。が、いっこうに目的の人物は見つからない。

 時計が見あたらないから正確にはわからないけど、もう昼休みも終盤のはずだった。その気配は、廊下の人気からも察知できる。だんだんと校庭に出ていた男子たちが戻ってきていた。学生服に砂埃を付けて、昇降口のほうから坊主頭の集団が走ってくる。きっと野球部だろう。

 アタシはそんな人の群を横目にしつつ、クリアファイルに閉じたTAB譜を見ていた。真上にあるのはニューオーダーの『セレモニー』。だいぶ満足に弾けるようになったけど、この曲もボーカルがいないのは致命的だった。ギターとベース、それからドラムがいれば曲はそれっぽくなる。でも、ボーカルがいないと、イマイチその『それっぽさ』が薄っぺらい。

 アタシは、初めてギターを弾いたときと同じようなもどかしさを感じていた。CDの向こうのバンドと、アタシたちの決定的な違い。いまのアタシたちじゃ、どうあがいても埋められない差を。

 しばらくして、予鈴が鳴った。でも、彼女は見つからなかった。

「戻ろう、クリス。彼女、今日は休みかもしれない」

「……そう、だね」

 クリスのつぶやきを聞いてから、アタシは壁から背を離した。


     *


 練習のない日はとっとと帰る。とっとと帰って、まだ陽が昇っているうちに部屋で自主練を始める。コンポから曲を流しつつ、クリスに印刷してもらった譜面を眺めながら。

 だけど今日は、そうはならなかった。昼休み同様、放課後になった途端に真哉がやってきたからだ。アイツは一組の教室から先生が出て行くのを見計らって、何も言わずに突然やってきた。まあなんていうか、あの不登校がやる気を出したんだから、いいことだとは思うけど。

「考えがあるんだ」

 彼はアタシたちを廊下に呼びつけるなり、そう言った。

「考えって?」とアタシ。

「カンタンだ。図書館に張り込むんだ。んで、アイツを待ち伏せる。昨日のあの図書委員の先輩は、本を渡すためにアイツに会うはずだ。それに、アイツも無くした本を探しにくるに違いない。だったら図書館に来るだろ」

「じゃあ、そこを張り込んで」

「ゲットってことよ」

 そういうわけで、アタシたちは自主練に取り組まず、図書館に集まった。練習よりも、メンバーを集めるのが重要だってこと。アタシもそう思ってたし、真哉の考えは間違ってないと思う。


 図書館は静かで、数えるほどしか人がいなかった。しかも図書委員は、昨日のあの先輩じゃなかった。委員の生徒は二人で、カウンターに腰掛けて司書の先生と雑談している。あと図書館にいたのは、閲覧席に座る三人の女子だけ。ほかには誰もいなかった。ホワイトさんも、あの先輩も。

 アタシたちは、そんな静かな図書館の奥。窓際の文庫本コーナーの陰になってる席に陣取った。ここでなら小声でしゃべっても大丈夫だろうってことだ。図書委員もしゃべってるんだし。まあ、ちょっとぐらいは。

「これ、大丈夫かな」

 アタシは窓際の学習参考書コーナーを見ながら言った。『わかる数学』とか『これで完璧! 漢字練習』とかつまんなそうな本が並んでる。

「ホワイトさんどころか、昨日の図書委員の先輩も見あたらないんだけど」

「これから来るんだろ」

 真哉は楽観的にこぼしながら、一冊の本を手に取った。図書館にある唯一のマンガ、手塚治の傑作選だ。真哉は手塚治虫のファンってわけじゃないだろうけど、でも小説を読みそうなヤツでもなかった。ほら、朝読書の時間ってさ、男子ってば短距離走のハンドブックとか、野球の指南書とか、あと『はだしのゲン』とかを開くじゃん。そんな感じ。

「それよりも」とアイツはアトムのページを開きながら、「問題は、あのホワイトっての日本語が通じるのかよ」

「昨日はしゃべってたじゃん。『スミマセンデシタ』って」

「『ありがとう』と『ごめんなさい』ぐらいは日本語のしゃべれないアーティストだって言ってるだろ。スシだのスキヤキだのフジヤマだの」

「じゃあ、もしかしたら英語で伝えなきゃいけないわけ?」

「まあ、その可能性はあるだろ。幼稚園のとき、そういうヤツがいたよ。親の都合で日本に転校してきて、二年だけ居て、帰ってった。日本語はぜんぜん話せなかったから、別の先生がついてたな。多少はしゃべれてたけど、そんなの『おはよう』と『こんにちは』、『ごめんなさい』と『いただきます』ぐらいだった」

「じゃあ、英語でやりとりしなきゃいけないわけ?」

 アタシは言って、もう一度窓際の棚に目を落とした。見てるだけで頭が痛くなる学習参考書の列。その中の一つに『はじめての英会話』なんてのがあった。

 アタシはそれを手に取ると、パラパラとめくってみた。正直、よくわかんなかった。

「よし。じゃあ、クリス。アンタが彼女と話しつけてね」

「えっ、わっ……わたしが!?」

 突然話を振られて、クリスは驚き跳ね上がった。

「だって、この三人で一番頭良いのは、どう考えてもクリスでしょ? アタシの成績は中の下だし。こないだのテストだって、英語は九十点だったじゃん」

「八十七点だよ……」

「変わんないよ。じゃ、クリスはこれを参考に彼女とやりとり。『アタシたちは、バンドをやってて。いまボーカルと四人目の部員がほしいんです。やる気ありませんか?』ってさ」

「ええ……」

 クリスは渋々本を受け取ったけど、でもその手は震えていた。

「おいちょっと待てよ、南。なんでオレの成績が悪いこと前提で話が進んでんだよ」

「アンタみたいな元不登校が頭良いわけないじゃない」

「なにおう? あのな、てめえはオレの試験結果知らねえだろ。聞かせてやろうか?」

「どうせアタシより下に決まってる。アンタ、平均以下でしょ?」

「ハァ? それは……」

 口ごもる。図星って感じの顔をして。正直、このときの真哉のバカ顔って言ったら最高に笑えた。でも図書館で大笑いしたらダメだから、必死にこらえた。お腹がよじれてどうにかなりそうだったけど。

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