7

 それからしばらくしてのことだった。司書の先生がカウンターから出て、図書委員の雑談が静かになったとき、誰かが図書室の扉を開ける音が響いた。

 図書館には二つ出入り口があって、一つは音楽室側の北校舎。もう一つは三年の教室側の南校舎とつながってる。開いたのは、南側だった。

 アタシたち三人は一斉に振り向いて、やってきた人物が誰かを確認した。期待はしてたけど、まさかその通りだとは思わなかった。

 ホワイト恵憐。

 黒い肌と、黒い癖っ毛。日本人離れした背丈と、大きな瞳。彼女はその大柄な体とは逆に、背を丸くちぢこめて、どこか申し訳なさそうに図書室にやってきた。

「……きた」

 アタシがそう言うと、全員で一斉に目をそらした。それから示し合わせたみたいに本に目を落とした。大きめの参考書で顔を隠して。まるでスパイが新聞で顔を隠すみたいに。

 横目に見ると、ホワイトさんはアタシたちに気づいていないようだった。彼女は困り顔のまま、その場に立ち尽くしてあたりを見回している。何かを探すみたいに。

 しばらく彼女は周りをキョロキョロ見回していた。でもお目当てのものは見つからなかったか、ゆっくりと歩き出した。文庫本コーナー。つまり、いまアタシたちがいる方向にむかって。


 彼女は気づいてなかった。何かを探すのに必死で、アタシたちのことなんて眼中にないみたい。

 ホワイトさんは何を探しているのか。

 そんなの決まってた。彼女が落とした本だ。

 そして、アタシたちも探しものをしてる。ボーカルと、四人目のメンバーっていうのを。

「いくよ」

 アタシはそう小声で言って、席を立った。

 そのとき、彼女は棚を挟んた向こう側にいた。そっちは単行本のコーナー。間違いなく、彼女は昨日落とした本を探している。

 アタシに数拍遅れて二人もついてきた。真哉はいつもどおりダルそうに。クリスは本を片手に。

「ハロー」

 って、アタシは恥ずかしげもなく言った。

 すると彼女は驚いて、肩を跳ねさせた。ようやくアタシたちに気づいたみたいだった。振り返って、アタシの顔を認めたとき、彼女は今にも逃げそうだった。

「待って。話がしたいだけなの。……えーっと……ぷ、ぷりーずうぇいと! ……って、クリス、あとは頼んだ!」

 バトンタッチ。アタシは一歩下がって、クリスを前に出す。

 クリスはおびえながら、本で顔を隠しながら、ぼそぼそと話し始めた。

「え、えっとぉ……は、はろー。うぃ、あー、ろっくばんど。うぃー、にーど……えっと……」

 クリスが言葉に詰まる。本をめくる音だけが響く。驚いたようにアタシたちを見る彼女。

 ――あちゃー……。

 アタシは顔をうつむけたくて仕方なかった。こりゃやっちまったって思った。

 と思ったら、その矢先だった。

 ホワイトさんの言葉から、自然と言葉が漏れたのだ。

「アノ……ワタシ、日本語、わかります」

「え……マジ?」

 思わず言葉を漏らすアタシ。

 コクリとうなずく彼女。

 しばらく沈黙が訪れた。


 いったん図書室から廊下に出て、アタシは日本語で彼女に説明を始めた。

 ホワイトさんは大人しかった。いや、大人しいというよりは、おびえている感じがした。クリスも臆病だけど、それとはまた違う。アタシたちを敵視してるような。逃げたがってるような。そんな感じ。

「えっと、とりあえずここまでの事情を説明するとね。昨日、詩集を落としたでしょ? あの本はアタシたちが図書委員の人に届けたから、安心していいよ。

 で、えっとね。なんで今日ホワイトさんに声をかけたかっていうと、勧誘をしたくて。ほら、アタシたちバンド組んでるの。昨日、見たでしょ? でね、それで新しく部活申請したいんだけど。でも、それには最低四人の部員と顧問がいるの。で、そしてなによりアタシたちバンドにはボーカルいないの。だから四人目の部員としてボーカルを探してるんだけど……えっと、ここまで理解できた?」

 うなずく彼女。アタシは続ける。

「それでね、アタシたちは英語が出来て、フロントマンとしてカッコがつくような人を探してたの。ホワイトさんは、英語できる?」

 彼女はうなずく。さっきから黙ってばかりで、首を縦に振るか横に振るかしかしてない。おびえというのは、そういう振る舞いからわかった。

「じゃあ、ちょっとこれ見てよ」

 アタシは、昼休みに握りしめてたクリアファイルを手に取った。一枚目に挟まれてるのは、ニューオーダーの『セレモニー』。TAB譜に合わせて歌詞が書いてある。アタシは、もう暗譜していた。

「これ読める?」

「え、えっと……――おお、ワタシは彼らをこわすつもりです。情けを見せません。天国は知っています、このときですと……」

「えっと……訳したの? 今の一瞬で」

 こくり、彼女がうなずく。

「英語で、読んだほうがよかったですか……?」

「うん、そっちもやってみて」

 もう一度、彼女はTAB譜に目を落とす。

 そのとき、アタシたち三人は驚かずにはいられなかった。

 緊張しているのかちょっと濁った声。それで読み上げられる流ちょうな英語。イアン・カーティスの怒りと悲しみに満ちた詩。その言葉は、音楽に乗せられてないのに、まるで曲になっているみたいだった。ちょうど日本語の詩を朗読しても、よく分からないけれどそれっぽいリズムになることがある。ほら、五七五とか。ちょうどアレみたいな感じ。彼女が読み上げた瞬間、アタシはそれに合わせてギターが鳴り響くのが聞こえた。アタシのレスポールが吠える音が。

 アタシはしばらく呆然としてた。彼女が詩を朗読しているのに聞きほれてた。

「……あの、こんな感じ、ですか?」

「ああ、うん。いいよ。すごくいい感じ」

「本当ですか」

「うん。もしも……もしよかったらでいいから。興味があったら、アタシたちと一緒にバンドを組まない? アタシたちには、いまホワイトさんみたいな人が必要なの。いや、ホワイトさんが必要なの。そのTAB譜あげるから、気が向いたら練習に来て。月曜と土曜の放課後、第二音楽室で練習してるから」

「は、ハイ……」

 TAB譜をつかんで、それをカバンへ。

 彼女は終始、おびえている様子だった。でも、アタシは確信してた。彼女しかいないって。


「……アノ、ちょっと質問、いいですか」

 突然、彼女のほうから声がかかった。アタシはちょっと驚いちゃった。

「えっと、なに?」

「月曜と土曜日……部活、休みです。もう軽音部、学校にあります。どうしてアナタは、部活のない日に練習。新しい部活作るのですか?」

「それには深い理由があってね……」

 ――えっと、これは話すべきなの?

 アタシはちょっと二人に尋ねて見ることにした。さっきからアタシの後ろで話を聞いてる二人。クリスは震えてる、いつも通りに。真哉は深くため息をついてた。

「言ってやれよ。第二軽音部もとい、真の軽音部を作るんだって」

「いいの? アタシたち、バリバリ校則破ってるし」

「校則もなにも、もう止まれねえだろ。何をいまさら」

「まあ、それもそっか」

 そう、もう止まれないんだ。

 アタシはもう一度、彼女に相対した。顔を向き合わせて、目を合わせようとした。でも、彼女は顔を上げようとしてくれなかった。目は伏せたまま。アタシを見てくれない。

「あのね、ウチの中学の軽音部は、はっきり言ってクソ。ってか、この学校自体がクソったれなの。アタシは自分の好きな音楽をやるために、軽音部を新しく作ることにした。自分の居場所がないなら、自分で作ってやろうって思ったの。部活を作ろうとしてるのは、そういう理由。

 そこにいる森真哉だってそう。アイツは、先生から不当な扱いを受けて、このあいだまで不登校だった。学校に居場所がなかったの。でも、いまはこうして学校にいる。アタシたちは、自分たちの力でこのクソったれな学校に、自分たちの居場所を作ろうとしてるの。この学校を、ロックで変えようとしてるの……えっと、わかった?」

 ――あー……ダメだ、真哉の言葉遣いが伝染してる。

 アタシはちょっと反省しながらも、ホワイトさんの顔色をうかがった。そうしたら、意外な反応があった。

 さっきまで顔を伏せていた彼女が、少しだけだけど目線をあげていたのだ。アタシよりも身長が高い彼女だから、まあちょうどアタシの背丈に合わせてるような目線だった。

 顔つきが変わった。アタシには、そんな気がした。

「アリガトゴザイマス……考えておきます」

「うん」

 それから一言か二言だけ言葉を交わして、ホワイトさんは帰っていった。カバンの中に歌詞を乗せて。

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